アイザックの作り出した巨大な氷の塊は、一直線に中央司令部と大総統府へと向かっている。
それは一つでは無く先程見た光の柱が立ち上ったであろう地点からもいくつか重なり合うようにして繋がっていく。
現場を離れる前、エルリック兄弟にはアームストロング少佐と共に居るようにと告げたが恐らく守られはしないだろう。
ならば先にアイザックまで辿り着くしかない。
「中央司令部と大総統府を氷漬けにでもするつもりですかね」
「さあな。暑い時期なら歓迎されたかもわからんのにな」
走る先に見えるのは巨大な氷の塊で出来た波に乗って突き進むアイザックの姿。
セントラルシティの地形を熟知した達にとって側面から追いつくのは何とか出来るが、相手は遥か上空に居る。
一人なら飛べば何ともない事だが、その代償は大き過ぎる故軍令に背く事になってしまう。
羽の事を知っているのは極僅かな者達だけであり、がそれの使用を認められるのは戦時中と特例時のみだ。
一般市民の多くいるこの場で羽を出せば事態は収束不可能なものになってしまうだろう。
様々なケースを想定しつつ難しい表情を浮かべて走るの袖を少佐が引いた。
ちらりと振り返れば少佐もまた難しい表情を浮かべている。
「少将」
「何だ、どうした。何か見つけたのか?」
の問いに緩く首を振った少佐が至極真剣な目でを見つめた。
「かき氷は何味が一番好きですか?私はイチゴミルクがいいのですが」
「言ってる場合か!!」
宇治金時も捨てがたいですね、と呟く少佐に頭を悩ませながらひた走る。
あちこちに蔓延る氷の壁のせいで路地がだいぶ塞がれているようだ。
憲兵達が必死に壊そうとするがなかなか進まず住民達の避難が遅れている。
このままではセントラルシティはパニックに陥ってしまうかもしれない。
人は日常を壊されると平常心を失い恐怖に駆られるものだ。
達の走る路地の正面にも氷の壁が見え、手前には憲兵達の姿も見える。
ここもまた氷の壁を崩そうと必死になっているようだ。
どうせここを通らなければ迂回する事になってしまうのだから分解してしまおうかと思った矢先、達の前に一人の軍人の姿が見えた。
その姿を見た瞬間、隣を走る少佐の表情が少しだけ不満そうに歪む。
前にいる軍人は全身水を被って濡れており軍服からひたひたと水滴を垂らしている。
その軍人が手袋を嵌めた片手を前に出し、指を弾けば指先から焔が走り氷の壁を一気に砕き溶かした。
焔の錬金術師、ロイ・マスタング大佐である。
「私の焔を……嘗めるな!!」
マスタング大佐の後方では優秀な副官であるホークアイ中尉が予備の手袋が入ったトランクを抱え大きな溜息を吐いていた。
彼女の苦労は人一倍であろう。
無能は雨の日だけにして下さいね、と呟くホークアイ中尉の心情は言わずと知れた。
実力はあるが少々注意力にかけるといった所だろうか。
怒りからか肩を揺らして前方を見据えるマスタング大佐の後ろに立っても一つ溜息を吐き出した。
その横ではホークアイ中尉の肩に手を置き同様に溜息を吐いた少佐が中尉を慰めるよう同情の表情を浮かべている。
「私の焔を嘗めるな、ですか。嘗められる様な真似をしなければ済む話なのですが……無能は嫌ですね。お気持ちお察ししますよ、ホークアイ中尉」
「全く同意だな。雨も降っていないのに無能化するとは情けなくて涙が出そうだ」
「ちなみに私は少将の舐めた飴なら口移しで奪って舐めるくらい余裕です」
「気持ちの悪い事を言うな!!」
散々な悪態を吐く二人の言葉が聞こえたのか忌々しげな表情を浮かべたままのマスタング大佐が振り返った。
少佐を見て表情を歪ませ、次いでを見て表情を緩ませる。
ずぶ濡れのままへと近づいてくるマスタング大佐に対し少佐が両手を広げの前に立ちはだかった。
「元国家錬金術師如きに嘗められているマスタング大佐は自分の水分でも舐めたら如何ですか」
「そこを退きたまえ、少佐」
「嫌です。少将に無能がうつると困りますからね」
心底どうでもいい口論を繰り広げようとしている少佐の袖を引いて先へと促す。
遊ぶのはアイザックをどうにかした後でも出来る。
少佐も状況を理解しているので然程嫌な顔もせずすんなりとの誘導に従って走り出した。
ぽつんと取り残される形となったマスタング大佐の表情は憮然としていたが、とりあえず放っておく。
暫くして横を走っていた少佐が小さい声を漏らした。
何かと思い少佐の視線を辿ったが思いきり表情を歪め上空を睨みつける。
そこには先程釘をさしておいたはずのエドワードとアルフォンスがアイザックと一戦交えている姿があった。
「む……、全く」
「ダメでしたね、まあ言う事を聞くタイプではないとわかっていますが」
「アームストロング少佐は良い具合に丸め込まれたのだろうな」
無茶をするなと言ってもするのだから今度はどこかに縛り付けておこうかと思った刹那、アイザックの体が氷の波から滑り落ちてくるのが覗えた。
落下地点へ急ぎつつ上空にいるエドワード達へ視線をやれば彼らもまたアイザックへ向かって氷の波から下りてきている。
早くしなければ再び接触して戦う事になってしまうだろう。
