side story 氷結の錬金術師 05




待ち合わせ場所にて眉間に皺を盛大に刻んだ不機嫌な表情のを見た大佐が苦笑を浮かべて近づいてきた。
の雰囲気からか周りの憲兵は微動だにせず直立不動のまま背筋を伸ばし立っている。


「お待たせしてしまいましたか」
「待った。とてつもなく長時間待たされた。帰る」


姿を見るなり出口に向かって歩き出したの様子にまた大佐が苦笑を漏らした。
が歩けば憲兵達が波の様に引き道を空ける。
苛立ちは消えるどころか増すばかりだ。


「相当苛められましたか」
「別にそういう訳では無い。先程も言ったがむしゃくしゃしているだけだ」
「そういう事にしておきましょう。それで、どうでしたか」
「予想と違わぬ答えだ。余計な仕事を増やしてくれた礼でもしてやらないと気が済まないな」


大総統府への帰路を進みながら大佐の報告を受ける。
結果はやはり予想と同じ、他の囚人に対してアイザックの興味は向けられていないようだ。
中央刑務所に収容されている反体制派の囚人九割が正気を保っていない現状では妥当だと言えるだろう。
何もかもの気を重くさせる要因になっている。


数時間ぶりに自分の執務室へ戻ってきたは目に飛び込んできた光景にがっくりと肩を落とした。
今朝執務室を飛び出すまでは確かにのデスクには書類の一枚も残っていなかったはずだ。
出るまでに届いた各方々将軍からである苦情の書類は大佐のデスクに積みっぱなしで今も変わりない。
それがどうした事だろうか、戻ってきてみればデスクの上に数十センチにも上る高さで書類が積み上げられているではないか。
眩暈を感じふらつく足取りを気合で直して踏ん張った所で執務室の扉が開いた。


「あ、お帰りなさーい少将」
「……軍曹、いつ戻って、いやそれより何だこの書類は」
「さっき帰ってきたんですけどー、これ運ぶの大変だったんですからね!」


聞けば南部へ別案件で出張していた軍曹は昨夜のうちに処理を終え中央へ戻ってきていたらしい。
連絡を入れなかったのは突然戻ってきて達を驚かせようとしていたのだとか。
それで出勤してきた所、当の達は既に大総統命を受けて執務室を後にしていた。
誰もいない執務室を疑問に思っていた軍曹の下に各部署から書類を取りに来てくれと連絡が入り今の今まで律儀に書類運搬をしていたそうな。

軍曹の話を聞いたは幾度目かわからない盛大な溜息を吐き出して隣にいた大佐へ向きあった。


、私のデスクにゴミが大量に積まれているので処分してもいいか」
「気持ちはわかりますが駄目です。報告書を仕上げたらすぐに取りかかって下さいね」
「冗談だろう?今朝まで同じ作業をしていたというのに」


私の苦労を水の泡にしないで下さいよと言う軍曹に溜息。
そしてどこまでも実直で律儀な性格の厳しい副官にも溜息。
どうせ提出した処で一枚程度しか見もしないのだから捨ててしまっても同義だろうと思ったが口にはしなかった。

早速別に積まれた書類の処理に取り掛かろうとする大佐の肩を掴んで留まらせる。
扉の前で立ち止まっていた軍曹に対しお茶を淹れてくるように命じて退室させ、がニヤリと笑みを浮かべた。
もう面倒事は沢山だ。
積まれている書類の種類等見なくたってわかっている。
どうせまた激励という名の苦情と叱責だ。


「……駄目ですからね」
「まだ何も言っていない」


まあ座れと告げれば胡散臭そうな表情を浮かべた大佐がソファーに腰を下ろした。
ここ数日間で溜まったのストレスは既に頂点を突き破っている。
これ以上この状態を続けるのは心身共に良くない。


、私の嫌いな事は何だ」
「書類の処理に私の説教、少佐の執拗な迄に及ぶ追跡と女性や子供老人弱者に対する暴力とマスタングの……」
「それもそうだがもっと単純で私が最も嫌がる事だ」
「面倒臭い事……!」


言いかけた大佐がハっと表情を変え口籠る。
どうやらの言いたい事が一瞬にして理解出来たのだろう。
伊達に長年の副官を務めてはいない。何もかも即座に思い浮かぶその思考は尊敬の念すら覚えるものだ。
大佐の言葉を聞いたは口角を上げ笑みを浮かべた。
が最も嫌いな事は面倒臭い事、そのものだ。


「駄目です!大体辞令も出ていない状態で貴女が動けばどうなるかくらいわかるでしょう!マスタングの思惑も……」
「市内巡回中に ”偶然” 指名手配犯を見つけ ”偶然” そこに居合わせたマスタング大佐と鋼の錬金術師と共に指名手配犯を捕らえた」
「そんな偶然あって堪りますか!」
「たまたまでもいいのだが」
「言い回しが違うだけです!」


大佐の表情と声に焦りが生じているのはが仮にも上官であるという事をきちんと理解しているからだった。
常日頃ある程度は大佐の言い分を受け入れるも、本心を決めてしまえば誰の言い分も聞かない。
特別任務部隊局の局長はであり、階級もの方が高いのだ。
大総統命以外で特務の決定権は全てにある。


