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会場中に居た人々は皆時を忘れたかのように誰一人として動こうとしない。
当然と言えば当然の反応であろう。
何せ一海賊が天上天下唯我独尊を誇る天竜人を殴ったのだ。
恐らく前代未聞であろう珍事、いや、歴史に銘打ちそうな状態にある種の熱気を持っていた会場は水を打ったように静まり返った。
ふ、と息を吐いては誰も動こうとしない中一人ゆっくりとした足取りで瓦礫と共に倒れ込んでいる天竜人の元へ歩く。
見れば見る程アホ面が両側から殴られたことによって更にアホっぽさに磨きをかけている。
徐に右足を上げたはそのまま天竜人の顔に躊躇うことなく自分の靴を押し付けた。


「自分達以外の民族を下々民と罵り同じ空気を吸わぬと言った貴様が私の様な存在の足蹴にされ下々民の踏みしめる地面へ頬を寄せる感覚はどうだ」


踏みつけられても全く反応しない事からして、既に意識を手放しているようだ。
何なら全て夢だと思ってくれないものかとも思ったが既に多過ぎる数の民衆の目がある事に気付く。
天竜人から足を退けたは再びゆっくりとした足取りで先程まで自分が座っていた席へと近づいた。
視線を寄せているローとキッドは、二人とも意地の悪そうなニヤニヤとした笑みを浮かべている。
別にはこの二人と共に居たいから近づいたわけではない。
完全に面白がっているであろうローの前に立ったはローの着ているシャツに右の拳を押し付けグリグリと拭いた。


「何をしている、
「私の拳が汚物に穢された気分なのだ、生憎手近に拭き取るものが無いのでな」
「汚物か……、違いねェな」


の言葉を聞いたキッドが声を上げて笑う。
拳をシャツで拭われたローは別に何が付着した訳でもないシャツを苦々しい表情で見つめながら嫌そうに溜息を吐いた。


「殴るのはまだしも足蹴にするとはお前、正真正銘の馬鹿だったか」
「何を言う。非戦闘員であり暴力を嫌悪する私がそんな酷い事をする訳が無いではないか。幻覚でも見たのだろう」


やれやれといった表情を作りながらしれっと言ってみるが、説得力は全く無さそうだ。
さてどうしようかと思ったところでキッドが心底おかしいと言いたげに一層大きな声で笑いの腕を掴んだ。
未だしんと静まり返っている会場内でその声だけが異様に響く。


「おもしれェ、銀翼の幻術師。おめェおれの船に乗れ」


一体何を言い出すのかと思えば、どうやらは今三億という値のつけられた海賊に勧誘されているようである。
全くこの世界の住人はにとって非常に理解し難い感性を持っているようだ。
何が面白くて自分に興味を示すのかには到底理解出来ない。
それに今はそんな事をどうこうしている暇はないのだ。
何せ今達麦わらの一味はこの世界の頂点と言えるであろう存在に思いっきり真正面から喧嘩を売ったばかりなのである。


「悪いお前ら、コイツ殴ったら海軍の大将が軍艦引っ張って来るんだって。あとはやらねェ」


ふいに聞こえたルフィの言葉に振り返れば、刀を構えたゾロと到って動じる様子の無い仲間たちの姿が目に映った。
その様子からして麦わらの一味の総意は決してルフィやと相反しないようであると知りほっとする。
胸を撫で下ろしたに向かってゾロがギラリと凄味のある目を向けた。


「お前とがぶっ飛ばしたせいで斬り損ねた。おい、てめェいつまでそんな奴らと遊んでんだ」
「多方向から私の名を連呼するのはやめてくれ、目立つではないか」
「もう充分目立ってんだろ!」


