キス一回で手を打とう
麦わら海賊団の乗るサウザンドサニー号にある図書室は夜中でも明かりが灯っている事が多い。
理由は夜あまり眠る事が出来ないがこもっているから。
それは最早日常茶飯事化しており夜の見張りを任された仲間達が暇つぶしに訪れる事も最近では多くなってきた。
今日もせっせと本を読みふけるのいる図書室の扉をノックする音が聞こえる。
「ちゃん、夜食作ったんだけど邪魔してもいいかな」
現われたのは手に銀色のトレイを乗せたサンジ。
サンジが夜の見張り当番の日は決まってこうしてに何かを差し入れてくれるようになっていた。
勿論他の仲間達には内緒。言ってしまえば最後、絶対この時間を狙って起き出してくるようになってしまう。
歓迎するの前に置かれたのは美味しそうな香りを漂わせ湯気を上げるスープの入れられた広めのカップ。
隣に座っても?と問うサンジに椅子を引いて微笑めば嬉しそうに笑みを返してサンジが椅子に腰かける。
サンジはいつでもこうして必ず気を使い無言で隣に座ったりはしない。
としては別に拒否しないのにと思わなくもないがそれがサンジの身につけられた自然な形なのだろうと納得するまでにそう時間はかからなかった。
「今日は何の本を?」
「人体解剖学だ。食事時に読む本ではないな」
そう言って本を閉じ両手を上げ小さく伸びをするの横でサンジが苦笑を浮かべた。
人体解剖学、確かに物を食べる際に思い出したくない分野である。
「熱いうちにどうぞレディ」
「ありがとう」
いただきますと呟いてが目の前に置かれたカップを取って大きめのスープ用のスプーンですくい口に運ぶ。
賽の目に切られた色とりどりの野菜が見た目を鮮やかにし夜食用というだけあり何とも優しい味わいがの口の中に広がった。
スープを口に含んだが頬を緩ませるとそれを見ていたサンジも嬉しそうに微笑む。
「美味しい。サンジは凄いな、私にはとても作れない」
「お褒め頂き感激です、レディ。ちゃんが喜ぶ事ならこのサンジ、何でもしてみせます」
「それは光栄だ。でも本当に尊敬してしまうな、錬金術があってもやはり人の手には敵わないものだ」
錬金術を用いて形状の良く似た物を作る事は可能だろう。
しかしサンジが作ったように美味しく作れるかと言われたら恐らく無理だ。
錬金術はあくまで形状を似せる事が出来てもやはりそれは似ているだけで人の手で作った味を生み出す事は出来ない。
「おれはちゃんの方がすげェと思うけど。割れた皿でも何でも直しちまうし」
「私の場合は元あった形に戻したり知っている形状を作り出すだけだ。無から何かを生み出す事は出来ない」
「いやそれでも充分すげェって。あのクソゴムなんか食うばっかりで増やす事をしらねェ」
苦々しそうな表情を浮かべて悪態を吐くサンジの言葉にが小さく笑う。
どうやら今日も食料争奪戦を繰り広げたようだ。相変わらずサンジは毎日苦労を重ねている。
隣に座るサンジはより年下であるにも関わらず年齢の割にずっと大人だ。
サンジは一体どんな人生を生きてきたのだろう。
聞いてみたい気もするが、は何となくそれを問えないでいた。
サンジの持つ雰囲気がやんわりとどこかそれを聞かれたくないと無言で告げているような気がするのだ。
女性に対して低姿勢でいつでも優しい。
だがそれはどこか人と深く付き合うのをそれとなく拒絶しているようにも見えなくもない。
明るい表情を見せるのにふとした時にどこか切なそうにも見える表情を浮かべる時もある。
誰だって何かしら心に秘密を抱えている事の方が多い。
無理矢理聞かなくてもサンジが誰かに聞いてほしいと思った時、きっとそれはサンジの口から語られる。
そう思うと結局も何も聞かずに他愛のない話をする程度しか踏み込めないでいた。
とサンジは意外に接点がない。
女性に対し丁寧な姿勢を取るサンジだがこうして二人で話すようになったのはが図書室にこもるようになってからだ。
ナミやロビンに聞いても扱いが丁寧だとか女性好きだとか料理が上手いだとかその程度の返事しか返ってこない。
あれだけ女性に対し積極的な様子を見せているにも関わらず普段何かを話しかけてきたりする事自体がないように思える。
思い出してみれば立ち位置からしてそうだ。
普段はキッチンで過ごす時間が多く、共に遊んだり何かをしたりする方ではない。
それはゾロにも言える事だがどこか一線を置いているように感じる時がある。
バカな事もするが根本的にかなり冷静な方に見えるしその気遣い方は非常に繊細だ。
ルフィとウソップとチョッパーはよく三人で行動しており、そこにフランキーが加わったりする。
ゾロは一人で鍛錬をしているか眠っている事が多いが甲板にいる時間が割とあるので仲間達に加わる事もある。
だがサンジはどうだろう。
時間を見つけて甲板に出てきたりはするものの大抵用事を済ませると次の作業へと移っていく。
つまりサンジは誰かと深く関わったり話をしたりする時間自体がないと言えるだろう。
もしくはあえてその時間を無くしているか、……それは考えすぎかもしれないがそう取れるような様子も見える時がある。
