09
ありえないなんて事はありえない。
常識は個々の見解により際限無く上下するものだ。
今迄幾度、ありえないと思う現象に出会ってきた事だろうか。
その度自分に言い聞かせる。ありえないなんて事はありえない。
だが、今現実に在る光景はにとってまさにありえないものであった。
いや、にとってだけでは無い。恐らく麦わらの一味全員にとって其れは非現実的な存在である。
「貴様をブチ殺すと心に決めでオラは海さ出た……!」
怒りか哀しみか、様々な感情が綯い交ぜになり仮面の外れたデュバルの言葉が震える。
デュバルから視線を外す事が出来そうにない。
それ程デュバルの正体はにとって、麦わらの一味にとって衝撃的なものであった。
「だどもおめェを探すのは大変だったべっちゃ、手配書と本人の顔が違ェから……」
もしが麦わらの一味でなかったら、デュバルに深く同情していたかもしれない。
そう思う程彼に訪れた悲劇は大きくその心情を慮る事が出来る。
悲劇、そういうべきか。
どちらかと言えば奇跡とも呼べなくも無いだろう。
「海軍や賞金稼ぎはもすかすて本人を見がげでも素通りがもすれねェぬらなァ」
それにしてもあれだ。どうにもこうにも言葉が訛り過ぎていて聞きとりづらい。
頬の筋肉がピクピクと小刻みに動くのを感じは両手を頬にあてた。
内頬を噛まないとこの震えは抑えられそうにない。
耐える事がこんなにつらいとは、今迄に経験した事の無い類のつらさでもある。
「そいつらは言う、見づげたどー黒足のサンジ!――そしてオラは言う」
が頬の震えを必死で我慢している間に余所ではサンジが船から飛び降りデュバルへ向かい走っていた。
次の行動が読めるだけに何とも言い難い。
そう、言葉にするのであれば、どちらもご愁傷様といった所だろうか。
正直どちらにも同情出来る。
「オラ違うよォ、オラそんな奴知らねェ、海賊ですらねェぬらべっちゃ!」
「知るかァー!!」
泣いて訴えるデュバルの顔面に勢いよく降り立ったサンジの跳び蹴りがぶち当たる。
達にとってデュバルは初対面だが、見た事のある人物でもあった。
語弊がありそうだが、そういう事なのだ。
会った事は無い。デュバルという人間が存在していた事も知らない。
だが、確かに達はその顔に見覚えがあるのだ。
デュバルの顔は、海軍が大々的に配布したサンジの手配書のイラストに瓜二つ、そっくりだったのである。
「ウリ二つだな、……おい、笑いたきゃ笑った方がいいんじゃねェのか?頬引き攣ってんぞ」
「む、――――断じてそんな事は無い、ただ私は人類の歩んできた歴史とその進化の過程について……」
「じゃあ両手放してみろよ」
頬にあてていた両手をゾロに取られ、思わず口元を歪める。
笑わずにいろという方がにとっては無理な注文なのだ。
ただこの場合、笑ったらどちらに対して失礼なのだろうかとかどうでもいい事も浮かぶのだが。
「コラァクソマリモ!てめェ何ちゃんの手握ってやがる!オロすぞ!」
「鏡見て喋ってんのか?」
「ぜってェオロす!そしてブルックてめェ後ではっ倒すぞ!」
の手を掴むゾロに喧嘩を売ったり爆笑するブルックに吠えたりとサンジも大概忙しい。
それにしても見事だ。サンジの手配書に載せられている人相描きは正直こんな人間いるか!と突っ込みたくなる様なものだ。
だが、あの人相描きそっくりな人物が今こうして目の前にいるのである。
世界は広い。正にその一言に尽きる。出来る事ならば両親の顔を見てみたいとすら思う。
手配書が配布されてからデュバルを襲った被害について滔々と語られる内容は確かに同情を禁じ得ないものだ。
サンジの顔を知らない人物がデュバルを見れば、確実に彼が黒足のサンジと呼ばれる人物だと判断するであろう。
