午前三時のお茶会




夜の海は嫌いじゃない。
ビロードの様に美しい黒く染まる海面を柔らかい光で照らす月。
宝石を砕いて散りばめたような星空、まるでパズルの様にぴたりと当てはめられた空間にゆるゆると温い風が吹き抜けていく。
さざ波の音、どこかで鳴く夜行性の鳥の声が遠くで木霊する。
深夜の見張り台では持ってきたランプの小さな灯りの下で本を読んでいた。

十日に一度はこうして深夜の見張りを担当している。
元軍人でしかも特殊な部署に勤めていたは夜ゆっくりと眠る事に慣れていないのだ。
船での役割も戦闘要員として以外特になくまた夜眠れぬ時間を持て余していた為自ら名乗り出た。
最初は勿論大反対された。ナミやロビン、サンジにそんな事がやる必要はないと説得されたがの意見は変わらない。
単純に嫌いではないのだ、夜の海に一人という環境が。
それを伝え根気よく説得した所でようやく十日に一度という事で許可が下りた。

今日はその当番の日だ。
春島の気候を受け寒くも暑くもなければ海が荒れている様子も見られない。
昼間あれだけ騒がしかった麦わら海賊団の船室も甲板も夜中となれば静かなものだ。
当番を始めてから数時間後、本に目を落としながらページを捲ろうとした所での耳にかすかだが水音が届いた。

本を置き見張り台の上に立って辺りを見渡す。
最初は何も見つけられなかったがしばらくしての目が小さな船を捉えた。
小型の船は迷う事無くこちらへと向かってきている。
海賊船や海軍の船でない事は確かだが用心に越した事はない。
近づいてくる小型船を確認しようとは望遠鏡へと手を伸ばし覗き込んだ。

映ったのは見覚えのある顔。
テンガロンハットを被り上半身裸でこちらに向かって意味ありげな笑みを浮かべてみせる男。
ポートガス・D・エース、ウォーターセブンで出会ったルフィの兄だ。
が望遠鏡から自分を覗いている事に気付いているらしく手まで振って見せている。
そのまま船を器用に操り麦わら海賊団の船に寄せ軽い足取りで甲板へ降り立った。


「よォ、久しぶり」
「久しぶりだなエース。残念だがルフィ達は今眠っているが、起こしてくるか?」
「いや、いいよ眠ィだろうし」


人懐こい笑みを浮かべ話すエースは本当にルフィとよく似た雰囲気を持っている。
深夜の時間帯、もし眠ければ船内で休むかというの問いにエースは首を横に振って断った。
眠くはないらしい。あまり疲れている様子も見られない。
こんな時間まで航海を続けていたのだ、お茶くらい…と思い口を開いた。


「サンジが眠っているのでホットコーヒーかホットミルクしか出来ないがどちらがいい」
「コーヒーにミルクたっぷりがいい」
「わかった。では少し待っていてくれ」


返事を聞いたが甲板にエースを残しキッチンへと入っていく。
棚からカップを二つ取り出し小さな鍋でミルクを温める。
自分の分はブラックで、エースの分だけに温まったミルクを注いでいく。
それを両手で持って甲板に向かえばエースは芝生の敷かれた場所でごろりと横になっていた。
カップを持って近づいてくるに気付いたエースがゆっくりと体を起こしながらへらりと笑う。


「サンキュ」
「いや、ついでだ。もし眠いのであれば横になっていて構わない」
「眠くねェよ。せっかくがいるのに勿体ねェし、星を眺めてただけだ」


起き上がってカップを受け取ったエースがありがとうと微笑みカップに口を寄せた。
春島の気候とはいえ深夜にもなれば少しは冷える。
二人の持っているカップから湯気がふわふわと浮き上がり香りを漂わせ消えていく。


「そういやこの船って女も見張りすんのか?」
「いや、私は自分でやりたいと頼んだだけだ。通常はしないらしいな」
「変わってんなァ。んなもん男にやらせときゃァいいのに」
「好きなんだ。こうして夜外にいるのも海を見ているのも」
「へェ、まァわかんなくもねェけど」


もう飲み終わったのか自分のカップを横に置いたエースがのカップに手を伸ばす。
何かと思っているうちにの持っていたカップはエースに取られてしまった。
のカップを横取りしたエースが止める間も無くそれを飲み、すぐに顔を顰める。
無理もない。が淹れた自分の分はかなり濃い目の無糖なのだから。


「苦ェ…よく飲めんなこんなの」
「ルフィも同じ事を言っていたな」


つい最近ルフィもエースと同じ行動を取り、同じ表情をして同じ台詞を呟いていた事を思い出しが控えめに笑った。
一方笑われたエースは面白くなかったらしく頬を膨らませてカップを横に置き口を尖らせている。
子供だなと言えばうるせェと返し余計に口を尖らせるエースの表情にまたが笑う。
すねてしまったのかエースが再び芝生に横になり空を見上げていたと思った瞬間、横から伸びてきたエースの手がの腕を掴んだ。
そのまま勢いよく引っ張られの体も芝生に倒れる。
頭を打ってしまうかと構えたが、エースの腕がそれを支えてくれたらしい。
大した衝撃もなく芝生の上に倒れたに今度は隣で横になっているエースの笑い声が聞こえてきた。


「不意打ち」
「いきなり酷いではないか」
「仕返しだ。おれは子供じゃねェ」
「そういう所が余計に子供っぽいというのにな」


顔を見合せてもエースも再び笑い声を上げる。
横になった芝生から新緑の爽やかな匂いが二人を包み見上げた夜空に浮かぶ星がきらきらと輝く。
静かな夜の海の上で寝転ぶだなんて最高に贅沢な時間の過ごし方だ。


