人間はなんて愚かで残酷な生き物なのだろうか。
タッカー邸で見た光景はまさに惨劇だった。
マスタング大佐もホークアイ中尉もあまりに酷い光景にほんの少しだけ顔を顰める。
その傍らだけは無表情だった。
ただ、視線だけは酷く鋭く恐ろしいものになっている。
薄暗い地下室。
崩れ落ちたタッカーの姿。
そしてそのタッカーを心配するように戸惑う”合成獣”の姿。
に気づいたショウ・タッカーは一瞬怯え、そして目に光を称えた。
「ああ!将軍閣下!今度こそ貴女は否定出来ないはずだ!私の研究がいかに素晴らしいかを!」
「そうか、それは良かったな」
「少将!?」
無表情で言い放ったの言葉にタッカーは自分が認められたと思ったのだろう。
口元に笑みを浮かべながら立ち上がるとに近づいてくる。
タッカーの手が触れようとした瞬間、はその手を振り払った。
そのの行動にタッカーは戸惑いを見せ立ち止まる。
凍てつくような視線はそのままタッカーに浴びせられ、酷く重苦しい雰囲気の中底冷えするような空気が流れていた。
「将軍閣…」
「貴様を待っているものは賞賛ではない。軍法会議所による取調べと裁判だ」
「何故です!?」
「何故?……そんな愚問に答える気はないな。マスタング大佐、私はもうこの場に用は無い。エルリック兄弟の下へ行く」
「はい」
「何故!!貴女ならきっと最後にはわかってくれるはずだ!…それともご自分と重ねるのがおつらいですか?」
「貴様!!」
タッカーの言葉にではなくマスタング大佐がタッカーに向かって敵意を向けた。
睨むようにタッカーを見つめるマスタング大佐をホークアイ中尉も咎めることはしない。
彼はを侮辱した。
理由を知っているだけにマスタング大佐もホークアイ中尉もタッカーに対し苛立ちを隠そうとはしない。
外へ出ようとしていたは振り返らずに静かに呟いた。
ただ只管に感情を持たない事務的な口調は怒りを露にするより冷たさを持っている。
「マスタング大佐、言わせておけ」
「しかし!!」
「ほら!貴女はそうやって私から逃げてしまう!せっかく成功した実験例だと言うのに!」
「黙れショウ・タッカー!!」
「これ以上将軍を侮辱するなら撃ちます!!」
ホークアイ中尉までもがタッカーに向かって銃を構えた。
はそれを手で制すと面倒くさそうに振り返ってタッカーを見つめる。
その目は既にもう誰の形も映していなかった。
まるでガラス玉の様なの瞳に一瞬にして室内は冷たい雰囲気に包まれる。
虚無とも無我とも取れるその光を映さない瞳は何の感情も持たない作り物のようだった。
「誰から何を聞いたのかは知らんが、私が成功例だと言うのならお前はそれすら超えられなかったただの異常者だ」
それだけ言うとは部屋から出て行った。
後ろでタッカーが何かを言っていたがの耳には届かなかった。
憲兵にエルリック兄弟の場所を尋ねれば居場所はすぐに知る事が出来た。
はゆっくりとそこへ向かって歩いていく。
天から降り注ぐ雨に濡れてもはそれに構う事無く歩を進める。
ただその速度は非常に緩やかなものだった。
彼らを見つけて何を言うというのだろうか。
かける言葉など見つからない。
それでも彼らを放っておく事等出来なかった。
「成功例、か。いっそ失敗してくれた方が幸せだったかもしれないな」
タッカーにぶつけられた言葉がの脳内を支配する。
やはりタッカーの裏についていた人物はあの将軍閣下殿だったのかとは苦笑した。
の罪を知っている人物など軍部内でもかなり限られている。
東方ではマスタング大佐とホークアイ中尉、ハボック少尉のみ。
その三人がわざわざタッカーに喋るなんて事がない事位百も承知だ。
大総統、数人の将軍閣下、大佐。
軍部内に限ればこの数人だけが知っているの罪の形。
雨に濡れた背中が妙に疼く気がした。
しとしとと降る雨の中、エドワードもアルフォンスも階段に座り込んでいた。
がゆっくり近づけばエドワードとアルフォンスもゆっくりと顔を上げてを見る。
その瞳は悲しみに濡れていた。
