特務の執務室へ戻ったは大佐や軍曹達が集めてきたマリア・ロス少尉の資料に目を通した。
短時間でよく集めたものだと思うが、内容は特筆すべきものではなく想像の範囲内に収まっている。
現時点ではマリア・ロス少尉に関して事件に関わっているともいないとも判断が付かないといった所だ。
執務室の奥、専用の執務室に全員を集めてソファへ腰掛け顔を突き合わせる。
「情報だけでは真偽が問えん以上どうにもならん」
「ではどうするのですか」
「面会はさせて貰えないでしょうから侵入して尋問でもしますか?」
「無理ですよぉ。軍法会議所の友達に聞いてきましたけどー、ものっすごい厳戒態勢だって言ってましたぁ」
やはり本人に問うしか達の求める答えを得る方法はないだろう。
手元の資料では、マリア・ロス少尉が如何に真面目で極一般的な軍人だったか程度のものがわかるのみだ。
眉間に皺を寄せ厳しい表情を浮かべる三人の前では軽く咳払いをした。
「私は真実が知りたい。しかしこのままでは真実は闇に葬られ彼女は銃殺刑に処される」
「でも、どうやって……」
「現状収容されているままだと我々には手が出せない。ならどうするか、答えは到って単純明快だ。彼女を我々の手元へ奪う」
の言葉を聞き視線を落としていた三人が一斉に顔を上げる。
大佐は些か困惑した表情で、少佐は目を見開き、軍曹は何故か目を輝かせ笑みを浮かべて。
即座に異議が出ない事からして表情は三者三様でも文句は無いようだ。
陽は既に傾こうとしている時間だ。急がなければならない。
執務室へ戻ってくるまでに考えた場当たり的な作戦だが、内容を話せば全員が大きく頷いてくれた。
作戦を話す間幾度か大佐の逆鱗に触れそうになったがその辺は大事の前の小事、何とか飲み込んでくれたようである。
「軍曹はそのメモの通りに買い出しを頼む。物は全ていつもの拠点へ運搬し、終わったらすぐにここへ戻ってくるように」
「わかりましたぁー」
「少佐はそうだな……、グラマン中将に呼び出されて東部へ行く、という事にして軍曹と同じ拠点へ」
軍曹に頼んだのは人体を模したものを錬成するのに必要な物の購入と運搬だ。
いつもの拠点、と告げた場所は特務の人間が身を隠す際等に使用しているアパートの一室である。
市街からは少し離れており、且つかなり入り組んだ造りの密集した住宅街なので他の軍部の人間には知られていないはずの場所だ。
「少将。私は作戦に異議も何もありませんが、一つ確認したい事があります」
「何だ、少佐」
「保護対象が保護対象で無くなった場合は特務権限に於いて執行しても構いませんか」
淡々と口にした少佐の言葉にも、大佐も軍曹も押し黙る。
保護対象が保護対象で無くなった場合、というのはマリア・ロス少尉がマース・ヒューズ准将殺害事件の犯人だった場合という事だ。
特務権限に於いて執行、即ち軍が追うべき犯罪者としてその場で即時処刑を行うという意味である。
今迄にも実際抵抗する凶悪犯罪者をその場で処刑した事は幾度もある。特別任務部隊局というのは所謂そういう部署なのだ。
数秒の沈黙を経て、は首を横に振った。
「だめだ。大総統から軍令が出た場合のみ許可するが、それ以外の場合は如何なる事態でも作戦通りに遂行しろ」
強い口調で告げたの言葉を聞き、一瞬訝しげな表情を浮かべたものの少佐が、わかりましたと呟いて頷く。
少佐に頼んだのは軍曹の用意した材料で人体を模したものの錬成とロス少尉の逃亡を主導する別働部隊である。
特務の中で最も隠密行動に長けているのは間違いなく少佐だろう。その腕はや大佐よりも上だ。
それにや大佐が別働部隊として動くには、この執務室及び大総統府を空ける言い訳を作る必要がある。
勿論、からすれば是が非でも自らが別働部隊としてロス少尉の身元を確保し尋問等々を行いたい気持ちは山々だ。
しかしそれには少なくとも口実をでっち上げるのに数日はかかる。現状そんなに時間をかけている余裕等無い。
それがわかっているからか、それとも重要な役目を自分に任せてもらえたからか、少佐が不満を口にする事は無かった。
真実を知りたい気持ちは皆同じだ。
早速出て行こうとする二人にストップをかけ、は口を開く。
「いいか、一番大切なのは自分の命だと肝に銘じておけ。作戦が失敗したり不安を感じたら即座に逃げろ。有事の際は……」
言いかけたの言葉に被せるようにして軍曹と少佐が不敵に笑った。
「他者を見捨てて」
「自分最優先ですよねぇー、少将」
危険が伴う任務の際にが必ず言う事を二人ともきちんと覚えているようだ。
二人の返答に満足だと頷いて口元だけでほんの少し微笑んでみせた。
作戦に移る前に、全員に伝えておかなければならない事がある。
「皆肝に銘じて貰いたい。もしも本当にマリア・ロス少尉が犯人だったとしたら我がアメストリス軍の捜査力等々は非常に優秀だと称えるべきだろう。だが……」
の言葉に全員の表情が引き締まる。
謂わんとした事がわかるのだろう。一瞬にして四人の間に緊迫した空気が流れた。
急速な展開、まるで筋書があるかのように流れる事態、考えたくはないが作為的、意図的なものを感じてしまう。
それは決してだけの勘違いではないだろう。
