08
ブルックの言葉を待たずしてルフィの顔に笑みが浮かぶ。
彼の言う「仲間」に心当たりのある麦わらの船員達は多かった。
「ああ、ラブーンの事だろ?知ってるよ。フランキー達から聞いたからな」
「え、ああそうなんです。ラブーン、そういう名前のクジラなんですけど」
ある岬に、と語りながらもブルックの手は滑らかに鍵盤の上で踊る。
優しくも陽気な音色はラブーンの事を思うブルックの気持ちが込められているように辺りへ沁みていく。
にこにこと笑みを浮かべるルフィ、思いを馳せるブルックの醸し出す空気を感じは少しだけその場から身を引いた。
ブルックの弾く音色を聴いていると何故か体の奥が少しだけ、苦しくなるのだ。
「だからよ、ブルック。おれ達双子岬でラブーンに会ってんだ!本当に!あそこで50年ラブーンが仲間の帰りをずっと待ってるのは知ってた」
ブルックに向かい合う様ピアノの上に乗ったルフィが顔を覗き込んで訴えかける。
その言葉に一瞬ブルックの弾くピアノの音色が乱れ、戸惑った様な指の動きがブルックの心情を表していた。
そんなブルックの様子等お構いなしにルフィは嬉しそうな表情を浮かべ言葉を紡いでいく。
「だから驚いたよ、あいつの待ち続けてる海賊達の生き残りがお前だってわかった時は。そしてお前はちゃんとまだ約束を覚えてる」
これを知ったらラブーンは喜ぶだろうなと告げて満面の笑みを浮かべるルフィこそ、まるで当事者の様に喜びを顕わにしている。
二人の交わす会話を耳に入れながらは壁際に移動してゆっくりと目をつぶった。
私がこの世界にきてから一体どれ程の月日が流れたのだろう。
一日の長さは変わらないのだろうか。体感は変わらなくても実際の所比べる材料が見当たらない。
朝がきて日が昇り頂点まで達しゆっくりと傾き日が落ちて闇に包まれた夜が訪れまた日が昇る。
こちらに来た、正確にはルフィ達と出会い夜を迎えたあの日から毎日手帳に日数を書き込んでいるがそれが元の世界の日数と照らし合わせられるかはわからない。
もし全く同じ速度で時を刻んでいるのだとしても、少なくとも半年近くは経過しているはずだ。
半年ならば覚えていてくれる人もいるだろう。だがそれが一年、二年、十年、二十年だったら……。
覚えていたってもう私が戻ってくる等と思っている人物はいないかもしれない。
いや、そもそも戻ってくるという概念すらない場合だってある。
死んだ、と思われていれば私はもうあちらの世界で過去の人間という事になるのだろう。
「今もまだ……!あの岬で待っていてくれるんですか!?ラブーンは……!」
弾むような驚きを含んだブルックの声がピアノの音色と共に響く。
自分に置き換えてみればブルックの反応は至極当然であり、はいそうですかとあっさり信じられる事ではないだろう。
何せ50年だ。長い長い月日、一味で最年長のフランキーすらこの世に生存しておらずならば現年齢の二倍の長さだ。
嬉しそうなルフィやブルックの声が響く度、の中で言い知れぬ何かが這い上がり支配しようとしていた。
「元気でしたか?」
「元気だった」
「大きく……なってるんでしょうね」
「山みてェだったよ」
私達が別れた時なんてまだ小舟程の大きさで可愛かった、ちょっと聞き分け悪かったけれど音楽好きで、いい子で……。
噛み締める様に、古いアルバムを開きながら写真の一つ一つを見て言葉を探すよう、酷く優しい口調でブルックの言葉が続く。
「そうですか……!!彼は、元気ですか……!!」
一度大きく鍵盤を叩く音が聞こえ、次いでブルックの漏らす嗚咽が聞こえた。
鼻をすする音、しゃくる様な喉の震える音、苦しそうに息を吐く音が響き、目を開けなくとも今ブルックがどういう状態に陥っているのか容易に想像出来る。
歓喜、感動、郷愁、忘れられない記憶、思い出、様々だろう。
どんな人物であれ何であれ存在する以上そこには他人が味わう事の出来ないその者だけの歴史があるのだ。
腕を組み壁に背を預け瞼を閉じたままはその場で別の事を考えていた。
自分では到底考えられない、拷問にも等しい時間を送ってきたであろうブルックの事を羨ましいとすら思ってしまうのだ。
そう思う度に自分は何て醜い人間なのかと思ってしまう。
全てはあんな場所へ行ってしまったせいだと何度自分に訴えかけても苦しさが消えてはくれない。
くまを前にして、彼らの為ならば命が終わる事も辞さない、構わないと本気で思ったはずだ。
それほどまでに大切な彼らと共にいる、それなのに苦しくて堪らなかった。
もう会えないであろう彼らの顔ばかり目にちらちらと浮かんでは消える。
ふと、昔聞いた話を思い出した。
生物は死して肉体を地に置き去り、精神と魂は一体となり天へ昇るのだ、と。
当時は根拠も何もない諸説だと鼻で笑ったし今だって適当な話だと思っている。