苛ついた表情を浮かべたゾロが近づいてきてキッドに掴まれている反対側の腕を掴んだ。
麦わらの一味の声に押されたのか、静寂に包まれていた観客達が目を覚ましたかのように騒ぎ出す。
こうなればもう会場は混乱の一途を辿るであろう。
行くぞと呟いてゾロがの腕を引いたが、キッドにも腕を掴まれている為身動きが取れない。
このまま互いがを引っ張れば真ん中から見事なまでに裂けてしまいそうである。
放してくれと告げようと思い口を開きかけたが、より先に口を開いたのはゾロだった。


「……うちの船員だ、手ェ放しやがれ」
「天竜人をぶん殴るなんてイカれた奴は一人いりゃ充分だろ、一人こっちに寄越せ」
「どんな言い分だ、イカれたのが欲しいならば私でなくてもこの世界には山ほどいるだろうに」


この世界に来てからそう時間も経っていないが、今迄が出会った中にはキッドの言うイカれた奴というのは随分居そうな印象だ。
これが惚れた女だからとか言うのであればも頬の一つくらい染めてみせようとは思う。
いや実際そんな事を言われならば脳内の自己処理能力が追い付かず混乱に乗じて翼で逃げてしまうかもしれない。
そもそもイカれた奴だからくれと言われて喜ぶ者がいるのだろうか。
睨み合う二人に挟まれ困惑するに向かい、今迄黙っていたローがニヤリと笑って口を開いた。


「そんならおれんとここいよ、。ベポも居るぜ」
「ロー、頼むから話をややこしくしないでくれ。というか全員状況を理解してくれ、そんな事を論議している場合ではない」


と言いつつ、そういえば麦わらの一味が世界に喧嘩を売るのはこれが初めてではない事に気付いた。
が仲間になったばかりの頃など、ロビンを助ける為に世界政府へ喧嘩を売ったではないか。
まあどちらにしろ言い訳等出来ない程尋常ではない事態を引き起こしている事は確実である。


「全くおめェは何でいつも事態をややこしくしてんだよ、変な奴に気に入られんのやめやがれ!変な奴はもう手一杯だ!」
「む、言いがかりだぞ、ゾロ。全く以て私のせいではないではないか」


別にとて変な人物に気に入られたいなどと思った事は無い。
無いにも関わらず何故か行く先々でそういう人物と出会ってしまうのは意図的なものでなく偶然だというのにとんだ言いがかりである。
そうこうしている間にもあちこちから衛兵が出てきて麦わらの一味を捕えようと武器を手に走り回っていた。
争いに巻き込まれまいとオークションの参加者達が我先に会場から外へ逃げ出していく。
辺りは怒号と悲鳴に包まれており、最早オークションどころではなくなっている。
いい加減くだらない事をしていないでケイミー救出へ動くべきだ。
腕を掴んでいるキッド、そして座ったまま視線を寄せてくるロー、二人に向かっては口元で不敵に笑って見せた。


「冗談だとわかっていても億超えの海賊からお誘いとはありがたいものだな。だが私は今麦わらの一味として生きているので船を乗り換える気は無い」


の答えなどわかっていたのだろう。
然程残念がる様子も見せず、そうかと言ってキッドがから手を放した瞬間、ゾロに引っ張られていたはその場で踏鞴を踏み、慌てて体制を立て直し走り出す。


「海賊が天竜人に手をかけた!海軍本部から軍艦が来るぞー!」


逃げ惑う人々が口々に逃げろ逃げろと喚き、去っていく。
壇上のケイミーはまだ金魚鉢の中にいるもののとりあえずは無事の様だ。
尤も周りは天竜人を怒らせた事と海軍本部の大将や軍艦が来る事の方が一大事の様で誰も壇上や奴隷に興味を示していない。
ケイミーを救出したい麦わらの一味にとっては好都合だろう。


