鉛のように重くなった心身を引き摺って執務室に戻ったとを迎えたのは顔色を青く染めた軍曹だった。
との顔を見た瞬間に口をパクパクと開き喋ろうとするが言葉が出ないようだ。
尋常ではない様子の軍曹を見て、二人ともただ事ではないと悟る。
どうしたのだと言いかけたところで軍曹が両手を震えさせながら一枚の書類を差し出した。
どうやら軍曹はこの書類を見て血相を変え、達を待っていたらしい。
軍曹から受け取った書類を手に取って文字を追い、とはその場で凍り付いた。
「マリア・ロス少尉をマース・ヒューズ准将殺害の重要参考人として拘束後聴取を開始……!」
「先程、アームストロング少佐が早急に少将へ伝えてほしいと持ってきたんですぅ」
先に動いたのは大佐だった。
自分のデスクの上の電話の受話器を引っ手繰って急く様にダイヤルし何処かへ繋げているようだ。
未だ書類の上に目を滑らせているの袖を軍曹が引っ張った。
「この分だと夕刻には全国紙に載るだろうって、少佐が」
「断定していないのにか?そんな滅茶苦茶な話が……」
半ば尋問口調で通信を繋げていた大佐が大きな音を立て受話器を下し、首を横に振った。
落胆なのか、怒りなのか複雑な表情を浮かべている。
「アームストロング少佐は出払っているようでブロッシュ軍曹が出ましたが、かなり一方的に連行され面会もままならないそうです」
「…………解せんな」
「どういう事ですか?」
腕を組み右手を顎に当て、脳内の思考を整理しようとする。
泣きそうな表情の軍曹と難しい表情を浮かべているの前に立ち、口を開く。
「ロス少尉が犯人かどうかは一先ず置いておくとして、急展開過ぎる」
「確かにそうですね。しかし内定捜査が進んでいて逃亡される前に拘束したという可能性も否定出来ません」
「だが、夕刻には全国紙に載るというのはもう既にロス少尉が犯人だと断定されたという事になる。まだ拘束されて聴取の途中なのだろう?」
「アームストロング少佐はそう言っていましたぁ」
ロス少尉はアームストロング少佐の部下の女性で、エルリック兄弟の護衛も務めてくれた人物だ。
アームストロング少佐は思慮深い人間だ。粗忽者を部下にするとは思えない。
第一ロス少尉にマースを殺す理由が見当たらない。
個人的に恨んでいたとしても殺意を持つほどであればアームストロング少佐が何かしら気付くはずだ。
とて、会った事がある。聡明そうな印象を受けた女性だ。
それに、人物がどうこうよりも事はあまりに急である。
通常ならば任意の元連行、拘束の後聴取、聴取も本人だけではなく上官や同僚からもされるはずだ。
物的証拠があったとしてもその証拠の裏付けを取る聴取にはそれなりの時間もかかるはずである。
まして殺人ともなれば現場を押さえているわけでもあるまいに即日犯人断定など出来るわけがない。
だと言うのに拘束された当日の夕刻に全国紙へ大々的に報じられるというのは異常としか言いようがないだろう。
「仮に、ロス少尉が犯人だったとして軍部の恥とも言える同胞殺しをわざわざ全国紙に載せるというのも解せない。間違いなく揉み消される類のものだ」
「ではこれは、何かしら裏があると?」
「そう考えるのが妥当だな。とにかく私はアームストロング少佐に会ってくる。恐らく軍部内にはいるはずだ。大佐はマリア・ロス少尉の詳細を徹底的に浚ってくれ」
「承知しました。では軍曹は少佐を掴まえて共に軍内部の動きについて追ってくれ」
わかりましたぁ!と返事して駆け出そうとする軍曹の腕と早急に立ち去ろうとする大佐の手を咄嗟の所で捉まえる。
考える事が山積みで、しかし一番に優先しなくてはならない事がにはあるのだ。
「二人とも、行動を誰にも悟られるな。我々は大総統閣下からこの件について一切の関与を禁じられている。いいか、絶対に目立つな」