そっと近づくの表情は、やはり何も映し出さない無表情のままだった。
「…」
「さん」
「風邪をひく。移動した方がいい」
エドワードは勢いよく立ち上がるとの腕を掴んだ。
その腕の力強さにの顔にもほんの少しだけ戸惑いの色を映し出す。
自分より年下を相手にする事など特定の人物以外ほとんどない事だ。
何かを聞かれてもどう答えたらよいのか見当もつかない。
「なぁ、はかなり高度な錬金技術を持っているんだろ!?…ニーナを、戻してやってくれよ!!」
「無理だ」
「頼むから!!なぁ!アルも頼めよ!!」
「兄さん…」
「不可能だ」
毅然と言い放つの言葉にエドワードはを掴んでいた腕を放すと自嘲し笑い声をあげた。
その痛々しさが伝わってきての心を締め付ける。
彼は自分の無力さを知っている。
どうにも出来ないという事実を理解している上でそれを受け止める事が出来ずにいるのだ。
酷く悲しくて、心が折れてしまいそうな現実。
「何が錬金術師だ!…たった一人の子供すら救えない!!」
「錬金術師は万能者ではない。人間だ。不可能な事等数え切れないほどある」
「わかってる!!」
目を硬くつぶって再び階段へしゃがみ込んだエドワードの姿には何も声をかける事が出来なかった。
本当にイタイ時にイタイでしょう?と聞いてはいけないのだ。
本当にイタイ時に我慢しなさい。と言ってはいけないのだ。
誰が何を言っても心が拒否をしていればそれは受け入れられない不要で怒りや悲しみを増幅させるものになる。
自分もまだまだダメだなと瞼を伏せた時、後ろから足音が響いてきた。
その足音は達のすぐ側で音を止め聞きなれた声が耳に届く。
振り返れば雨に濡れたマスタング大佐がこちらに視線を送りながら佇んでいた。
「いつまでそうやってへこんでいる気だね」
「…うるさいよ」
マスタング大佐の声にエドワードは膝を抱えたまま小さく呟く。
その声には放っておいてくれと突き放す感情が篭っていた。
それでもとマスタング大佐には”本当は放っておかないで”という風に感じた。
「軍の狗よ悪魔よとののしられてもその特権をフルに使って元の身体に戻ると決めたのは君自身だ。これしきのことで立ち止まってる暇があるのか?」
「これしき、かよ…」
マスタング大佐のあえて突き放すような言葉にエドワードは、ぐっと腕を握りしめた。
にはただじっと事を見守るしか出来ない。
エドワードは階段から立ち上がると体中から悲しみを搾り出すように叫んだ。
「ああそうだ。狗だ悪魔だとののしられてもアルと二人、元の身体に戻ってやるさ。だけどな、オレ達は悪魔でもましてや神でもない」
「人間なんだよ。たった一人の女の子さえ助けてやれない。ちっぽけな、人間だ……!!」
魂の叫びとも言えるエドワードの叫びにマスタング大佐は目を伏せた。
彼らの純粋過ぎるものに対する答えをもマスタング大佐も持ち合わせていない。
マスタング大佐は踵を返し背を向けると、「風邪をひくので帰りなさい」とだけ告げて離れていった。
残されたはエドワードとアルフォンスの前に立つと、軍服の上着を脱ぎ捨てる。
の突然の行動にエドワードとアルフォンスは慌てふためき立ち上がるがはそれを手で制す。
そしてエドワードとアルフォンスに背を向けると小さな声で呟いた。
雨に濡れた白いシャツの背中は軍服を着ている時よりも小さくて細く感じる。
若くして少将という高い地位についている背中はこの場にいる誰よりも華奢で壊れてしまいそうだった。
「エドワード、アルフォンス。よく見ていろ。誰かが来たらすぐ消してしまうから」
そう言っては背中に力を込めた。
目を閉じ、自分の内側にある罪を脳内に描く。
次の瞬間エドワードとアルフォンスは目を見張った。
の背中には 真っ白い大きな翼。
穢れ無き純白の白い白い大きな柔らかい羽を持つ翼。
「これが”人間と鳥の合成獣”の姿だ。元に戻せる方法があるのならとっくに試しているさ」
背を向けたまま大きな純白の羽を湛えたの呟きが雨音を縫ってエドワードとアルフォンスの耳に響いた。
UP DATE : 2007.04.19