「サンジは、毎日楽しいか?」
「へ?」
の問いかけに一瞬呆気に取られたような表情を浮かべたサンジが慌てて笑みを浮かべる。
知っているようで実はサンジの事を全然知らないのかもしれない。
一呼吸置いてサンジが楽しいですよと答えたが真相はよくわからないままだ。
「ちゃんは?」
「私は毎日が初めての事だらけで息つく暇も無いほどだ。楽しいと思う」
「そりゃよかった。ちゃんの居た所って海がねェんだっけ」
「ああ、海を見たのは初めてだ。故に魚類もあまり口にした事がない」
話の方向転換が上手い。
するりと自然に自分の話から他人の話へと持っていく話術は尊敬するほどだ。
そしてサンジはがそれに乗っている事にも気付いている。
少しだけ寂しそうな微笑を浮かべて、それ以上入っちゃいけないよと言っているように見えるのだ。
「そういえばちゃん、魚がメインの日は嬉しそうに食べるもんなァ」
「よく見ているな、さすが一流コックだ」
「じゃあ明日はルフィ達に魚を釣らせるか。滅茶苦茶美味い魚料理をお出ししますよ、レディ」
「サンジの料理は本当に美味しいのでいつも食事の時が楽しみなんだ」
「嬉しい事言ってくれるねちゃんは」
本当に嬉しそうな表情で微笑むサンジを見ていてわかる事がある。
彼は本当に料理そのものが好きなのだ。
素材を最大限に活かす事、自分の納得のいく料理を作る事、食べた人を喜ばせる事。
空になった皿を見ている時のサンジの表情はとても穏やかで満足しているように見える。
が仲間になるずっと前、サンジは麦わらの一味の船に乗る前はバラティエというレストランに勤めていたという話を聞いた。
海上に浮かぶレストラン、一度は行ってみたいものだ。
スープを口に運びながらがサンジを見つめればその視線に気付いたサンジが目を伏せて笑みを浮かべる。
「何かおれの顔についてる?」
「いや、そういう訳ではないのだが」
「あんまり見つめられるとおかしな期待しちゃいますよ」
嫌みなくさらりとかわす辺りやはり誤魔化すのが上手い。
一線を引くと言った意味ではとサンジは似ているが根本的な部分が違う。
今の所深く追及しようとは思わないがいつかはその奥にいるサンジにも会ってみたいと思う気持ちがあるのは確かだ。
既にスープを食べ終わったサンジが空のカップをトレイに乗せスプーンをくるくると指で回す。
さすが一流料理人、手先が器用だと感心してしまう。
ふと気付けば今度は手元を見ているの顔をサンジが見つめていた。
「ちゃんが今何を考えてるのか当ててみようか」
「ほう、何だと思う?」
「サンジ君は何故こんなに料理が上手でカッコイイのかしらーってところかな」
「当たらずも遠からずだな。サンジの事を考えていたのは事実だ」
の事をからかうつもりだったのだろう。
数度瞬きをしてスプーンを落としてしまったサンジが乾いた笑いを漏らし照れたように頭をかいた。
その様子にようやくも安心する。
思っていたよりもずっとサンジは心の距離をそう遠くへは置いていないらしい。
誤魔化しの笑みではなく、やわらかく笑っているのだから。
「サンジの夢はオールブルーを見つける事だったな」
「ん、ああ」
「私もあると思う、オールブルー。いつか一緒に見たいものだ」
本当に心からそう思う。
以前サンジから聞いたオールブルーの話はにとっても非常に興味深いものであり、この目で見てみたい。
最後の一口を食べ終わったがごちそうさまと告げてカップをトレイに置こうと手を伸ばした。
だがの手がトレイに届く前にカップごとサンジに手を取られその動きが止まる。
の手からカップを取り片手でトレイに置いたサンジがその手を重ね両手での手を握った。
「いつかおれがちゃんをオールブルーへ連れて行きますよ」
「それは楽しみだ。では連れて行って貰えるのであればその時は何かお礼をしなくてはいけないな」
「じゃあ……キス一回で手を打ちましょうか、レディ」
ニッコリと微笑むサンジの表情はまるで料理を出す時に見る自信のある笑み。
がどんな反応を返すのか楽しんでいる様子まで窺える。
「ほう、そんな事でいいのならお安いものだな」
「え?」
ニヤリと片頬を上げて悪そうな笑みを浮かべたが立ち上がる。
握られていない方の手でサンジのネクタイを掴むとの行動にサンジが目を見開いて慌て出した。
そのままぐいっとサンジのネクタイを引っ張って唇を寄せる。
の唇が触れた場所はサンジの唇からわずか数ミリ程度離れた場所。
「予約しておく。私は楽しみな事は先にとっておく方なんだ」
ゆっくりと離れていくに目をパチパチとさせ片手で頬を押さえ茫然とサンジが立ちすくむ。
少々からかいすぎたかサンジの顔は少しだけ赤く染まっている。
数秒後まいったなァと苦笑いするサンジがトレイを持っての耳元に顔を寄せ、必ず連れて行きますね小さく囁いて図書室を出て行った。
閉まる扉を見つめながら静かになった図書室でが再び本を開き視線を落とす。
図書室の扉の先でトレイを抱えたままサンジが頬を押さえたままへたり込んでいる事をが知る事はなかった。
UP DATE : 2008.02.19