「日々こうして感動や発見を繰り返し生きていくものなのだな、いい勉強になった」
「じゃあサンジ、おれ達先行ってるから」
「おれのせいか!?これ!」
既に興味を失くしたのかさらっと冷たい事を告げるルフィに同意する仲間達へサンジが半ばやけになったような声を出す。
そうカリカリせずに肩を並べて記念写真でも撮ってはどうだろうかと思ったが、余計な事は口に出さないでおく事にした。
あまりに茶化せばサンジが更におかしくなりそうだし、これ以上何かを言う事も憚られる。理由云々は語らずとして。
しかしこのまま、はいさようならというのも勿体無い気がする。
何せ、奇跡だ。恐らくもう二度と起こらないであろう類の出来事である。
世の中似た人間が三人は居るという説もあるが、間違った認識で描かれた手配書そっくりな人間を見つける事は相当に難しい事ではないだろうか。
サンジのせいで酷い目にあった、何やかんやと並べ立てるデュバルは確かにその面だけ見れば立派な被害者と言えるだろう。
とんでもなくド級に運が悪かったとしか言いようがない程である。
だが、それを求めるのは酷かもしれないが自衛の為にそれなりの対策を考える事も出来たのではないだろうか。
髪型を変えるだけでも印象は随分変わる。髭を生やしたり眉毛を変えたり、女性だけでなく男性だって外見はある程度変える事が出来るはずだ。
そんな事をつらつらと考えている矢先、同様サンジもそう思ったらしく苛立ち紛れにデュバルへと外見の対策について突っ込んでいた。
至極当然なサンジの叫びに対しデュバル達が呆気にとられた様な表情を浮かべ情けない声を漏らす。
微妙な反応をワンテンポ遅れてする辺り、どうやらそこまで気が回らなかったらしい。
「おれ達ァこの海の片田舎でしがねェマフィアをやってたんだ、村の住人達をオドシ回って暮らす、それなりに幸せな人生だった」
遠くを見る目をして語るデュバルの言葉を聞いて、の眉間に皺が寄る。
もしかして彼らは強くはないけれど悪者なのではないだろうか。
あまりに衝撃的な物体が登場してしまった事で忘れていたが彼らは元々ケイミーの仲間であるはっちんを攫ったのだ。
辿ればそれはケイミーを捕えようとした事でもある。
「何か非常に複雑な気分だ」
「どうした」
デュバルの言葉を聞きながら眉間に皺を寄せ腕を組むの零した言葉にゾロが怪訝な表情を浮かべる。
何故世の中というのは単純明快でないのだろうか。
思考の海に流され始めたの遠くではまだデュバルがサンジに対し怨みつらみを滾々と説いていた。
「私は今海賊という職種、というか生業に従事している身であるという事は頭の中で理解をしある程度の部分納得をしているのだが」
「ああ」
「海賊というのは世に言う悪な存在であり、しかし彼のいうマフィアというのも悪な気がして、しかし悪が悪に対し悪を批判するというのは自分を棚に上げる事であり、しかし私の根本は悪でないという信条があり……」
「あれは悪じゃなくてアホだ」
ばっさりと切り捨てるゾロの言葉に、それもまあそうかなとも思うがどうにもこうにも一度流され始めた思考は収まりが悪い。
アホかもしれないが悪じゃないとは思えない。
まあ同情出来る余地があるだけに何とも割り切れないのが困りものだ。
抗議しようと腕を掴んだを見て、ゾロが面倒臭そうに溜息を吐いた。
「アホが悪で無いという理論はおかしいではないか、恐らく何の罪もないであろう村の住人を脅すのは悪ではないのか?」
「だからあいつがアホだろうがダーツの国の王子だろうが何だろうがどうだっていいんだよ」
「良くない、今私達は天文学的な数字の上にある奇跡に対面しているのだからもっと様々な面から深く追求すべきであり彼が悪であるならば……」
