江戸一番の繁華街であるかぶき町に小さいながらもお店を持てた事はきっと物凄い幸運な事だったんだと思う。
子供の頃からの奉公先で教わり続けた炊事が実を結び、自分のお菜屋を開くまでにあり付けた。
最初は振り売りしてもいいかなと思っていた所に、偶然にもこのかぶき町で空き物件を持て余していた人と知り合って、そこからはトントン拍子だ。
何でも以前の店子が田舎へ引っ込んでしまい、然程の広さも無い居抜き物件で借り手もなかなか見つからず困っていたらしい。
話を聞きつけて内見に来てみれば確かにこれでは借り手はなかなか見つからぬと言えるものだった。
兎角、中途半端な狭さなのである。狭いと割り切るにはやや広く、広いと言えるかといえば全く以て言えない、そんな中途半端さだ。
土地の形状からか建物自体が少々難儀な造りになっていると言えるだろう。
おまけに以前の店子が作り付けたであろう棚やカウンターがあり、改装が必要になりそうな使いにくさである。
これでは様々な職種があろうとてわざわざ借りる者もおるまい、そう思える物件だった。
しかし、たった一人で切り盛りするお菜屋なのだからむしろ狭い方がいいくらいだ。
少々変てこな内装も味があると思えばいい。何より場所は江戸一番の繁華街であるかぶき町の一等地である。
そこに格安の物件と来たものだ。文句等出るはずも無かった。
大儲けしたいなんて考えていない。自分一人の口を賄っていければ上々だろう。
事実お店を開店させて目が回る程忙しいなんて事態は未だに一度も訪れていない。
それでも地道に毎日お店を開けていれば少しずつお客様も増えてきて、常連さんと呼べる人達も出来始めた。
御近所の人達も皆良い人で現実は越してくる前に聞いていたかぶき町のイメージとかけ離れたものである。
悪い人や怖い人が沢山居るなんて噂も嘘なんじゃないかと思うくらい順調だ。
ここにお店を開く事が出来て本当に良かったなぁと思っていた。
今日、この瞬間までは。
「お嬢ちゃん、ショバ代って知ってるか」
早朝から沢山のお菜や甘味を作ってショーケースに並べて、お店のシャッターを開けて数分でこれだ。
目の前には絵にかいたようなヤのつく職業の様な感じの……、所謂ガラの悪い人種が三人程。
「誰の許可とってここで商売してんのかって聞いてんだよ」
「大家さんと保健所の許可は取りましたけどまだ何か必要でしたかね」
「あぁ?このかぶき町で商売するには俺らの許可が必要なんだよ」
「それは存じませんでした。で、何にします?出汁巻き卵美味しいですよ」
さらっと流せば帰ってくれるんじゃないだろうかと思ったが、火に油を注いでしまったらしい。
それにしても今時ショバ代なんて言葉を本当に聞く機会があるとは思わなかった。
映画やドラマの中でチンピラが言っているのは聞いた事あったが、現実世界にも存在しているのかと半ば感心した思いまで抱いてしまった程である。
「出汁巻きなんていらねぇんだよ!ショバ代つってんだろ、頭おかしいんかコラァ!」
「卵はお嫌いですか?和洋中揃えてますので何かお好きなものをお取りしますよ」
「ふざけんなよ、お嬢ちゃん」
パンチパーマの男が苛立った表情での襟首を掴んだ。
彼らのいうショバ代、金銭を払えば一時的な解決にはなるだろう。
だが一度支払ってしまえばまず間違いなく今後定期的に金銭をふんだくられる事になるのは目に見えている。
今この場を収める為だけに金銭を支払ってしまえばの店は良い鴨になってしまうのだ。
この先どれくらいかぶき町で商いを続けていくかはわからないが、出来る事ならばそれは避けたい。
避けたいが、所詮しがない一般小市民がヤのつく特殊な職業の方々に対抗出来る術等ある訳が無いのも現実である。
端的に言えば怖い。
何か良い打開策は無いかと思いあぐねるの視界に一人の男が映る。
その男は最近このお菜屋によく来てくれるようになった常連さんの一人だ。
面倒事に巻き込むわけにはいかないので何処かへ行ってくれないかという思いとは裏腹に、男はこちらへ近づいてきた。
どうせならこの事態に気付いて警察でも呼んできてくれないものか。
そんなの願いもむなしくお菜屋の常連となりつつある男はガラの悪い男達の後ろへ近付き、の襟首を掴んでいる腕をひねり上げた。
「おい、何やってんだてめぇら」
「あぁ?お前こそ……!」
「エビマヨの人……」
突如現れた男にひねり上げられた腕が余程痛かったのか表情を歪めて振り返った男の顔色が青く染まる。
両脇に居た男達が、おいやべぇよ、とか、何でこいつがこんなところにいるんだよ、とか言っているのがの耳にも届いた。
ヤのつく職業の人間が恐れる程の人なのかとは別の意味で不安になりつつ常連の男へ視線を移す。
