結局一睡も出来ぬまま早朝鳴り響いた電話によりはまだ明け方のうちに家を出て軍部へ向かった。
呼び出してきた相手は大総統閣下直属秘書の一人。
つまり大総統閣下直々の呼び出しであった。
「失礼致します」
大総統閣下直属秘書に先導され豪奢な部屋へ通される。
呼び出された用件は聞かずともわかっていた。
十中八九間違いなくマース・ヒューズ准将の件についてだろう。
「君すまなかったね、早朝から」
「いえ」
「そう畏まらずに腰かけたまえ」
温和な笑みを浮かべた大総統にソファへと進められ、一礼しソファへ腰かけたの向かい側に大総統も腰かける。
秘書がお茶を出してくれたが手をつける気にはなれなかった。
一礼して秘書が出て行った大総統閣下の執務室内は妙に空気がピンと張りつめていて居心地が悪い。
が背筋を伸ばし息を潜める中、大総統は温和な笑みを崩さず、しかし威厳を保ったままの面持ちでお茶に手を伸ばして話し始めた。
「軍部にとっても実に惜しい優秀な人材を亡くした。君にとっては友人だったのだから余計だろう」
「……仕方ありません。我々軍人はいつ何時命を落とすかわからない職業ですから」
「うむ、全くその通りだな。しかし未だ犯人は特定出来ておらん。君達特務も一層気を引き締めるように」
「勿論です。これ以上犠牲を出す訳にはいきませんから」
予想に違わずやはりマースの話かとも少しだけ身構える。
挑発的な視線を向けるに対し、大総統も露見している片目の眼光を鋭くさせ空気が一層糸の様に張りつめた。
暫し沈黙の後、どちらからともなく鋭い視線を緩めて息を吐いた。
だが雰囲気は変わらない。はあくまで余裕を見せて、大総統は嘲笑の空気を纏い相手に対し無言の圧力をかけていく。
「そこでだ。私もこれ以上犠牲者を出す事は非常に心苦しい。よって本日より准将の捜査は全て中央に一任する事にした」
「中央司令部に、ですか」
「ああそうだ。徹底的に調べさせて犯人を駆逐する。君と言えど特務全員一切関わる事を禁ずる」
わかりやす過ぎる牽制。何か裏がありそうだと思わずにはいられない。
水面下で関われと言っているようなものだ。罠か……。
本当に立ち入らせたく無い物があるのだとすればわざわざこんな事を言わずに内密で処理する事が出来るだろう。
感情を揺さぶって罠を仕掛けている?それとももっと奥に何かがあるのか?
何かしら、マースの件に大総統が関わっている可能性がある。それは疑問から確信に近いものへ。
をその思考へ導かせたのは他でも無い、目の前に居る大総統閣下本人だ。
数秒思考を巡らせた後、は目を伏せて「了解しました」と答えた。
「それで、急で悪いが明日から南部へ一緒に行ってくれないかね」
「南部ですか」
「ああ、そろそろ視察をしておかねばならないと思っていてね。護衛を君とアームストロング少佐に頼みたいのだが」
「拝命承ります」
「後で書類を回しておこう。それじゃあ朝から済まなかったね」
いえ、と呟いてがソファから腰を上げ立ち上がる。
細く突き刺さるような視線が背中にひしひしと当てられている気がして動揺を悟られぬようは足先に力を込めた。
「ああそうだ、君」
「はい」
「私との約束を忘れないように」
来た時同様温和な笑みを浮かべて目を閉じる大総統の言葉に答えずは一礼して執務室を後にした。
秘書に目線で挨拶を交わして廊下へと出たは知らず知らずのうちに拳を握りしめていた事に気付く。
言わなくてもわかっている。
それだというのに約束という言葉を持ち出したのはやはり牽制だ。
握りしめていた拳を開けば手の平には爪の痕がくっきりと残っていた。
重苦しい気持ちのまま特務の執務室へ戻ったをこちらも重苦しい表情の三人が迎えてくれた。
大佐は少しばかり疲れている表情を浮かべているもののいつもと変わりなく振る舞おうと努力しているのがわかる。
少佐と軍曹は相当泣いたのだろうか、目の周りが少しばかり赤く腫れていた。
「おはよう、全員手を止めて話を聞いてくれ」
が声をかけると大佐も少佐も軍曹もすぐにの居る場所へと小走りでやってきた。
少佐の手にしていた書類にちらりと視線をやってそれがマースの案件だとわかり頭が痛くなる。
全員の顔を見渡して、溜息を一つ。伝えるのは気が重いが命令だ。