寸での処で追いついた達が滑りおりてきたエドワード達の前に飛び出る。
血濡れになったアイザックを見ればエドワード達が優勢であった事がわかった。
幸い大きな怪我はしていないようだ。
だが次の瞬間、地面に膝をついていたアイザックから真っ赤な氷の槍がエドワード達に向かって放たれる。
自分の血液を氷に錬成したのだ。
幾筋にもなって放たれたそれを数秒で全て打ち消す事等出来る訳も無く、舌打ちしたは全員の前に出てそれを肩で受け止めた。
「少将!!」
「!!」
少佐とエドワード、アルフォンスの悲痛な叫び声が響く。
アイザックから放たれた血の槍を肩で受け止めたの腕には同じく真っ赤な鮮血が流れ落ちた。
慌てて駆け寄ろうとした少佐を片手で制し、肩を押さえてアイザックを見据える。
相当な負傷をしたと見受けられるアイザックの負けはもう確定したも同然だった。
「お前らにはわからないのか!!この国の姿が!!」
そう吐き捨てて笑い声を発しながら去っていくアイザックを守るよう氷の壁が達の行く手を阻み、更に中央司令部の壁まで氷漬けにしていく。
ジャケットを脱いだはそのジャケットで負傷した左肩を縛り少佐へと向き合った。
少佐の表情は怒りからか嘆きからか硬くなっている。
ふ、と小さく微笑んで見せたが少佐の肩を叩いて口を開いた。
「かすり傷だ。心配をかけて済まなかった」
「……何故飛び出したんですか。私には貴女を守る義務があります。私は……!」
「知っている。私を甚振るのはお前だけでいいと思っているのだからな」
泣きそうな表情を浮かべながらも怨みがましい目を向け、そうですよと呟く少佐の肩をもう一度叩く。
そういえば大佐からかすり傷一つ作ったら明日の朝陽は拝めないと思え、と言われている事を思い出し少々肝が冷えた。
それよりも、とにかくアイザックを追わなければならない。
今にも飛び出しそうなエドワードとアルフォンスに向き直ったはあえて無表情を装って二人に対し口を開いた。
「追うなと言う命令が聞こえなかったのか、エドワードにアルフォンス」
「で、でも……!」
「でももだっても無い。軍務命令違反で厳罰にしてもいいんだが」
気不味そうな表情を浮かべるエドワードとアルフォンスに対し、もう絶対に追うなと告げ、次いで少佐に二人を見張るよう告げる。
そのまま走り出そうとすれば今度はに対し少佐がどこへ行くつもりかと半ば怒り気味に声を荒げた。
未だアイザックを捕えた訳では無いのだ。
早急に動かなければ被害が広がる恐れがある。
「……かき氷のシロップを買ってくる」
完全に嘘だとバレバレなの言葉に一瞬眉間に皺を刻んで視線を鋭くさせた少佐だったが、すぐに溜息を吐き出し首を縦に振った。
その代わり今度怪我したらその倍はいじめ倒しますからね、と付け加えるのも忘れずに。
少佐の言葉に片手をひらひらと振って応じ、目の前にある氷の壁を突き破って駆け出した。
アイザックが何を求め動いているのか、詳細はまだ知らない。
はそれを知りたかった。
相容れないとは理解している。それでも出来る事ならば自分が罪をかぶってもいいからその時期が来るまで逃げて欲しい。
いずれきっと必要な人物になってくるはずだと、そう直感が告げていた。
アイザックを追うのはそう難しい事ではなくなっていた。
地を伝うアイザックが流したであろう血痕を追っていけばいいだけの話だ。
程無くしてアイザックの背中を遠くに見つけた時、は思わずその場で足を止めてしまった。
アイザックの前にいるのはこの国の頂点に立つ者、軍の最高司令者キング・ブラッドレイ大総統。
大総統の姿を捉えた瞬間、は背中に這い上がる冷たいものに襲われ息をのんだ。
何故この場に、大総統がいるのか。
その姿を見た瞬間、は自分の思惑がもろくも崩れ去った事を理解した。
緊縛されたかのように動かなかった体がようやく動き始めた時、同時にアイザックも先程と同様の血の槍を持って大総統へと駆け出していく。
雄叫びを上げながら駆けていくアイザックと大総統の距離が無くなり接触した瞬間、は思わず「危ない」と叫んでしまった。
の言葉は大総統に向けられたものでは無い。
その証拠に大総統と接触したアイザックの体からは無数の血が噴き出していた。
崩れ落ちるアイザックの体から噴き出した血が路地に広がっていく。
つまらなそうにそれを一瞥した大総統は、次いで立ち竦んでいるへと視線を移した。
その瞳には何色も映されていない。底無しの恐怖がそこにはある気がした。
「君、いつもの様に処理を頼むよ」
大総統の言う処理という言葉に含まれている意味は、恐らくや上層部の人間しか知り得ないであろう。
アイザックの血で濡れたサーベルを振り払い、腰元に戻した大総統がの横を通り過ぎる。
肩を掴まれた瞬間、の体が震えた。
「……了解しました」
の言葉に軽く頷いた大総統が路地裏から消えていく。
既に虫の息となったアイザックの腕を掴んでもまたひっそりと静まり返った路地裏からまた路地裏へと足を進めた。
アイザックは虫の息だが未だ生命を留めている。
それは偏に大総統がそうなるように攻撃を調整した結果だった。
UP DATE : 2009.09.13