19




息苦しい真っ暗な空間に落とされて次々に上げられる仲間達の叫びをただ黙って聞いていた。
握り締めた拳には汗が滴り、歯を食いしばって今か今かとその時を待つ。
くまを全面的に信用している訳ではない。それでも尚賭けてみようと思ったのはこそっと耳打ちされた一言があったからだ。
たった、一言。それでも其れはの動きを止めるのに充分であった。
息をつめて待つ時間はきっと数分程度だったのであろう。
それでもには一時間以上にも思える程長い時間であった。


「ちゃんと説明はあるんだろうなァ、これは大問題だよォ」


黄ザルと思われる声が聞こえ、次いでルフィの悲痛な叫び声が途中で途切れ、静寂が訪れる。
己の心臓の音がこれ程までに大きく聞こえた事が嘗てあっただろうか。
乱れそうになる呼吸を必死に整えていたの全身が空気の流れの変化を感じ取り、ゆっくりと目を開ける。
映ったのは眩しいまでの光。そして、上がってこいというくまの声が耳に届いた。
はくまの足元に開けられた深い穴に籠っていたのである。
羽を使って地上へと舞い戻ればそこには既にくまとレイリー以外の姿は無かった。
ゆっくりと深呼吸をし、そっと錬成したナイフをくまの首に突き付ける。


「ルフィ達を何処へやった」
「何処に行ったのかはおれにもわからない」


飛ばしたと一言。
くま曰く、くまの能力で弾き出された球体の力で彼らは三日三晩飛び続け何処かへ辿り着くのだという。
以前も見た。スリラーバークで邂逅した際、くまへ向かっていった何人もがあっという間にその場から消えてしまった現象だ。
成程、留まらずに動き続けるのは確かに最も安全な方法かもしれなかった。
じっと相手を見据えても、くまは身じろぎひとつせず感情を露わにはしない。
隠し立てる必要が無いから堂々としているのか、それともなど羽虫にも劣ると思っているのか。
黙する事数十秒、微動だにしないくまに突き付けていたナイフを指輪へと戻して羽を仕舞った。
この島の中で逃げ回るよりは物理的に手の届かない所へ行ってしまう事が一番安全だろうと推測される。
何せ海軍大将その他諸々が相手だ。万全の態勢で臨んでも勝てるかどうか怪しい。
船を用意して逃げようにも海軍の軍艦相手ではスタート地点が同じな時点でもう敗北確定だろう。
地に足を下したを見て、レイリーが口元に笑みを浮かべた。


「無事で何よりだ」
「助けて頂いて礼を言う。レイリー、そして、くま」


少しばかり疲れたような顔で笑みを浮かべるレイリーを見て胸を撫で下ろす。
ルフィ達に何かあったのだとすればこんな風にレイリーが笑っていられる訳が無い。
イコール、くまの話は本当であり、麦わらの一味は本当に助けられたと思っていいのだろう。
の前に立ったレイリーがあごひげを摩りながら口を開いた。


「何故彼を信じられたのかね」


レイリーの問いは尤もであった。
敵対する事はあれど仲間になる事はないであろう関係だ。
天竜人に手をかけた賊である麦わらの一味とそれを捕える為に来た海軍に味方する七武海の一員。


「完全に信用していた訳ではない」


ぽつりと、それでもしっかりとした口調で吐き出されたの言葉を聞いたレイリーとくまの視線が集まるのを感じた。
そう、あの一瞬で仲間でもない人間の言葉を丸呑み出来る程は素直でも単純でも無い。


「助けたいと、言ったからだ。助けてやるではなく。だから賭けてみようと思った」
「ほう」


面白い物を見たとでも言いたげなレイリーの視線とぶつかる。
すれ違う一瞬でくまからに耳打ちされた言葉は、お前達を助けたい、という一言であった。
人間兵器、以前くまは自分でそう言ったし、実際にこの諸島に来てから数体それらしきものを見ている。
それは本体ではなかったけれど、その大本が放った言葉に信用する価値はあるのかとて測り兼ねるものだった。
それでも、それに賭けた。否、賭けるしか達の取れる行動はなかっただろう。
感情が存在しているか危うい存在から感情らしき言葉が出た事にびっくりもしたし、嘘を言っているように思えなかった。


「我々は一度くまに助けられている。二度目に会ってもすぐに殺さないという事はその気が無いと判断した。それに……」
「それに?」
「純粋に助けたいと思われるような理由が思い当たらない。我々は一度相見えただけの関係だ。つまりこう思った。何か理由があって我々を助けなければならないのではないか。助ける事によって何かの利益を生み出す可能性があるのではないかと」


無償で助けられるような関係性など築いていないのだ。物事は等価交換、錬金術の大原則である。
等価交換の原則が通用しないのは人の感情が入った時と、計り知れない不測の事態が起こった時のみだろう。
くまと麦わらの一味の間に身を投げ打っても助けたいほどの絆は無に等しく、不測の事態とも言いがたいのだからやはり等価交換である。
くまは身を挺して麦わらの一味を助ける。それがくまにとって何らかの利益になるとしか現状考えられない。
の導き出した答えにレイリーが視線をからくまへ移した。


「それに万が一くまが嘘をついていて何かあっても必ず貴方の声が聞こえるはずだと思っていた」
「信頼してもらえているようで嬉しいよ」


レイリーの事だって、ほとんど知らないようなものだ。
それでもハチがあれだけ信頼を於いており、ルフィの恩人であるシャンクスが昔乗っていた海賊船の副船長を務めていたらしい。
オークションでケイミーやハチだけではなく達の事を助けてくれたのも間違いないし、自宅にも招いてくれた。
麦わらの一味の船のコーティングも引き受けてくれたし、海軍大将を前にしても尚達に味方してくれたのだ。
よもやこの男を敵対視する必要などありはしないだろう。
ルフィ達が居なくなってしまい一人となった今では全面的に頼りにしていると言っても過言ではない。