「この店からショバ代取りてぇなら真選組に話を通してからにしな」
真選組、その名はかぶき町に来て然程経っていないでも知っているものだ。
江戸の治安を守る特殊警察と呼ばれている集団である。新聞やテレビでもよくその名を聞く。
まあどちらかと言えば町の破壊活動に精を出している集団というイメージが無くも無いような感じだが、助けてくれた常連の男はどうやら真選組の関係者らしい。
脱兎の如く逃げていったヤのつく職業の男達の背中を見送りつつ、もう二度と来ませんようにと念じておくのも忘れない。
「おい、大丈夫か?」
かけられた声に慌てて振り返れば、常連の男が憮然とした表情でを見つめていた。
「ええ、すみません、ありがとうございました。お陰様でショバ代を取られずに済みました」
「ああいうのよく来るのか?」
「いえ、今日が初めてです。驚きました、本当にいるんですね。ああいう人達」
あっけらかんと言い放つの言葉に男が二、三度瞬きをして、また憮然とした表情で頭を掻いた。
それから大きな溜息を一つ、どうやら呆れてしまったようである。
「あんた……、意外と肝が据わってんだな。ああいう輩が怖くねェのか?」
「いえ、怖いですよ。内心バクバクでした」
「その割には堂々としてたように見えたんだが」
言葉の通り、内心バクバクだった。色んな意味で。ヤのつく職業の方も怖いが、その方に全くひるまず腕をひねり上げた目の前の男も正直怖かった。
相手はあからさまに悪そうな、悪役商会宛らな出で立ちのアレな感じが三人も居たのに意にも介さない様子のこの男こそ十分に恐怖の対象になり得るのだ。
瞳孔かっ開いてますよとか口が裂けても言えそうにない。
落ち着いた色合いの着流し姿の男は普通にしていれば色男と呼べる外見をしているのに、雰囲気がもう普通の其れではなかった。
ヤのつく職業の男達を追い払ってくれたのは心の底から感謝するが……、まぁ特殊警察と呼ばれる真選組関係者であればこの位の威厳は必要なのかもしれないと思い直す。
人生深く考えたらいけないこともあるのだと頭を振って、営業スマイルを浮かべた。
「今日は何にします?」
「じゃあ、エビマヨを」
ショーケースの中からエビマヨを取り出して、テイクアウト用のパックに詰めていく。
目の前の男はいつもそうだ、このお菜屋に来て必ずエビマヨを買っていく。むしろ他の物は滅多に買わないかもしれないくらいだ。
初めて来て以来、恐らくの記憶が確かであれば週に二度程通ってくれており、毎回エビマヨを買っていく。
作るものは定番以外出来るだけ日替わりにしているが、この男が来るようになってからというものエビマヨはすっかりお菜屋の定番メニュー化した。
極たまに別の物も買う事はあるが、それでもエビマヨも必ず買うのだから余程好きなのだろうと想像出来る。
何にせよ自分の味を気に入ってもらえるのは嬉しいものだ。
エビマヨを詰めたパックを袋に入れて男に渡せばもう金額を覚えているのか無言で小銭をトレイに乗せた。
「おい」
「はい、何でしょう」
「量多くねぇか」
「サービスです。先程は本当に助かりましたので気持ちだけですが受け取って下さいな」
いつも買っていく量の倍程入れたのに気づいていたのだろう。男が再び深々と溜息を吐いた。
もしかして違うものの方が良かったのだろうか、男はあまり喜んだような様子も見せずじっとを見つめている。
にこりともせず、むしろちょっと怖いくらい無表情で、である。
何か怒らせるような事をしてしまったのかと不安になるの心情を知ってか知らずか、男が無言のまま腕を伸ばした。
視線が交錯する事数秒、お互い沈黙のまま微妙な空気が流れる。
目の前の男の表情が若干歪み、舌打ちを一つ。
男の掌はそのままの頭に乗せられ、数度軽く頭の上をバウンドした。
「あの……?」
「出来るだけ巡回ルートに入れて様子見に来るからまたさっきみたいなのが来たら遠慮なく言ってこい」
「巡回ルート?」
ゆるゆると数度頭を撫でていた手が離れていき、男は、ああと呟いた。
「真選組、土方十四郎だ」
本当に真選組の人だったらしいと知り、ほんの少しほっとする。
先程ヤのつく職業の男達が名乗らずとも顔を見て恐れていたくらいだ、きっとそれなりの地位の人なのだろう。
関わっていいのか微妙な所だが大きな後ろ盾を得たと思っていいのだろう。
かぶき町で商売を続けていく以上公的な機関の関係者を持つ事は恐らく有難い事この上無い。
「土方さん、ありがとうございました。私はお菜屋小福の店主、と申します。どうぞ今後とも御贔屓に」
深々とお辞儀をすれば、またなと告げて土方と名乗った男が袋を手に店から出ていった。
やはりかぶき町も捨てたものでは無い、素敵な場所なのかもしれない。
UP DATE : 2016.12.28