「今大総統閣下に呼び出されて命令が出た。マース・ヒューズ准将に関する事だ」
三人が小さく息を飲む音が聞こえてくる。
それは期待を含んだもの。特務がこの件に関して指揮を執ると思っているのだろう。
「准将の件に関し緘口令が布かれた。今後案件は全て中央に一任される。現在までにある一切の書類を破棄、後一切の関与を禁じる。以上だ」
「どういう事ですか」
の命令に対し真っ先に噛みついてきたのは青い顔色をした少佐だった。
事件発覚当初から少佐と大佐は極々内密に調査を進めていた事をも聞かされている。
仇を取るのだと。誰がマースを殺したのか付きとめて我々の手で裁くのだと怒りに燃えていた。
だって気持ちは同じだ。絶対に許せないし見つけられるものならばこの手で葬ってやりたいくらいだ。
だが、もうこうなった以上表立って動く事は憚られる。
親友の敵討ちか部下達の命か、選択の余地など無い。
大佐はじっとを見つめているだけで動こうとはしない。
何故がその命令を飲んだのかわかっているからだろう。
指先を震わせて睨んでくる少佐を一瞥し、軍曹へと視線をやれば軍曹も顔を青くしていた。
「どうもこうもない。以上だと言っている」
「何でですか!」
「異論があるのならば好きにしろ。私の命令が聞けないのならばさっさと除籍届けを出して好きなだけ調べればいい」
「少将!」
苛立った少佐がデスクを両手で叩いて声を荒げた。
少佐が声を荒げるなど珍しい事だ。それだけマースの件に関し人一倍悲しみを感じ解決してやろうと思っているという事だろう。
だからこそ遠ざけなくてはならない。深過ぎる所まで行かれてしまったらでもフォローが出来なくなってしまう。
敵はもう誰だかわからない状況なのだ。内か外か…。
デスクを叩いてしまった事で一瞬静まり返った執務室にの声が響く。
「私情で動くな。……ここは軍でお前が軍属である以上は上の指示に従え」
「それはわかっています。でも!」
「でも、何だ。准将は自分の友人だから仇を取りたいか?甘ったれるな。命令が嫌なら命令されなくて良い立場になれ」
鋭い眼光で言い捨てたの言葉を聞いた少佐がぐっと唇を噛んでに背を向けて走り出す。
隣に居た大佐が慌てて呼びかけたが少佐は振り向かずに執務室を出て行った。
追いかけようとする軍曹の手を引いてが首を横に振る。
「放っておけ。少佐は馬鹿ではない。すぐに戻ってくる。それより大佐」
「…何ですか」
「明日から少しの間南部へ行く事になった。大総統閣下の護衛だ」
「では私か少佐も同行…」
「いや、その必要はない。アームストロング少佐のチームと一緒だ」
の言葉を聞いた大佐の表情が怪訝なものへと変わる。
眉をひそめたまま大佐が軍曹に対し、お茶を淹れてくるようにと伝えこの場を離れさせた。
軍曹が離れていくのを確認し、大佐がの顔をじっと見つめ何かを思案する。
マース・ヒューズ准将が何者かに殺され、今度はとアームストロング少佐が揃って動くという事が意味するもの。
それはあの時第五研究所について病院で考察していた際に話を聞いていた者という事になる。
「私も……」
「いい。の件があるだろう、はそちらを頼む」
大佐の言葉を遮ってがピシャリと突き放す。
実際今の特務は猫の手も借りたい程人材不足であり、別件でが動くのだとしても誰かが追従する事は難しい。
数度視線を巡らせた後、大佐が諦めたように深い溜息を吐き出した。
「くれぐれも気をつけて下さいよ」
「ああ、善処する。それとあの件は一任するがいいな?」
「……任せておいて下さい」
丁度軍曹がお茶を持って戻ってきた所で話はひとまず終了となった。
お茶を受け取ってが手元にあった書類を捲り、あれこれと書き込んでいく。
は勿論、大佐もマース・ヒューズ准将の件から手を引く気は無かった。
ただ、それはと大佐の事であり、少佐や軍曹を巻き込む訳にはいかない。
そう思っていたって彼らは動くだろうけれど、だからこそ大佐にストッパーになってもらうしかないのだ。
より大佐の方がマースとの付き合いは長い。思う事も多いだろう。
手元にあった書類に「軍法会議所、シェスカ、東方司令部の通信」と書き込んではペンを置いた。
UP DATE : 2008.03.29