「自分は革命軍の幹部で縁あってこの一味をここから逃がしたい、と私も先にこの男からこう言われたのだよ」
「革命軍?確かルフィの父親の所属する団体の話か」


口にして、はっと気付いたがもう遅い。
ルフィの父親は革命軍のトップである革命家のドラゴンという男だと、ウォーターセブンで出会ったルフィの祖父であるガープが話していた。
そして、それは言ってはいけない事だったとガープが言っていたのをつい失念してしまったのだ。
思わず口元に手を宛てただったが、眉を下げ少しばかり困ったような表情を浮かべているレイリーを見ればどうやら周知の事実らしいと知る。
すぐ側にいるくまも同様、というか表情に全く変化が無いのでわからないが革命軍の人間ならば知らないわけが無いだろう。
他に人はいないのだから大丈夫だと思いたい。


「おれにはもう時間が無い」


静かに呟かれたくまの言葉には重みがあった。
麦わらの一味を逃がした理由は恐らく革命軍だとかルフィの父親だとかが絡んでくる話だろうと想像出来る。
それ以外にもだけを残した理由は依然として不明だし、聞きたい事は山とあるのだ。
だが、時間が無いという一言に含まれた重みを図れないほどもレイリーも鈍くはない。


「おれは人間兵器だと以前に話したな」
「ああ」
「おれの体は実験体として海軍により少しずつ体をサイボーグ化され、完全に人格を奪われる契約を交わしている」


くまの声に喜怒哀楽は一切感じる事が出来ない。声色一つとってもまるで天気の話をしているようにすらすらと流れている。
なのに言葉自体の持つ重みは想像していたよりもずっと苦しいものだった。
実験体として人の手により故意に行われる完全に人格を奪われる契約、聞いただけで全身が寒気に襲われるような気すらしてくる。
偶然の産物ではないのだ。それを行う技術を持ち合わせている、実際に行われている、それがよしと認められている、それが恐ろしかった。


「つまり時間が無いというのはお前がお前で居られる、自我を保っていられる猶予が残り少ないという事か」
「その通りだ。銀翼はおれに聞きたい事が山積しているだろうが答えられる事は少ない」
「聞く前に釘をさされるとはな。何はともあれルフィ達を助けてくれたのはかわりない。ありがとう」


意識していない、自然と発した心からの謝意だった。
これだけ手の内を曝してくれているのだ。敵ではない、そう思っていいのだろう。
くまの言う通り聞きたい事は沢山あるがそれでも疑問をぶつける気は当に失せていた。
興味本位で聞いていい事ではない。人間兵器、その一言は以前居た世界でにとって馴染み深くもある言葉だ。
恐らくは、望んで交わした契約でないのだろう。そうせざるを得ない事情があった、全てはの想像である。
じっと見下ろすような視線を感じ、くまを見上げて言葉を待つ。


「お前をこの場に残したのはある男と一つの契約を交わしたからだ」
「ある男?契約?」
「お前を追手から逃がしてこの諸島へ留まらせる代わりに、おれはこの後人格を奪われるが執刀医に一つの任務をプログラムさせるという契約だ」


を追手から逃がす、それだけならまだ理解出来なくも無いが、この諸島に留まらせるとはまた変な話だ。
一体誰に何の得があるというのか。麦わらの一味に恨みがあってを人質にするにしろ、ルフィ達がいないのでは全く意味を成さない。
大体海軍の執刀医にくまの要求をのませるなんて芸当が出来るような人物が……。
そこまで考えて思わず眉間に皺が寄った。
理由は一切理解出来ないがそれ自体はあの男の地位があれば出来るのかもしれない。
の顔を見ていたレイリーがくつくつと笑う。何となく想像出来たらしい。
腹立たしい事に、にも出来た。
脳裏に浮かんできた人物を何とか気合でかき消しつつ、半ば祈るような気持ちでくまに続きを促す。
しかし、くまの口から出てきた言葉は想像していたものと全く違うものだった。


「麦わらの兄の処刑が決まった事は知っているか」
「…………は?え、何だそれは、どういう事だ、処刑?」


寝耳に水、どころの話ではない。
急激に息苦しさを感じて胸の辺りを掴むが動悸は突如として激しくなりを掻き乱す。
正常な思考が出来ず、くまの言った言葉がぐるぐるとの脳内を駆け回って、気付いた時にはくまの襟首を掴んでいた。
背後でレイリーの声が聞こえたが、最早湧き上がった熱は自分の意思では止まらなかった。
海賊はまごう事無き犯罪者だ。有名になれば全国的に指名手配される事になる。そのくらいとて知っているし実際その身で体感もしている。
海軍とて遊んでいる訳ではない。対人間だ。捕まる事だってあるだろう。
それでもエースが捕まるなんて欠片も想像していなかった。おまけに捕まるとかそんな段階をすっ飛ばして処刑される事まで決定しているらしい。


「どういう事だ!!エースに何かあったのか!?」


八つ当たりだと自分でもわかっていた。くまが悪い訳ではない。そんな事は百も承知しているのに動悸が止まらなかった。
唐突に思い出したのはつい先刻わざわざに会いに来た男が言っていたいくつかの言葉だ。
近いうちに一つの時代が終わって大変革が起こる。これはもう決定された事だ。今すぐ一味を抜けろ。
確かに青キジはそう言っていた。
の知らないところで抗えない巨大な何かが蠢いている。
全身を襲うのは寒気か、脅えか。くまの襟首を掴むの腕が密かに震えていた。








17.01.11

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