「もしマリア・ロス少尉が犯人では無く、犯人に仕立て上げられたとしたら真犯人はそれが出来る人物。即ち軍部の人間、しかも私より地位が上かもしれん」
「……でしょうね。これだけ短時間に様々な手配を整えるのは軍内部の相当な力と影響力を持った人間かそれに相当近しい人間にしか出来ません」
「真の敵は軍部、ですか」
「かもしれんという話だ。だがその可能性は十分にあるのでくれぐれも注意するように」
の目を見て軍曹も少佐もしっかりと頷いたのを確認し、二人の背中を見送る。
大総統府に所属する将軍が、部下に軍を疑って用心しろというのは何と嘆かわしく嫌な命令なのだろうかと思ってしまう。
出来る事なら全て自身で動いて彼らを巻き込まないようにしたい。
だが、それは現時点では不可能だ。ならば自分の部下を信じて待つより他にないのである。
歯痒いが、多くの人間を守る為に今考えられる最善の方法だろう。
扉が閉まる音を耳で捉えてからは向かい側のソファに座る大佐へと視線を向けた。
「逃走ルートの確保及び国外逃亡の手配は一時間後までに済ませます」
「ああ、頼む。後は花屋を使ってどこぞの無能を一時間半後にマースの墓前へ呼び出してくれ」
花屋とは言葉通りセントラルシティの中央街で花を売る屋台を経営している店主の事だ。
普通の花屋と違うのは、店主がアームストロング家に代々使える情報屋兼何でも屋だという事だろう。
オリヴィエがその手段を使って連絡を寄越したりしているうちにも何かと頼るようになった信頼の置ける人物である。
後は中央司令部憲兵隊の動きと予定を把握する事と方々への手回し、通常の執務も滞りなく終わらせなければならない。
ソファに背を預け目を瞑りこれから行わなくてはならない事を頭の中で幾度も復唱する。
「……すまない」
ぽつりと呟いたの言葉に大佐が振り返り怪訝な表情を浮かべた。
ロス少尉を国外へ逃亡させるには大佐の持つ力が必要不可欠だ。
人一人を国外へ逃がすのにはそれなりのルートや人脈が欠かせず一から整えるには時間がかかり過ぎ、現時点でそれを講じている余裕は無い。
しかし、シン国出身の祖父母を持ち今でもその方面に様々な交流がある大佐にはそれが出来る。
だがその力を行使する為に大佐の負う心労等を考慮すれば本来ならば頼むべきではないのかもしれない。
己の無力さに腹が立つ、そんなの心情に気付いたのだろう。
ソファに座り腕を組むの前に立った大佐が一つ咳払いをした。
「私は執務に必要な事以外何もしません。少将が私に謝罪する理由はどこにもありませんよ」
「だが……」
「少将、私が貴女に誓った事をお忘れですか。残りの人生、全身全霊を貴女に捧げると。貴女の決定は私の決定です」
大佐の言葉は真っ直ぐな矢の様に突き刺さり寸部の歪みも迷いも無かった。
常日頃から何よりもを優先し生きているような男だ。その分信頼も大きく、又、不安も大きい。
無理をさせているのではないか、上官としてではなく個人としての私利私欲を押し付けているのではないかと思ってしまうのだ。
「怖いのだ」
何が、と言わなくてもこの聡い副官はの気持ちを良く理解しているらしい。
事は個人では無く軍、いや、アメストリス国と言っても過言ではない程に大きなものだ。
下手をすれば以外の人間に害が及ばないとも言い切れない。
何せ、軍が捕まえた人間を軍に所属する自分達が逃がそうというのだ。
露見すれば反旗を翻したと思われ処分されても言い逃れ出来ない状況を招くことになる。
良くて降格や転属、悪ければ処刑される可能性だってあるのだ。
マースの事を追うのはにとって勿論重要な事だが、それを追う余りにもしも部下を失う事になったら……。
微動だにしなかった大佐が目の前で、ふ、と息を吐き真剣な表情を浮かべてを見据えた。
「守って差し上げます。貴女も貴女が大切にしている者達も。私は貴女の、・少将の手足になる為にここにいるのです」
用意していた言葉では無い、呼吸をするようさらりと吐き出された大佐の言葉を聞き、見失いかけていたの軸が定まっていくのを感じた。
周りを心配するふりをして本当はただ自分の事ばかり考えていたのかもしれない。
顔を上げたに、大丈夫だというよう大佐が大きく頷いた。
「だから少将は堂々としていれば良いのです。そうすれば私も、少佐や軍曹も安心して少将について行けます」
真正面からの目をじっと見つめそう告げた大佐が踵を返し執務室から退出していく背中を見送る。
全く不出来な自分に対し出来過ぎる部下だと言えるだろう。
目の前に置かれた既に冷め切っているコーヒーを一息に飲んで全ての不安や不満と共に深々と息を吐き出す。
お膳立ては全て彼らがやってくれるのだ。
無茶を言っても危険に晒しても、何があっても付いてきてくれるという確たる安心感が其処には或る。
彼らの信頼と期待を裏切らない為にも後はがすべき事を完璧にこなさなければならない。
一度両手で頬を叩いて立ち上がり、部下達の去った鎮まり返った執務室を後にして、友人の眠る場所へ向かう。
今夜、もしかしたら決着がつくのかもしれない。
そう思えばの足は地を踏む力が自然と籠っていった。
UP DATE : 2015.10.14