約束破ったらその小指切り落としてやるからね
米沢城に響き渡るのは城主である伊達政宗とその従者であるの声。
最早日常茶飯事と化したこのやりとりは今日も今日とて変わる事無く時間を選ばず勃発する。
早朝、まだ日も明けきらぬ時間に城主の部屋から天守閣を劈く様にの叫び声が上がった。
「ちょ、ま、待って下さい政宗様、ひ、人でなし!ぶん殴りますよ!?」
「Ha!出来るもんならやってみな、Honey」
「や、ちょっと近い!冗談はおかしな必殺技の名前だけにして下さいって毎日申し上げているじゃないですか!」
「Oh…言うじゃねェかちゃんよぉ。俺の忠実な下僕なんだろ、Honey」
「ですから毎度毎度Honeyじゃないと申し上げて…!こ、こじゅさん助けてぇえええええ!!」
が叫ぶのと同時に廊下を走るバタバタという足音が響き、数秒後ぴしゃりと音を立てて襖が開かれる。
その先にいるのはが助けを求めた人物、片倉小十郎。
が政宗の世話役になって自分の肩の荷も下りるかと思いきや変わらず苦労を強いられる苦労人である。
小十郎の登場に政宗がチッと音を立てて舌打ちし小十郎の表情を見て額にたらりと冷や汗が流れた。
現在の状況は敷布団の上にが押し倒されており、の上には政宗が馬乗りで乗っかっている状態。
政宗の寝間着は乱れており下に押し倒されているの燕尾服も若干脱がされかけている状況で。
襖に手をかけていた小十郎の表情が一気に般若の如く怒りの表情へと変わっていく。
怒りからか小十郎の手が震え、それはもう襖を片手で握りつぶしそうな勢いだ。
「へ、Hey小十郎……これには訳が…」
慌てふためく政宗の下でがしてやったりと口角を上げニヤリと笑う。
次の瞬間、米沢の空にこの領土の主であるはずの政宗の絶叫が響き渡った。
すっかり見慣れた政宗の頭の上に出来たんこぶは大きく腫れ上がり不機嫌そうな表情を浮かべた政宗が書状を捲る。
あの後たっぷり二時間程小十郎に説教された政宗とはまだ午前中だというのにげっそりとした表情を浮かべていた。
それを見た伊達兵達は今日も米沢は平和だと各々の作業へ戻っていく。
こんもりと積まれた書状を前にやる気などとうに消えうせた政宗とが揃って溜息をついた。
今日中にこれを終わらせなければ二人共明日の日の目は拝めそうにない。
「……全く、政宗様のせいですからね。何で私までこじゅさんに怒られなくちゃいけないんですか」
「Oh…Honey,それは言いがかりってもんじゃねぇのか」
「毎朝起こしに行くたび襲いかかるのは止めて頂きたいものですね。あれですか、政宗様は万年発情期の猿なんですか」
呆れたように話すの言葉を聞いた政宗は一瞬むっとした表情を浮かべたがすぐにまたいつもの強気な笑みを浮かべた。
さすが伊達家当主。立ち直りの速さは相当なものだ。
少し離れた場所に座り作業をしていたの手を掴んだ政宗がの顔を覗き込むようにしてニヤリと笑う。
城下の娘達なら悲鳴を上げて喜びそうな状況でもの表情はむしろ嫌そうに引き攣っていく。
これもまたいつもの光景だ。
「それが嫌ならさっさと俺のwifeになっちまうんだな、Honey」
「冗談はあの兜や必殺技の名前のように笑えるものだけにして下さい。第一そんな事になったらこじゅさんの胃が破裂しますよ」
「俺じゃ不満か?ちゃんよぉ」
「不満とか満足とかそういう問題では御座いません。私はあくまで伊達政宗様に仕える一介の使用人で御座いますから」
ニヤリと笑う政宗に対し頬を引き攣らせながらもニッコリと笑みを浮かべる。
表情だけ見ればそれなりに穏やかだが顔から下はどうしようもない事になっていた。
互いに両手で押し合い政宗の腕もの腕も力の入れ過ぎで大きく震えている。
政宗が押せばが押し返し一進一退の攻防が繰り広げられ、墨の入った壷がひっくり返ってもそれは続けられていた。