「うるせェおめーら!オラを馬鹿にするんでねェべっちゃ!」
喜怒哀楽の表現が激し過ぎる上に先程からずっと大声で怒号を飛ばすので若干小うるさいとまで感じてきたデュバルの顔がサンジから達へと移される。
随分と大きな顔面からは大量の涙と鼻水が垂れ流されており、何というか妙な迫力があるものだ。
「おめェの仲間である船員もおれの恨みの対象となって当然、おめェら全員死ぬがいい!」
そんな無茶苦茶な、と言いたくなるようなデュバルの掛け声と共に持っていたガトリングガンから無数の毒の銛が弾丸の如く弾き出された。
銛に塗られている毒はサソリの毒で、刺されば三分であの世行きだという。
銛の突き刺さった地面がジュウジュウと嫌な音を立てながら溶け出しその恐ろしさを十二分に物語っている。
達は散り散りに、主に銛を向けられているサンジが水辺へ追いつめられてく。
ふとの耳が遠くで風を切る音を捉え、視線を上に向ければキラリと光る何かが見えた。
「サンジ、危ない!」
気付いた時にはもう助けようがなかった。
後一歩下がれば海へ落ちるという所まで追いつめられたサンジの両側から網を構えたトビウオライダーズが遥か高い上空から急降下してきたのである。
それは一瞬でサンジを捕え物凄い波飛沫を上げながら海へ引き摺り込んでしまった。
普通の網なら脱出する事ももしかしたら可能かもしれないがサンジが捕えられたのは鉄の網、豪速で海中を駆ける鉄の網から逃げ出す事は相当困難であろう。
というより、まず息が続かない。上がってくるのを待っていればデュバルの狙い通りサンジは水死体となっているはずだ。
地上で強くても所詮人間。海の中ではどうにもならない。
こうして手を拱いている間だってサンジの限界はどんどん近づいていくのだ。
ましてや泳げもしないでは到底助けられる訳が無い。何か策はないか。
「トビウオは海の生物中トップクラスのスピードを誇る、魚人だろうが追いつきゃしねェ」
不敵に高笑いをあげて語るデュバルを思う存分殴り倒したいが、兎にも角にもサンジを助けるのが先だ。
おれが飛び込む、いやおれが行く、いやここはおれが、等と揉めていれば、サニー号からドボンと水に飛び込む音が聞こえ振り返る。
ナミが海面を覗き込みケイミーの名を呼んでいることからして飛び込んだのはケイミーのようだ。
いくら泳ぎが得意であろう人魚のケイミーが飛び込んだ所で彼らに立ち向かえるのか、不安は拭えない。
だが、そんなの表情を読み取ったのかすぐ近くにいたパッパグが妙に不敵な笑みを浮かべてデュバルへ向い口を開いた。
「おめェ一人存在を忘れてたな、確かにトビウオは魚人よりも速ェ魚だがトップクラスの頂点に立つ種族こそが人魚!」
パッパグ曰く、本来ならば誰かに捕まるような種族ではないのだという。
よくよく考えれば今迄、これはまずいのではないか、生命の危機に晒されるのではないか、という事態も至極あっさり乗り越えてきた一味だ。
が心配しても仕方ないのかもしれない。
「サンジは何があっても死ななそうな気がするな」
「……みてェだな」
しかめっ面で舌打ちをしたゾロが少し離れた海面を指差す。
そちらへ視線を向けてみれば心配そうな表情で涙を流すケイミーに抱えられたサンジの姿があった。
問題なのはサンジの鼻から大量に出血している事と、サンジの表情が恍惚としており非常に嬉しそうな事である。
何となく理由は理解出来るので、生命の心配をしなくても良さそうだ。
「……もういいよ、死んだら死んだで」
ぽつりと呟かれたウソップの言葉に反論するものは誰一人いなかった。
11.09.07
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