「人を奴隷として売買する事は良くて天竜人に手をかける事は罪か」


襲い掛かってくる衛兵を蹴散らしながら一人ごちて考える。
憤懣やる方ないと思うのは正しいのか、それとも世界の理に背く事なのか、今のには判断しようがない。
嘗てにとって正しいか否かは全て上から決められたものだった。
ある程度は自分で決めていたものの大きな決断の場面では下された命令に従うばかりだった気がする。
そういう意味ではこの惨状もあまり責められるものではないのかもしれない。
大きな力の前での個人はあまりに無力である。


「私も年を取ったものだ」
「あァ?」
「丸くなったという事だ。それより全くこの一味は騒いでいないと気が済まないのだな」
「おめェのせいじゃねェか!」


ゾロの言い分も半分は間違っていない。
半分というのは何もとルフィ両方が殴ったから、という意味では無かった。
はあの時、天竜人を足蹴にした時咄嗟に腰元の銃で撃ち殺してしまおうかと思った程だ。
イシュヴァール前後の頃ならば間違い無く、少しも躊躇う事無く殺していただろう。
国軍の将校としてが下した決断は全て正として片付けられる、それが当たり前だった。
寸での所で思い留まったのは何も人の目があったからや天竜人の命を奪う事に躊躇いを覚えたからではない。
偏に麦わらの一味にこれ以上の罪を重ねるのは忍びない、そして仲間の前で人を殺したくないと思ったからだ。
軍が行う事こそ正という大義名分に守られていないからというのとは訳が違う。
今だからこそ、個人としてのの正こそが思い留まった理由なのかもしれない。
もしあの時殺していれば、それは忌むべき天竜人の行いと同類である事を証明してしまう。
怪我をさせると殺害するは恐らく罪の重さが違う、と願いたい。
通常ならそうだが対天竜人に関してはもしかしたら殺しても殺さなくても同じくらいの罪の重さになってしまうかもしれないが、その時はその時だ。
様々な思いから撃ち殺さずに済んだ訳だが、また一つ自分と麦わらの一味の意識の差を実感させられた。
他者の命を奪う事に良心を咎められないかと問われたらきっとは大切なものを守る為なら厭わないと思うだろう。
そんな事を考える自分にはやはり何が正で何が否なのか等決する事は出来ないのだろうな等と考えていた時、はるか上部に三つのトビウオの姿が見えた。
唐突に降ってきたのはロビン、ウソップ、ブルックである。
どうやらたった今到着したらしい。
身の軽いブルックは空を切るように飛び回り、ロビンは自分の能力で翼を作り降りてくるようだ。
通常の人間は空を飛べない。その常識に従ってウソップはそのままの姿で落下を続けている。
はて、どうするのかと思う間もなくウソップはオークション会場に来ていたロズワード聖と呼ばれる天竜人の上に着地した。
着地したと言えば聞こえは良いが、実際は天竜人をクッション代わりに押し潰したというところだろうか。
たった数分の間に一海賊が二人もの天竜人へ無礼を働いた事になる。


「もう言い逃れは出来そうにないな」
「最初からするつもりもねェが」


辺りを見回し壇上へ振り返ったの目に、天竜人であろう女性がケイミーに向かって銃を突きつけられている姿が映る。
どうやら二人の天竜人に手を出された腹いせにケイミーを撃ち殺そうとしているらしい。
慌てて走り出そうとした刹那、は自分の目を疑う事になった。
たった今、ほんの一秒前までケイミーに向かって銃を突き付けていた天竜人が誰に触れられる事も無く独りでに気絶したのである。
一体何が起こったのか、壇上へ視線を向けていた全員の動きが止まり一瞬の静けさが辺りを包んだ。
一同の注目が集まる中、突如壇上にかけられていた幕が真ん中から縦に切り裂かれ、一人の男性と巨人族であろう男性が姿を現す。


「ホラ見ろ巨人君、会場はえらい騒ぎだしオークションは終わりだ。金も盗んだしギャンブル場へ戻るとするか」


悠々と歩きながら現れた男性は酒を煽りながらこの場に不似合いな程落ち着いていた。








15.03.02

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