今の自分は一体どんな目をしているのだろうか。
見下ろしている相手は鋭い視線を向け威嚇しているが既に腹からは大量の出血が見受けられ、重傷を負っている。
抵抗する事など最早不可能である事は日の目を見るより明らかなのに尚もナイフを向ける自分はその瞳にどう映っているのだろう。
「実験所には戻らねぇぞ」
「戻らなくて結構。何か言い残したい事は」
「くそったれ……同胞っ!」
諦めの笑みが浮かんだ所で一気に喉元を貫いてナイフについた血を払い落す。
よく言う人として大切なものなど当の昔に捨てた。
今は心を無に、自分に与えられた役割をこなす事しか……選べる道は無い。
DEVIL'S NESTに入ってからの状況を見てある程度の予測はしていたはずだ。
やはり、と思う一方で現状は酷く心を惑わせる。
今この手で殺めた、DEVIL'S NESTで殺された人物のほぼ大半が自分と同じ場所で同じ様に作られた謂わば犠牲者と言える者達。
自分は梟の、彼らはそれぞれ別の動物の能力を埋め込まれた「人で無い人」だという事だ。
研究者達と軍の浅ましくおぞましい欲望から作り上げられた戦争の為だけの兵士。
自分も同じだ。
それなのに今彼らの命を絶つ権利などどこにも無いはずなのに、こうして彼らの命をいたずらに摘み取っている。
どんな贖罪も通用しない、言い訳の出来ない罪をまたこうして背負わなければならないのだ。
それこそが自分の選んだ道なのだから。
暫く進んだ所で壁にぶち当たり壁の向こうから争っている声が響いてきた。
壁際に立った大総統が足を止めるのと同時にも足を止めじっと耳を澄ませる。
壁の向こうにいるのは六人程度。中にはアームストロング少佐も混ざっているようだ。
どうするのか、一度大総統を仰いだが大総統は頷いて制止の意思を表した。
漏れ聞こえてくる恐らく敵であろう相手とアームストロング少佐の会話からしてやはり自分が考えていた通りだと知る。
イシュヴァール殲滅戦に一兵卒として参加していたらしい敵の男の声は怒りを含んでいるようだ。
当然だろう。彼らは捨て駒同然として扱われた挙句こうして今自分達の運命をめちゃくちゃに滅ぼした軍からの襲撃を受けているのだから。
「ならばなおさら!我輩無駄な殺生は好まぬ、投降せよ!」
「無理な注文だ」
「愚かな……!命を無駄にするな。キング・ブラッドレイ大総統と・少将が来ておるのだぞ」
聞こえてきた自分達の名に大総統もも壁際でじっと息を潜めて会話に耳を傾ける。
アームストロング少佐の言葉が効いたのか一瞬の静寂が訪れ、次いで息を飲む音が聞こえた。
イシュヴァール殲滅戦を体験した者であればと大総統の名は絶大な効果があるだろう。
悪夢の元凶と言えるキング・ブラッドレイに、人間兵器の代表格として戦地へ赴いた・。
その畏怖は未だ根強く軍に残っている。
「ブラッドレイと!?何でそんな偉い奴が来てんだよ!」
「それが何を意味しているかわかるであろう」
「イシュヴァール殲滅を指示した奴と最前線で戦った奴だ。ここを徹底的に潰すつもりか……!」
「ロア!ヤバイ相手だ、逃げるぞ」
やはり今でもこの名の持つ威力は健在か。
自嘲したくなるの横で大総統が右手を一度上げた。
突撃、の意味を持つ動作であり彼らの命もまたこの手で消す事が確定したも同然だ。
彼等を何とか生き延びさせようとするアームストロング少佐の前でこれから行われる惨劇にアームストロング少佐はどう思うのだろうか。
彼らが立っている壁の内側から錬金術を使って音も無く穴を開け、一瞬の間も無く大総統がサーベルを突き立てる。
大総統のサーベルはいとも容易く一人の人間の胸を貫き言葉を出す暇すら与えてくれなかった。
刺された男のすぐ近くにいた男が叫び声を上げ悲痛な表情を浮かべる。
しかしそんな叫び声さえ凍らせてしまいそうな程冷たい視線を持った大総統が唖然とするアームストロング少佐を見据えた。
「何をしている、アームストロング少佐」
ドルチェットと呼ばれた男が地に崩れ落ちるのを見たもう一人の男が大総統に向かって銃弾を放とうとした。
だがそれはすぐにの手によって弾き返され、の振るったナイフが瞬く間に男の体を走り裂傷から鮮血が噴き出す。
二人の男に起こった惨劇を目の当たりにした一番大柄な男が怒り狂った様相で大総統へ襲いかかるが結果は同じ。
大総統の振るったサーベル、そしてが投げたナイフにより男の体は爆撃を受けたかのように鮮血を吐き出し地へ沈んでいく。
まさに一瞬の出来事。
