3.1 うなぎ文の謎

 

うなぎ文とは、以下の文です。

「私はうなぎだ」

これは、例えば注文の確認において、「私が注文したのはうなぎだ」という意味になります。

当然、「I am an eel.」と言う主張ではありません。

では、なぜこのような表現が日本語で可能なのでしょうか?

そして、この回答に、「私はうなぎだ」は、「私が注文したのはうなぎだ」の省略形だという類のものがあります。

ですが、これは万人は満足させる回答にはならないと思われます。

その理由は、明らかに「なぜこのような表現が日本語で可能なのか」という疑問のうちに、

以下の疑問も当然含まれるからです。

なぜ、このような誤解を生む可能性のある表現を日本語はするのか?

そして、明らかにうなぎ文が何かの省略形だという回答は、この疑問にきちんと答えていません。

それは「モーニング娘。」を「モームス」と略して言うことを考えるとき、

うなぎ文と同レベルの省略だとすれば、「ムスメ」と略しているようなものです。

ですので、例えば「私はうなぎす」などという表現がもしそもそもあったのだとしたら、

こうしたうなぎ文についての疑問も、そもそも存在していたのでしょうか?

そこで、「これはペンです」を例にとり、うなぎ文の謎に迫りたいと思いますが、

GALにおける結論から言いますと、うなぎ文が成立するのは日本語が「非論理的言語」だからです。

そして、GALもまた「非論理的言語」です。

これは、英語が「論理的言語」と言う意味ですが、それが

・日本語では論理的な表現ができない

・日本人に論理的な表現は理解できない。

など

のことは決して意味しないし、無関係です。

せいぜい、その意味するところは、

「世界に広がる論理というトレンドは、西洋を源流とするだろう」

くらいのニュアンスに過ぎず、おそらくこれが現実です。