延々と続きそうな意地の張り合いに終止符を打ったのは勿論こじゅさんこと片倉小十郎。
執務の進み具合はどうかと見に来てみればこの有様。
ひっくり返った墨壷から墨が広がり畳を黒く染め、書状はあちこちに散らばって。
当の二人は取っ組み合いの真っ最中。
政宗の着物もの燕尾服も乱れてはいたが、色気もへったくれも在りはしない状態。
そう、どちらかと言えば子供の喧嘩としか言えない光景を前に小十郎の体が大きく震え出した。
勿論怒りで。
「こ…こじゅさんこれは…!」
「stop!小十郎話を…!」
「問答無用です!!」
顔面蒼白で後ずさる政宗とに迫り来るのは鬼の様に顔を歪めて怒る小十郎。
米沢の空に本日二度目の、今度は政宗との絶叫が響き渡った。
ああ、また筆頭とかぁ…と伊達兵達が各々の作業をこなしながら思っている頃。
小十郎による教育的制裁と言う名の拳骨が飛び政宗との頭上には大きなたんこぶが出来上がっていた。
政宗は不機嫌そうに頭をさすり、は目に涙を浮かべて頭をさすっている。
「酷いじゃないですかこじゅさん!お、親父にもぶたれた事ないのにっ!」
「全く…政宗様に押し負けるなと何度言えばわかる。第一何に影響されたんだ!」
「昨日読んだ漫画です」
「書物に一々影響されるんじゃない!」
涙目で抗議するに小十郎が吠え一喝する。
その様子を見ていた政宗がを笑ったので仕返ししようとしたに対し再度小十郎が雷を落とす。
すみませんでした…とが呟いたのを確認し、小十郎の怒りの矛先が今度は政宗へと向けられた。
「政宗様もですよ!は使用人だと何度言えば理解して下さるのですか」
「Oh…小十郎、俺は身分や立場には捉われねぇ主義だ」
「そういう意味ではありません!いいですか、は大きな声で言えませんが悪魔なんですよ!?」
「………こじゅさん、十分大声なんですけれど」
「黙ってろ!」
大体ですね、政宗様は城主というご自覚が少々欠けていらっしゃるのではないでしょうか…云々…。
sorry、小十郎話を…、駄目です。今日と言う今日はしっかりと私の意見を聞いて頂きますからね。
冷汗を流す政宗と眉間に取れなくなりそうな皺を刻んで怒る小十郎の間でこんなやり取りが延々と続けられる。
火が付いてしまった小十郎の説教は止まる事を知らず、ぐったりとした政宗とが解放されたのは三時間後だった。
とりあえずおやつを作ってきますと生気の抜けた表情で退室していくをこちらも生気が抜けた表情で送り出す政宗。
怒った状態の小十郎がいれば天下統一も簡単に出来てしまうのではないかと思う程小十郎には迫力があった。
この分であれば今日はもう政宗も執務に没頭するより他ないだろう。
台所へ入ったは今朝畑で取ってきた南瓜を手に、今日はパンプキンパイにしようと決め支度を始める。
小十郎が説教に時間を割けるのも政宗がああやって遊んでいられるのも全てはここ最近米沢の情勢が至って平和故だ。
パイ生地をこねながらそれはそれでいい事なのだろうとが一人微笑みを浮かべる。
世は戦乱の時代。こうしてのんびり出来る時間も貴重なものだ。
悪魔と違って人間の寿命は少ない。それに加えこれだけ大規模な戦乱の時代ともなれば若年の内に命を落とす者も少なくない。
あの年齢で城主となり領土を治めるともなれば政宗の負担は想像よりもずっと重いだろう。
捧げられた犠牲と享楽を引き換えに”契約書”を持つ者に対し忠実な下僕になる
今まで仕えてきた人間達の中にはを嫁に迎えたいと言い出す者もいた。
その度は、それは契約違反になるから出来ないと根気強く説明を繰り返してきたし、事実伴侶となった例も聞いた事がない。
仕える主達は皆一様に世界の重鎮ばかりだ。故に悪魔と婚姻関係を結ぶなどという事自体が不可能に近いのも事実。