しかし、もしそういう事があったのだとしたらば自分の命が終わった時、自分の精神と魂はどこへ昇華されるのだろうか。
あの世と言われる場所にもこちらの世界だとかあちらの世界だとかがあるのだろうか。
つらつらとが違う事を考えているうちにブルックの奏でる音色が変わった。
邪魔にならない程度の、それでいて静かにならない、この場に合わせたゆっくりなテンポの単調な曲だ。
無意識の内にその音色を奏でているのかもしれない。
わいわいと楽しそうな会話が飛び交う少し離れたテーブルでは未だ宴が続けられている。
その喧騒に身を隠すようこの場だけひっそりと切り取られた一角になったみたいだと思った。
未だ少々涙に震える声でブルックが静かに語り始める。
ブルックのかつていた海賊団、ルンバー海賊団はある時まだ小さな子供であるクジラのラブーンと出会った。
辺りに他のクジラはおらず寂しそうな目をしたラブーンは恐らく群れから逸れてしまったのだろうと推測される。
不安そうに目を揺らすラブーンを見つけたブルック達は得意の楽器演奏で何とかラブーンを元気づけようとした。
根っから陽気なルンバー海賊団、目の前でしょげている子供はクジラとて放っておけぬという事か。
その音色に惹かれたのか、ラブーンはブルック達を大層気に入りブルック達の船についてきたのだと言う。
まるでブルック達の船を母と見立て寄り添う小舟の様なラブーンをブルック達もまた大層気に入っていた。
勿論ブルック達も最初はラブーンを親元へ帰そうとしていたのだが、何せラブーンが離れていかない。
そう日の経たず内に船員達は彼を仲間の様に扱い始め、名を付け食事すら共にするようになった。
時にブルック達は襲い掛かる海獣からラブーンを助け、時にラブーンは他の海賊達と戦闘になり海に投げ出されたブルック達を助け共に支えあった。
もはやラブーンはブルック達ルンバー海賊団にとって仲間であり同志とも取れる存在へ変化していく。
だが、幸せな時は長く続かなかった。
ブルック達ルンバー海賊団もまた海賊王への道程を目指す者。
広く大きく長い旅路である海を進めば進む程危険度は増していくのだ。
子供であり、まして船に乗せる事の出来ないラブーンを連れ偉大なる航路を進む訳にはいかない。
可愛い子だ。放っておくのは心苦しい。誰もがそう思っていた。
しかし、だからこそこの先守る事が難しくなるであろう海へ連れていく事は出来ない。
ラブーンが大事だからこそ、比較的安全であるこの海域に置いていこう。
苦渋の決断を迫られた末、ルンバー海賊団は偉大なる航路へ入る手前でラブーンとの別れを決意した。
ブルック達は幾度もラブーンに話して聞かせようとしたがラブーンは一向に聞く耳を持たない。
それどころかブルック達の言葉を遮るように声まで上げる始末だった。
ブルック達とて意地悪くこの場所へラブーンを置いていこうとしている訳ではない。
説得の度ラブーンの純真な瞳で見つめられ悲しい視線を受けるのはとてもつらい事だった。
だが、もう決めた事だ。
ブルック達ルンバー海賊団はラブーンを徹底的に無視し船を進めた。
最初の数日は幾度も視界の端に必死でついてこようとしているラブーンが映った。
しかし一日経ち、二日経ち、暫くするとラブーンの姿は無くなっていた。
ブルック達の心には安堵、そして寂しさと小さな罪悪感が浮かぶ。
だがこれで良かったのだと全員が全員を励まし、ついにブルック達ルンバー海賊団は偉大なる航路の入り口を示す導きの灯へ到達した。
嵐に飲まれ幾度も挫折しそうになりながらやっとの思いで偉大なる航路の入り口である双子岬へ着いた時、その事件は起こる。
ようやく偉大なる航路へ入る事が出来た喜びを噛み締めているまさにその時、今の今迄見る事の無かったラブーンの姿がそこにはあったのだ。
ブルック達ルンバー海賊団は驚き、喜んではいけないというのにラブーンの姿を見て全員が手放しで喜んだ。
そこである一つの決意をする。
ラブーンはもう立派なルンバー海賊団の仲間である。
だからこそ今度はきちんと説得し、置いていくのではなくこの場で待っていて貰おう、と。
嵐に飲まれ険しい道程を越えたルンバー海賊団の船は補修が必要であり、その期間ブルック達はラブーンと陽気に過ごした。
そして毎日ラブーンにこれからの事を言って聞かせ、時に笑い時に怒り辛抱強く説得を続ける。
そのおかげか三ヶ月経ちいざ出港の時を迎えたルンバー海賊団をラブーンはいつもの可愛らしい笑顔で見送ってくれたのだという。
幸いな事に双子岬に住むクロッカスがブルック達の帰りを待つラブーンの世話を買って出てくれたのだ。
お互い寂しくはあるけれど、再びまた会うその日まで今度は希望の別れだった。
今度戻ってきたら、その時はもうラブーンを置いて行ったりはしない。