「星が綺麗だな」
「ああ、何かこうしてるとよ、星が掴めそうな気がしねェか」


そう言ってエースが天に向かって両手を伸ばした。
手を開いて握って、その動作を繰り返すエースの表情がとても柔らかくて優しい。


「エースなら本当に星を掴んでしまいそうだな」
「おう、掴んだらにやるよ」
「それは光栄だ。楽しみにしている」


の言葉に何だよ、信じてねェだろと言って笑うエースの表情はやはり優しく見える。
彼は白ひげ海賊団のニ番隊隊長であるにも関わらず現在は誰かを追って一人で旅しているのだと聞いた。
一人旅と聞けば気ままなイメージがあるがやはり誰でも一人は寂しい時もあるものだ。
煩わしさが無い分誰かと共に時間を過ごす楽しさも無い。
だって元居た世界でもこちらに来てからも一人きりになる事など滅多にない程だ。
誰かと一緒にいればそれだけで寂しさは埋まる。
もし今といる事によりエースが少しでも楽しい時間を過ごせているのであれば嬉しいと思う。

早くその追っている人物とやらに追いつければいいなと思う反面、白ひげの船に戻ってしまえば自分達とエースは敵対する事になるのもわかっている。
ルフィの兄だからというだけではなく、せっかく知り合ったエースと敵対する事は出来れば避けたい。
それが海賊同士だと言ってしまえばそれまでだが、今隣で柔らかに笑うエースに刀を向ける日が来ない事を願う。


、やっぱりおれの船に来いよ」
「唐突だな」
「もうじきさ、―――多分追いつくんだ、おれが追ってるヤツに」


空を見上げて呟いたエースの言葉に同じく空を見上げていたが驚いて視線をエースへと動かした。
追いかけていた者に追いつくのであればもう少し喜んでもいいような気がする。
だというのにエースはどこか複雑な面持ちで戸惑っているようにすら見えた。


「そしたらさ、おれは白ひげの船に戻る」
「ああ」
「おれは、白ひげを王にすると決めてんだ。だからさ……」


エースの言いたいをようやく理解したは再び空を見上げた。
それはつまり、こうして一緒にお茶を飲んだり星を見たりする事が出来なくなるという事に等しい。
小舟でエースが訪ねてくる事も、どこかの島で偶然出会う事もほぼなくなるだろう。
エースは自分の船の船長である白ひげを、麦わら海賊団はルフィを。
王は一人だ。椅子は最初から一つしか用意されておらず、海賊はそれを目指し命を張る。


「おれはと……」
「エース、私はどちらも選べないほど大切に思っている」


エースの言葉を遮ってが口を開いた。
海賊と海賊が必ずしも命を賭けなくてはならない訳ではないと思いたい。
そんな甘い考えをと笑われるかもしれないが、エースと争う事も大切な仲間達と離れる事も嫌だ。


「戯言だと思われるかもしれないが、私はエースもこの船の仲間達も両方大切だ」
「……ああ」
「だから、またこうして一緒に過ごす時間があったら嬉しい」


隣にいたエースの大きく息を吸いこんでゆっくりと吐き出す音が聞こえた。
体を起こしたエースがの前に立ち手を引いて起き上がらせる。
握られた手を強い力で引かれ一気に立ち上がったの体がふらついたがエースがそれを支えた。
近づいた瞬間、の額に柔らかい感触。
それがエースの唇だとわかり途端にの体の中を恥ずかしさが駆け巡っていく。
慌てて顔を上げればエースは眉を下げ困ったように笑っていた。


「ずりィよなは。そんな風に言われちまったら連れていけねェじゃねェか」
「―――元より本気ではないだろう、エース」
「本気だっつーの」


の手を放したエースが帽子を深くかぶり直し甲板の端へと歩いていく。
エースは来た時同様身軽な動作で船から飛び降り自分が乗ってきた小舟へと乗り移った。
甲板の淵に立って下を覗き込むに向かって笑ってみせるエースの顔は何故かいつもと少しだけ違う風に見える。
どこか、寂しげな雰囲気だった。


「もう行くのか?休んでいかなくていいのか」
「いい。今日はに会いに来ただけだしそうゆっくりもしてらんねェ」
「そうか、……では気をつけて」


頷いて船を動かそうとしたエースがもう一度振り返った。
今度はいつもと同じ笑み。


「コーヒーごちそうさん。また……な」


一瞬逡巡を見せたエースがに背を向けた。
直後エースを乗せた小舟が急発進しの目の前に直線状の白波が立っていった。
スピードを上げて離れていく小舟に向かい甲板から身を乗り出してが声を張り上げる。


「エース!次は甘いコーヒーを用意しておく」


の声に気付いたエースが振り向かず片手を上げ、エースを乗せた小舟が遠ざかっていく。
命を賭けて海を渡る海賊が言うまたという言葉に信憑性は少ない。
それでもまた会えると信じたい。その為にエースが無事であれと願うばかり。
猛スピードで離れていった小舟が見えなくなるまで見送っては芝生に置いてあるカップを取りに戻った。
並んで置かれていたカップがエースがここにいたという証拠。
それを手に取りはキッチンへと足を向けた。
空は段々薄明るくなってきている。もうそろそろサンジが起き出して朝食の支度をする時間だ。

また、会える。
そう心の中で反芻しは残っていたコーヒーを一口だけ口に含んだ。
冷めて苦味が増した味がいつまでも舌に残り唐突に不安な気持ちが湧き上がってくるのを感じは数度頭を振って残りのコーヒーを排水溝に流した。




UP DATE : 2008.02.08



レツガ様から頂きました、エースのお話です
素敵なリクエスト有難う御座いました!
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