君が好き




カラン、と音を立てグラスの中で大きな氷が転がる。
深夜のキッチン、船員達は既に寝静まっており不寝番も物音ひとつ立てず静かなものだ。
風も穏やかで波も無く船は海上に在ると思えないほど揺らがない。
ふとキッチンの窓から見上げた夜空には丸い月が浮かぶ。
耳を澄ませてもわずかな音しか聞き取れない、静かな夜だった。

喉を滑り落ちるブランデーはやけに高い度数のせいか焼けるように熱く感じる。
仕込みを終えた深夜のキッチンにおれを邪魔するものは何一つ無い。
深酒はしないようにしている。
最低限の予定を立てある程度のトラブルを予測し旅する船の食糧事情を守る為、日々格闘。
いつ不測の事態が訪れるかわからない。
だからこそ日々一定の節度ある生活を心がけていた。
航海する海賊として、それを守る料理人として。

けれど、たまには酔っ払ってしまいたい日だってあるのだ。
飲んで忘れられるのであれば今すぐ船に積んである全ての酒を飲んでしまいたいくらいに。

いつからだろう。
この気持ちに気付いてしまった時からおれはもうずっと彼女に恋し続けていたのかもしれない。


ちゃん……」


グラスの中で転がる氷を弄びながら想い人の名を呟く。
ゆっくりと瞼を閉じて瞳の裏に描くのは愛しい人の顔。


嬉しそうにハニかむ顔がクソ可愛い。
小さな事でいちいち喜んで目を輝かせる姿が愛おしい。
他者が傷つけられて悲しみ大粒の涙を流す濡れた瞳は見ているこっちの方が胸を締め付けられる程に苦しい。
そして、静かに怒りを表す強い意思が燃えるように狂おしくて、守りたくなる。

花開くように微笑む顔。
頬を膨らませ拗ねる顔。
眉を下げて困惑する顔。
怒られて落ち込む顔。

髪も目も鼻も唇も輪郭も耳も腕も足も何もかも寸部違わず瞳の裏で再現出来る。
なのに瞳を開けてちゃんを見てしまえば触れる事すら叶わなくなるんだ。

我ながら弱気なものだと思う。
女性に対し完璧な程紳士的に振る舞えてきたはずの自分が、ちゃんを前にしただけで意図も容易く崩れ落ちてしまうのだから。

目が合えば胸が高鳴り頬に熱が上がって身動きが取れなくなる。
名前を呼ばれただけで、呼吸すら上手く出来なくなってしまいそうだ。


ちゃん……」


こうして幾度深夜のキッチンで名を呼んだ事だろう。
決して誰の耳にも入らぬよう、たった一人で、消え入りそうな声で。
それが精一杯。

もう何杯目になるかわからないブランデーを飲み込んでテーブルに顔を伏せる。
アルコールのせいで上がった心拍数はやけに耳をついて胸の辺りが苦しくなった。


―― おれがちゃんを好きだと言ったら、ちゃんはどうするの? ――


答えはいつも同じ。
十中八九ちゃんは困惑の表情を浮かべて、おれが「冗談だよ」と言うのを待つだろう。
そしてちゃんはきっとこう言うのだ。
「そういう事は本当に好きな人に言わないとダメですよ、サンジさん」と。
とても優しくてとても残酷な一言を。


おれはちゃんにとってきっといつまで経っても ”料理人” であり ”仲間” なのだ。 
それが嬉しいとも思うし、酷く苦しいとも思う。
仲間ならいつまでも傍にいられる。
仲間だからいつまでも傍にいられない。
同じ様で対極の答えはいつでもおれの頭の中をぐるぐると回って悩ませる。


「あァ……クソ苦しい……」


吐き出した息は熱くてアルコールの匂いを存分に含んでいた。
それがまた情けなくて苛々とささくれ立った気持ちが全身を支配していく。
もう体を起こす力どころか瞼を開ける力すら湧かず鉛の様な重さに体を任せた。

考えないようにしようとすれば余計に浮かび、決して消えていく事は無い。
まるで麻薬の様に性質の悪い毒だ。
けれど、無くなってしまえばおれじゃない。そのくらい大事で、甘い毒。
それでもって、薬。