どこまでも一緒に冒険しよう。おれ達は仲間だ。必ず戻ってくるから待っていてくれ。
そう告げてルンバー海賊団の船は双子岬から出港した。
それから暫くは誰一人欠ける事無く概ね順調な旅路だったと言えるだろう。
ルンバー海賊団の名声は少しずつ確実に大きくなり、船は偉大なる航路を進んでいく。
戦いに勝ち名を上げ、その名が少しでも早く双子岬へ届くように。
感傷に浸る時も陽気に歌い、楽しくて歌い、賑やかで幸せな旅。
それは唐突に終わりを告げる事となる。
偉大なる航路上にあるとある島、密林が島に蔓延る熱帯の地を離れたルンバー海賊団に異変が起こったのだ。
船長のヨーキを始めルンバー海賊団の数十人が未知のウイルスに感染したのである。
優秀な船医を以てしてもその未知のウイルスに対抗する術は無く、仲間達は日に日に衰弱していった。
このままではこの船に乗る全員がこの場で命を落とす事になる。
船長であるヨーキは一つの決断を迫られた。
未感染者全員を副船長であるブルックに託し近くの島へ置いていく、という決断をしたのである。
長い道程を共にしてきた船はあちこちにガタがきていたし、病原体が残っていないとも限らない。
見知らぬ地とは言え他者の住む地に病原体を持ち込む訳にもいかず、ブルック達にとってもまた酷く苦しい決断だった。
離れる前夜、ブルックだけに見せたヨーキ船長の涙、無念の言葉を胸にブルック達は苦しいながらも前に進んだ。
そして、遂に最後の日が訪れる。
魔の海域へ差しかかったブルック達の船は他の海賊団の船から強襲を受けた。
規模も能力も桁違いである海賊団の前にブルック達は抵抗も空しく倒れたのであった。
自ら選んだ海賊という人生に悔いは無い。
しかし全員の心に引っかかっていたのは双子岬へ残してきたラブーンの存在である。
既にヨミヨミの実を食べて能力者となっていたブルックは再び生き返る可能性があった。
ならば、自分達が確かに存在していた、ルンバー海賊団は明るく楽しく旅を終えたのだというメッセージを残したい、ラブーンへ届けて欲しい。
そう考えたルンバー海賊団は昔商船から買った音貝にラブーンも、ヨーキ船長も愛したあの歌を残したいと思ったのだ。
息も絶え絶えにルンバー海賊団一世一代の大合唱が始まる。
「今、かけても構いませんか?」
「おー聴きてェ!そりゃラブーン喜ぶだろうなー!」
静かに語りかける様なブルックの言葉が途切れ、次いで荒い音質の曲が流れ始める。
それは初めて聴くの耳にすら自然と入り込んでくる陽気で明るく楽しい歌だった。
閉じていた瞼をそっと開き大合唱を奏でるテーブルを前にピアノを引き続けるブルックを見る。
の目に映ったブルックの姿は先程までとは違い実に晴れ晴れとした様子であった。
「かつて仲間達と共に命いっぱいに唄ったこの唄、ルンバー海賊団最後の大合唱。暗い暗い霧の海を一人彷徨った50年間」
一人ぼっちの大きな船でこの唄は唯一私以外の命を感じさせてくれた、とブルックは語る。
ラブーンの生存も知りブルックの影も戻った今、音貝に蓄えたルンバー海賊団の唄声はもう昔を懐かしむ為の唄では無い。
生きて、正面から堂々とラブーンに届ける為の唄になったのだ。
「辛くない日などなかった。希望なんか正直見えもしなかった。でもね、ルフィさん、私生きててよかった!!」
ブルックの心からの叫びは喜びに満ち溢れていた。
そんなブルックの様子を見て誰もが目を合わせ微笑みあう。
「あ、私仲間になっていいですか?」
「おう、いいぞ!」
つい数秒まで感動的な、喜びに浸っていたブルックがあっさりと放った一言にルフィもまたあっさりと返答を返す。
それはたった一瞬の出来事。ブルックとルフィと以外の全員が驚きの声をあげた。
だが拒否を示す者などこの場には誰もいない。
皆がブルックの加入を心から歓迎していた。
「申し遅れました、私、死んで骨だけ、名をブルックと申します。フダツキでございます」
麦わらの一味を前にしてブルックが片膝をつき手配書を差し出す。
少し離れた場所にいるにもそれはハッキリと見る事が出来た。
通称鼻唄のブルック、懸賞金3,300万ベリー。
ブルックの話では、昔とある王国の護衛戦団の団長を務めその後ルンバー海賊団船長代理音楽家兼剣士を務めていたらしい。
「今日より麦わらのルフィ船長にこの命お預かり頂きます!皆さんのお荷物にならぬ様に骨身を惜しまず頑張ります!」
ブルックの陽気な笑い声とルフィ達の歓声が響き渡る。
壁に背を預けていたはそっと気付かれぬようその場を後にした。
酷くぐるぐると回り続ける思考を落ちつかせる為に外へ出て新鮮な空気を吸い込む。
何故か、無性に一人になりたかった。
10.02.12
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