の言葉を聞いて数秒の間を於き、二人は大きく頷いた。
そのまま三人で執務室を出て方々に散り、は中央司令部へ急ぎ足で向かう。
とて、マース殺害犯の情報は喉から手が出る程欲しい。
もしロス少尉が本当に犯人だったとしたら誰に止められようと誰に恨まれようとこの手で殺すだろう。
ロス少尉だけではない。誰が犯人であろうがきっとそうしてしまう自信がある。
だが、その前には何があっても自分の部下達を守らなくてはならないのだ。
特にはよりもずっとマースと旧知の仲であり思いも一入であろう。
どうしようもない焦燥感に駆られながら中央司令部の敷地内に足を踏み入れ、あくまで冷静を装って辺りに視線を張り巡らせる。
聴取されているのであればまず間違いなく中央司令部の取り調べ室を使用しているだろうと踏み、その勘は当たったようだ。
周りの軍人よりも大きなその巨体の後ろ姿は間違いなくアームストロング少佐である。
二度程大きく深呼吸しては努めて平然と口を開いた。
「こんなところにいたのか、アームストロング少佐。先の南方司令部視察の際の報告書について二、三聞きたい事があるのだが今忙しいか?」
の意図に気付いたのか、アームストロング少佐もまた繕う様な笑みを浮かべてへと近づいてきた。
そのまま無難な会話を続けながら外へ出て、中央司令部から離れていく。
ある程度歩き、憲兵達の気配を感じない場所まで移動してようやく本題を切り出した。
「実は先程面会する事が出来まして本人から話を聞いたのですが当日のアリバイは両親しか知らないようで、身内の証言は認められないと」
「物的証拠は」
「准将殺害に使用された弾は軍支給のものと同じ45口径であり使用弾数は一発、ロス少尉が使用しているものも同口径で最近補充したのも一発分、エルリック兄弟護衛の際に使用し補充したとのことです」
「言い逃れ出来ない状況か。しかし軍の者であれば同じ銃を使用し補充しているものもいるだろうに何故ロス少尉だけを?」
「当日殺害時刻に目撃証言があったそうです。ですがブロッシュ軍曹が言うには彼もまた一発使用し補充しているのだそうで、どうにもおかしいのです」
二人の間に沈黙が流れる。
恐らく考えている事は同じだろう。アームストロング少佐にロス少尉を疑う気持ちなど全くと言っていい程なさそうである。
市街地を歩き薄暗く細い路地に入った所で先を歩いていたが振り返った。
の様子に歩を止めたアームストロング少佐の襟首を掴み、右手の指に嵌めていた指輪で細く長いナイフを錬成し顔ギリギリへ寄せる。
驚きの表情を浮かべて固まるアームストロング少佐に体を密着させ口を開いた。
「私は、ロス少尉という人物をあまり知らん。だから少佐に聞く。彼女が犯人の可能性は無いと言い切れるか」
の声は辺りの空気を凍らせる程に冷たい。
嘘を吐いたらアームストロング少佐でさえ許さない、とそれを如実に表していた。
刺さる程に鋭いの視線を受けながら、アームストロング少佐はそれをしっかり受け止めて一つ頷く。
「彼女はそんな事が出来る人物ではありません。我輩が保証します」
「ではもし彼女が犯人であった時はどうする」
「その時は……、ヒューズ准将と少将の前で彼女と我輩が腹を掻っ捌いてけじめをつけましょう」
互いに鋭い視線を交わし合い、ふと息を吐いてはアームストロング少佐の襟首から手を放した。
すまなかったと告げればアームストロング少佐は、いえ、と呟いて笑みを浮かべる。
は実際ロス少尉の事を全く疑っていない訳ではない。それはアームストロング少佐も承知の上だろう。
だが、あまりにも出来過ぎた状況に猜疑心が消えないのだ。
まるで誰かがロス少尉をハメようとしているようにしか思えない。
