うなぎ文とは、以下の文です。
「私はうなぎだ」
これは、例えば注文の確認において、「私が注文したのはうなぎだ」という意味になります。
当然、「I am an eel.」と言う主張ではありません。
では、なぜこのような表現が日本語で可能なのでしょうか?
そして、この回答に、「私はうなぎだ」は、「私が注文したのはうなぎだ」の省略形だという類のものがあります。
ですが、これは万人は満足させる回答にはならないと思われます。
その理由は、明らかに「なぜこのような表現が日本語で可能なのか」という疑問のうちに、
以下の疑問も当然含まれるからです。
なぜ、このような誤解を生む可能性のある表現を日本語はするのか?
そして、明らかにうなぎ文が何かの省略形だという回答は、この疑問にきちんと答えていません。
それは「モーニング娘。」を「モームス」と略して言うことを考えるとき、
うなぎ文と同レベルの省略だとすれば、「ムスメ」と略しているようなものです。
ですので、例えば「私はうなぎす」などという表現がもしそもそもあったのだとしたら、
こうしたうなぎ文についての疑問も、そもそも存在していたのでしょうか?
そこで、「これはペンです」を例にとり、うなぎ文の謎に迫りたいと思いますが、
GALにおける結論から言いますと、うなぎ文が成立するのは日本語が「非論理的言語」だからです。
そして、GALもまた「非論理的言語」です。
これは、英語が「論理的言語」と言う意味ですが、それが
・日本語では論理的な表現ができない
・日本人に論理的な表現は理解できない。
など
のことは決して意味しないし、無関係です。
せいぜい、その意味するところは、
「世界に広がる論理というトレンドは、西洋を源流とするだろう」
くらいのニュアンスに過ぎず、おそらくこれが現実です。