『俺はマース・ヒューズだ。よろしくな中佐殿!』
人が良い男だと思った。
第一印象は明るくて、自分とは合いそうもない男。
差し出された手を見下ろす私に怒る訳でも苛立つ訳でもなく
私の右手を引っ張って、強引に握手し満面の笑みで笑った男だった。
『よう中佐!ご一緒させて頂いてよろしいですか?なんつってな』
一人で食事を取っている私の隣に座って笑うマース。
誰かと共に食事を取るなんて、一体何年ぶりの事なのだろう。
笑いもせず、大して会話をする訳でもない私の横で彼は嬉しそうに色んな話をしてくれた。
年下の上官なんて物珍しさから構っているのだとずっと思っていた。
それでも、マースの悪意のない笑顔に、気付けば安心感を覚えていたんだ。
『世界中がを責めても俺はを絶対に責めない。一生味方でいるからな』
畏怖の目で見られ蔑まれる私の横で、マースはいつも笑っていた。
中にはマースの事まで”上官に媚を売る男”だと軽蔑する視線を送る者もいた。
それでもマースは笑っていた。
傍に来るなと告げても、突き放しても、心配するなと笑っていた。
『そりゃ決まってるじゃねえか。友達なんだからよ』
何故傍に来るのかと問えば、マースは笑いながら友達だからと言う。
言われた言葉に、頭が真っ白になって、胸がいっぱいになって苦しくて、何も言えなかった。
『よう、大佐だって?そりゃめでたいな!よーしじゃあ今日は大佐殿の奢りで飲み行くか!』
私ととマスタングを引っ張って行って、小さな店でお祝いしてくれたあの日。
飲め飲めと言いながらも勧めてくるのはジュースで、その気遣いが嬉しかった。
マースはいつも笑顔だった。
『いいか。これをずっとつけておけよ』
無理矢理首につけられたのは、細い銀色のチェーンに小さな四つ葉のクローバーが模られたネックレスだった。
幸せになれるように、と。
これがを守ってくれるから、これがに幸せを運んでくれるから信じてつけておけ。
そう言って笑うマースに押し切られもう何年もずっとつけていた。
から聞いた話では、わざわざ特注で作ってもらってくれたらしい。
それはいつも私の心に一番近い場所で、優しい何かを教えてくれていた。
『は俺の妹みたいなもんだからな。家族と同じだ』
マースがグレイシアと結婚した時、私を家に招いてグレイシアに言った言葉。
その言葉にグレイシアも微笑んでくれて、それから定期的にヒューズ家へ招かれるようになった。
温かい手料理に、温かい笑顔。
そこはまるで別世界の様な幸せに満ちた空間が広がっていた。
『!エリシアちゃんがお前に会いたがってるから今日は家に来い!』
エリシアが生まれてからは更に頻繁に家へと誘われるようになった。
家族がいるのだから私よりそちらを優先しろと言ったらマースは珍しく私に怒ったのだ。
は家族と同じだと言っただろうと、怒ったのだ。
その時私は初めて、この一家を何があっても守りたいと心に誓った。
『いいか。お前が死んだら俺は絶対許さないからな。自分の命を優先しろよ』
准将になった時、マースは真剣な顔で私を呼び出してこう言ったのだ。
いつ死んでもおかしくない任務が回ってくる機関。
現に私が中佐から准将に上がるまでにもう幾人もの死者が出ていた。
内乱、テロ、暴動、特殊作業、関わるもの全てに危険が付きまとう。
畏怖の目はどんどん浸透していく中、マースはいつも変わらずにいてくれた。
『結婚はいいぞ。守ってくれる人を早く見つけろ。あ、でもその時は俺に紹介しろよ!見極めてやるから』
早く結婚して軍をやめろと言ったり、それでも私に特定の誰かが出来るのは悔しいと言ったり忙しい男だった。
相手もいないのに、俺はの結婚式に出たら絶対泣く!と豪語するマースに苦笑したりしたものだ。
父親の様な、兄の様な、そんな優しさを見せてくれたマース。
『の帰りを待っている人がいる事を忘れるなよ』
大きな任務に就く時、必ずマースは私を訪ねて来てこう言ってくれた。
だから私はいつの間にか”生きて帰る”事を優先するようになっていたんだ。
マースを悲しませるような事は、してはいけないと思うようになっていたんだ。
まだ、言葉にして伝えていない思いが沢山あるんだ。
言えなかった言葉が後から後から溢れてきて、胸の中に充満していく。
『』
私の名前を呼んで微笑んで欲しい。
その笑顔で私の名前を呼んで欲しい。
何もしてくれなくてもいい。
ただ生きて笑っていて欲しい。
遠くへ行かないで。
遠くへ行ってしまわないで。
マースが笑っていてくれるのなら私は何でもするから。
マースが笑っていてくれるのなら私はこの全てを差し出すから。
だから、お願いだから遠くへ離れていかないで。
会えなくてもいい。
もう二度と顔も見られなくたっていい。
ただ生きて、幸せに笑っていてくれればそれでいいから。
お願いだからどこにもいかないで。
「 」
声にならない叫び声は真っ暗な部屋に飲み込まれていった。
UP DATE : 2007.12.06