愕然と立ち尽くすアームストロング少佐の握った拳が震えるのを視界に捉えたが一度浅く息を吸い込んで腹に力を込める。
今は、どうする事も出来ない。
「私は目標以外は全てなぎ払え命令したはずだ。敵に情けをかけるな。だからおまえは出世できんのだ」
手にしたサーベルを一度振り、付着していた鮮血が壁に当たって赤い染みを作る。
大総統の言葉にアームストロング少佐は何も答えずただじっと横たわる彼らを見つめていた。
ちらりとに視線を寄越した大総統が一度頷いて息を吐き出す。
「君、私は先へ進む。追い掛けながら残党の始末を頼むよ」
「承知しました」
悠々とした姿で暗闇へと進んでいく大総統の背中は先に広がる闇さえも飲み込んでしまいそうだ。
醸し出すものは威厳だけでは無い。いつになっても見慣れる事の無い怖さがそこにはある。
大総統の背が完全に見えなくなった所では隣に佇むアームストロング少佐の背を叩いた。
軽く触れただけでの何倍もある巨体がびくりと揺れ、躊躇するような視線が降ってくる。
「上階で一般人を誘導する兵達の統率を頼む」
「――――、少将……」
「私は自分の意志で進むと決めた」
もう一度アームストロング少佐の背を叩き前に出て先へと歩いて行く。
背中に寄せられるのはアームストロング少佐の視線。
数歩進んだ所で一度立ち止まったは先に広がる暗闇を見つめたまま口を開いた。
「アームストロング少佐」
「――はい」
「殺す強さより殺さない強さの方が本来の姿だと、私は思っている」
ひらひらと片手を振って歩き出したの背中に「お気をつけて」とアームストロング少佐の言葉が届いた。
自分が選んだのは殺す強さ、そしてアームストロング少佐が選んだのは殺さない強さ。
どちらも向かう方向は同じはずなのに対極を向いているのだ。
手にしているナイフに視線を移せば先程男を切りつけた際に付着した血が暗闇の中でも黒々と鈍く光っている。
鼻に付く鉄分の臭いは何年経っても何人切っても慣れる事の無い死の臭いだと思った。
下水道特有の土埃や汚水の臭いと血の臭いが入り混じった空気は何とも居心地が悪い。
意識を集中させかすかに聞こえる音を頼りに歩いていけば座り込むアルフォンスの姿が見えた。
安堵を覚えたのも束の間、その先に大総統と恐らく今回の黒幕であろう男の姿も目に映る。
男の頭部には大総統のサーベルが突き刺さっており、通常の人間なら即死している状態だ。
しかし男は地に体を伏せたまま鋭い瞳をぎょろりと動かし息をしている。
ホムンクルスとは何と強い生物なのだろうか。
の姿を捉えたホムンクルスと大総統の視線が向けられ、同時にアルフォンスの視線も向けられる。
そして後ろからは二つの足音。
振り返れば先程倒したはずの男が二人、と言っても確実に重傷を負っており息も絶え絶えの様子だ。
アルフォンスの目の前で殺さなければならないのか。
揺らぎそうになる心にしっかりしろと叱咤してがナイフを掲げた。
と同時にアルフォンスの頭部が揺れたと思えば中から女の顔が覗き、どうやらアルフォンスの体が自由にならない状態であるという事を知る。
「……!さん!」
「話は後だ。とりあえずアルフォンスの中から出てきてもらおうか」
「ダメだ!さん……、この人は!」
見下ろすの視線を受けたアルフォンスが必死に自分の頭部を抑え中の人物に出てきてはいけないと叫んでいる。
中の人物はどうやら外に出たい様だが当然だろう。今外に自分の仲間達が居て、絶体絶命な状況に陥っているのだから。
「ああくそ、さっきの所でくたばっときゃ楽に死ねたなぁ、ロア。まったくツイてねー」
「尻尾を巻いて逃げてもいいぞ、ドルチェット」
「そうしたい所だがご主人様があんなんじゃなぁ。それに同胞に殺されるってのもどうかと思うしな、さんよぉ」
二人の男が荒い息を吐きながらへと視線を向け構えを取るのを合図にもまたナイフで構える。
同情は、無しだ。
一人の男がに飛びかかり、もう一人の男がアルフォンスへ近づいてアルフォンスを縛っていた鎖を断ち切った。
何事かと思えば彼らの顔には覚悟の笑みが浮かんでいる。
「そいつを逃がしてやってくれ、頼んだぞ」
アルフォンスに向かってそう呟いたと思えば今度は二人同時にへ攻撃を開始した。
だが先に大総統から受けた傷はそう軽いものでは無く二人の動きは最後の力を振り絞ったとでも言おうか。
腹の内側から湧き上がる叫びに無理矢理蓋をしてがナイフの形状を変え振りかかる。
耳に届いたのは悲痛なアルフォンスの声とアルフォンスの内側にいる人物の絶叫だった。
UP DATE : 2008.08.01