政宗もきっと、生き急いでいるからこそに対しそういう願いをぶつけてくるのだろう。
だが自分はあくまで主に仕える忠実な下僕であり、伴侶になる事は出来ない。
「人間と言うのは、やっかいなものですね」
石窯に成型したパンプキンパイを突っ込んでぽつりと独り言を呟く。
ミカエリスはいつもが誰かに仕える度、貴女は人間に影響され易いから気をつけなさいと言っていた。
事実自分でもそうだなと思い嘲笑が漏れる。
最初はただ面倒臭いと思っていた「伊達政宗」に仕える事が、最近ではそれなりに楽しいと思えるようになってきているのだ。
どうせ仕えるのであれば是非主に天下統一を成し遂げて頂きたいと思う余裕さえ出来てきた。
後長くても数十年。
悪魔にとってそれは決して長いとは言えない時間。
見事に焼き上がったパイを切り分けて皿に盛り、専用の銀食器を取り出して紅茶を用意する。
これだけ和の国であるというのに自分の主は洋物を好む傾向があった。
それはそれでにとって得意分野であるから有難い。
全ての準備が整った所でそれを持っては今頃書状と格闘しているであろう主の部屋へ戻っていった。
一時間程度空けていた政宗の部屋へ戻ってみれば書状は随分片付けられているようだった。
相当集中したのか政宗の背中には疲労が漂っているように見える。
書状が乗っている台とは別のテーブルを用意して紅茶とパンプキンパイを並べれば政宗の表情にようやく笑みが戻った。
甘いものと紅茶で一息ついたのか政宗がいつもの表情を取り戻してに向かう。
そのバイタリティを見ればやはりこの主は”そういう”器を持って生まれてきたのだろうと窺える。
年齢など関係無く実力のある者が伸し上がり、またそれを押し付けられ率いていかなくてはならない時代。
幸か不幸か、それは個人の料簡によるもので推し量られるものだろう。
少なくとも自分の主はそれを憂いてはいないようだ。
「」
「何でしょう政宗様」
「俺が天下統一した暁には俺のwifeになれ」
唇の端を上げニヤリと笑みを浮かべる政宗の言葉にが眉を下げて苦笑を浮かべる。
まだ諦めていないらしい。相変わらず諦めの悪い主だ。
「私はあくまで政宗様にお仕えする者ですので……」
「It is not so,だから天下統一したらって言ってるだろHoney,俺が天下統一すりゃは俺に仕えなくてもいいはずだぜ」
「では、天下統一を成し遂げられましたらその時に考えましょうか」
ニヤリと笑う政宗に負けじとも唇に人差し指を当てニッコリと笑みを浮かべる。
すると政宗は一瞬虚を突かれた表情を浮かべ、しかしすぐにいつもの強気な表情へ戻すとの手を引いた。
またかと思えば別にをどうこうするつもりではないらしい。
絡められた小指がそれを物語っていた。
「Honey,じゃあ指きりだ。俺が天下統一したらが俺のwifeになる」
「違います!政宗様が天下統一を成し遂げられたらその時は考えると言ったのです」
「チッ……まあいいか。じゃあ俺はこの小指にかけて天下統一すると誓うぜ、Honey」
勝気な笑みを浮かべる政宗の瞳には戸惑いなど一切無く光り輝いている。
もしかしたら本当にこの主ならば成し遂げられるかもしれない。
それに興じてみるのもまた一興、自分の使命はこの伊達政宗に仕える忠実な下僕なのだから。
「では約束を破ったらその小指を切り落とすという事でよろしいですね」
「Ha!構わねぇぜ!俺は必ず天下統一してみせるからな」
大きな事を言う政宗の瞳に宿る炎はちょっとやそっとでは消えなそうだ。
その時が訪れたら自分は一体この主に何と言えばいいのだろうか。
今はまだわからないけれど絡められた小指に込められる強さが政宗の意思を表しているようだった。
UP DATE : 2008.05.24