「ではこうしよう」
「……何ですか」
「他将軍殿の激励を受け奮起した特務の少将はアメストリス国に対し不利益を齎す犯罪者を一刻も早く拘束する為優秀な副官の言い分も聞かず勝手に飛び出した」
「ですから……!」


苦虫を千匹程口に含んだ様な表情を浮かべた大佐が両手でテーブルを叩いて立ち上がる。
そしてに背を向けると肩を揺らして執務室の扉に手をかけた。
大佐の様子を見たが小さな声で笑いを漏らす。
何だかんだ言って苦労をかけている事は自覚しているし、それでも受け入れてくれる副官には本当に頭の下がる思いだ。
扉に手をかけた大佐が振り返らずに口を開いた。


「――私は隣の部屋でこれから一心不乱に書類の処理をします。三時間はこの部屋に入室しません」
「充分だ、恩に着る」
「言っておきますが本日夕刻には少佐が東部から戻る予定です。私は知りませんからね」


傷一つ作ってみなさい、明日の朝陽は拝めませんからね。と恐ろしい言葉を残し大佐はの執務室から出て行った。
大佐の言葉を脳内で反芻し、急がなくてはならないとばかりにも立ち上がって窓枠に足をかける。
窓にかかっていたカーテンへ手を伸ばし一本のロープを錬成して柱に括りつけた。
よくサボる際がこの手を使っている事に気付いている優秀な副官は執務室のカーテンを随分頑丈なものに変えてくれたらしい。
するするとロープを伝って下りながらは別の意味で肝を冷やしていた。
大佐はまだいい。結局最後には折れてくれるしが不在である事も上手く誤魔化してくれる。
問題は夕刻に戻ってくる少佐だ。
が危ない件、しかもマスタング大佐絡みの問題に首を突っ込んだと知れれば何をされるかわかったものではない。
誰も彼も上官を上官と思わぬ扱いにの口から思わず笑い声が漏れた。
将軍の叱責はうざったいだけで済むが部下の叱責は恐ろしいので早めに戻る事にしよう。


大総統府を抜け出してが向かった先はセントラルシティの中心部。
途中巡回中の振りをして停車していた軍用車に立ち寄ってみたところ無線からアイザックの手によると思われる負傷者が出たという報告が聞こえたのだ。
負傷した憲兵の状態は全身に及ぶ火膨れ、体内部からによる全身火傷だという。
即座に思い浮かんだのは水蒸気爆発。
人体の70%は水分であり水は急激に温度を上げる事で爆発的な膨張を引き起こす。
事態は刻一刻と最悪の方向へ流れているようだ。

昨夜までアイザックに対し「抵抗するようであれば最悪の場合被疑者死亡」という形でも良いという事になっていた。
だが今朝からは「見つけ次第射殺しても構わない」という事態にまで陥っている。
今日中にアイザックを拘束する事が出来なければ特務にも辞令がくるはずだ。
尤も現時点で辞令が来ていない事自体にとっては訝しむ要因になっているのだが。

難しい表情を浮かべ歩いていたの視界に見覚えのある後姿を見つけ走り出す。
相手まで後数メートルを残しは思いきり飛び上がって右足を対象者に振りおろした。
の右足は見事対象者の背中にぶち当たり相手が地面に転がる。


「何だ…………!……、愛情表現が少々豊か過ぎないか」


が見つけ攻撃を仕掛けた相手はマスタング大佐だ。
地面に転がり驚いた表情を浮かべているマスタング大佐に対しは上から見下ろすよう無遠慮な視線を投げかける。


「何をちんたらやっている。貴様のせいで私のデスクはゴミ箱状態だ。アイザックにやられる前に殺すぞ」
「ふ、が言うと冗談に聞こえないから怖いな」
「当たり前だ。冗談では無く本気で言っている」


起き上がったマスタング大佐が軍服に付いた汚れを手で払って困ったように微笑む。
指揮を執る張本人がここまで出てきているという事はアイザックを殺さず確保する算段らしい。
とて出来ればそうしたい。そうしたが、そうさせてくれるかどうかはアイザック本人次第だ。


「無能のせいで私は朝から嫌な思いをさせられた。慰謝料を請求したいくらいだ」
「責任を取ってを妻に迎えるよ」
「その前に私自らお前を墓の中に招待してやる。状況は」
「芳しくないな。アームストロング少佐の部隊も出て捜索中だ」


銃器を構えた憲兵があちこちに配備されている状況で現在まで逃げ切っている所を見ればアイザックもそれなりに考えているらしい。
正直な所、銃器を構えた憲兵が何人いたところでそれ自体はアイザックにとって脅威にはなっていないだろう。
だが憲兵に見つかれば即座に国家錬金術師が動く。
焔の錬金術師、剛腕の錬金術師、鋼の錬金術師、そして夢幻の錬金術師。
これはアイザックにとって最も厄介な敵となり得るはずだ。


「エルリック兄弟は」
「残念ながら動いているよ。というか、軟禁されていたのではなかったのかい」
「私は今執務として市内巡回中だ。偶然犯罪者を見つけるかもしれないが……」


が言葉を続けようとした時、三路先から爆発音と土煙が舞い上がった。
一瞬の間を置き顔を見合わせたマスタング大佐とが同一方向へ走り出す。
舞い上がった土煙と共に飛んできたのはアームストロング少佐の顔を象った幾つかの土塊だった。




UP DATE : 2009.04.15