もうこのまま酔いに任せて眠ってしまおう。
そうすればきっと、明日の朝はいつものおれに戻れるから。








夜中、喉の渇きを覚えて目を覚ました。
水を飲みに行こうと足音を忍ばせてキッチンへ行ってみて灯りがついている事に気付く。
時間は夜中もいい処、てっきり真っ暗だと思っていたのに。
もしやと思いこっそり覗いてみて、見慣れた金色の髪が揺れているのが見えた。

キッチンのテーブルに伏せて寝息を立てていたのはこの船のコックさんであるサンジさんだ。
どうしようかな、と少しだけ悩んで来た道を引き返す。
来た時と同じ様に足音を忍ばせて部屋へ戻り、タオルケットを掴んでまた廊下に出た。

深夜の船内はひっそりと静まり返っていて漂う空気も冷たい。
こんな時間に疲れてその場で眠ってしまうほど働いている彼は本当にすごいと思う。

音を立てないようにキッチンのドアを開けてサンジさんの眠るテーブルへ近づく。
起こしてしまわないよう細心の注意を払って眠っているサンジさんの肩からタオルケットをかぶせた。
テーブルに腕をついて顔を伏せるようにし眠っているサンジさんの横顔は男の人とは思えない程綺麗だ。
静かな寝息を確認し、眠っているのをいい事にまじまじと顔を見つめる。

伏せられた瞳の下は少しだけクマが出来ているみたいだ。
それでも凄く綺麗な寝顔。
手のひらが荒れているのは毎日料理に奮闘しているからだろう。
その手があまりに愛おしくて、つい指先でサンジさんの手に触れてしまった。


料理している時の真剣な、でも嬉しそうなサンジさんも好き。
何かを語る時、きらきらとした瞳を見せるサンジさんも好き。
私やナミにロビンへ見せる余裕のあるサンジさんも好き。
食糧庫を荒らした人達へ怒りを見せるサンジさんも好き。
勝気な笑みを浮かべるサンジさんも、冗談を言っている時のサンジさんも好き。
戦っている時の男らしいサンジさんも好き。

全部全部、サンジさんの全てが好き。


きっとサンジさんにそんな事を伝えても答えは決まっている。
きょとんとした表情を浮かべた後いつもの笑みを浮かべて「おれもです、レディ」なんて気の無い返事をするのだろう。
本気にはしてくれない。
ナミにもロビンにも同じ答えを返すのだ。

サンジさんにとって私は ”仲間” だから特別。
サンジさんにとって私は ”仲間” だから特別じゃない。
それは私にとって凄く嬉しくて、凄く苦しい。


頬にかかる金色の髪を梳いて完全に眠っているサンジさんの耳元に唇を寄せる。
心臓がドキドキとうるさく音を立てて全身に緊張が走った。


「いつも……ありがとう、サンジさん」


一番言いたい言葉はいつも言えない。
こんな言葉ですら面と向かってサンジさんに言う事すら出来ないのだから。

我ながら弱虫だなって思う。
眠っているサンジさんにしか素直な気持ちを伝える事が出来ない。
でも、これが今の私にとっての精一杯。

もう一度だけ眠っているサンジさんの顔を見て、少しずつ身を引き離れていく。
本当はずっと見ていたいけれど起こしてしまっては悪いし、万が一バレたら恥ずかしい。
目に映る金色の髪に名残惜しさを感じつつ、キッチンを後にした。


砂糖菓子の様に甘い甘いモノをくれるサンジさんは時々ちょっと苦くて切ないモノも同時にくれる。
それはいつまでも私の心の中に残って、決して消えてはくれないのだ。
けれど、消えないで欲しいと願う私もいる。


女部屋に戻ってきてベッドに入り頭から布団をかぶって目を瞑った。
胸の高鳴りは消えてくれない。
サンジさんに対する感情がどこからともなく溢れ出て全てを侵食してしまいそうだ。

特別って素敵で、とても怖い。
手に入れられれば嬉しいけれど、失ってしまったらきっともう立ち直れなくなってしまう。
だから今はこの気持ちに蓋をしなければいけない。

胸に手をあてて深く息を吸い込む。

もう眠ってしまおう。
目が覚めた時にはきっとこの胸の高鳴りも消えていつもの私に戻れるから。


仲間で、大切な人で、失いたくない人。




UP DATE : 2008.12.26