それは恐らくロス少尉だけに対するものではなく、この事件を早急に収めてしまいたいと思っている誰かが仕組んでいるのだろう。
勿論、ロス少尉が本当に犯人である疑惑は拭えない。
だが、今更になって目撃証言が出てくる事からして妙なのだ。
人の記憶というものは時間が経つに連れ徐々に曖昧になっていくものである。
当時に出なかった重要証言が突然現れるものか。
アームストロング少佐と共に中央司令部へ向かいながら、さてどうしたものかと考える。
夕刻まで然程時間は無い。もう恐らく記事を差し止める事は不可能だろう。
そうすれば国民に対し大々的にロス少尉の名前は知られ、軍内部の犯行であると報じられることになる。
「少将、このままでは彼女は無実の罪で銃殺刑に処されてしまいます」
「兎に角拘束から逃れさせるのが先だな」
「しかし本人がいくら否定しても現状彼女を放免させる事はかなり難しいと思われます」
「なら、逃がすか」
さらりと言い放ったの言葉にアームストロング少佐が歩を止めた。
既に二人は中央司令部の敷地内へ戻ってきており、周りには憲兵が居る為は表情を変えずに、どうした?とアームストロング少佐に告げてみる。
言わんとしている事に気付いたのか再び歩き出したアームストロング少佐がに並んだ。
「正気ですか、少将。そんな事をすれば……!」
「要は我々の仕業だとバレなければいいのだろう?心配するな。そういうのは得意だ」
「少将!」
「無実、なのだろう?」
振り返り見据えたアームストロング少佐は力強く頷いた。
大総統府への道を歩きながらは忙しく脳内を働かせる。
収容所から人一人を脱獄させるというのは並大抵の事ではない。
以前に起こった中央刑務所への侵入事件のせいで刑務所や収容所関連の施設は警備が一層強固なものへ変わっているのだ。
や達特別任務部隊が踏み込めばまず間違いなくロス少尉への接近が疑われるだろう。
自分が動けないのならば、協力者を仰ぐしかない。
「少佐、演技の練習をしておけ」
「は?それは一体どういう事でしょうか……」
「これから先に起こる事は全てが茶番だという事だ。彼女が無罪であるならば私は彼女の生命を必ず保証した状態で国外へ出す」
の放った一言に、隣に居たアームストロング少佐が戸惑いながらも強い視線を寄せた。
無罪であるならば、その言葉に含まれた意味は説明しなくてもアームストロング少佐に伝わったようだ。
無罪であるならばロス少尉はが責任を以て国外へ逃がす。
だが万が一ロス少尉がマースを殺害している犯人だった場合は、その生命を保証しない。
つまりは、がこの手で殺すと断言しているようなものである。
どちらの場合にせよ、まず必要な事はロス少尉を達の手元、檻の中から脱出させなければ事は進まない。
檻から逃がしただけではすぐに捕まってしまうのは目に見えている。
ならばアメストリスの法が届かない所まで逃がしてしまうよりロス少尉の生命が守られる術は無いだろう。
が頭の中に描いたのは単純な方法だった。
「まず彼女が囚われている場所で何らかの騒ぎを起こす。それに乗じて脱出させ国外逃亡を図る」
「……少将、それは無茶ではありませんか」
「勿論そのまま逃がせば追手がかかる。だから彼女の死体を一体でっち上げる。伝手が無くも無い、方法は今から考える」
険しい表情を浮かべるアームストロング少佐の腕を叩いて、後で連絡を入れさせると告げ早足で歩く。
単純だが無謀な方法だ。しかし最善策を模索する時間等残されていないだろう。
兎に角今は一刻も早くあの無能大佐を呼び出し作戦を練らなくてはならない。
そう思ったは半ば駆けるように特務の執務室へと戻り部下を走らせる事となった。
UP DATE : 2015.09.30