4.2 強度空間は単体で強度を持つ

 

では、どのような仕組みによりGALでは、写像理論が成立するのでしょうか。
つまり、今行った図示の点線の部分は、GALにおいていかに解釈されるか、
結局、2つの線分は、1本の線を構成することに、どのようにしたらなるのでしょうか。
これは、結局、対象「殴る」はどうなったか、ということだと思います。
結論的には、GALでは対象「殴る」は2項目めの対象として、認識されていることになります。
しかし、そうすると認識されている対象は、「A」、「B」、「殴る」の3項目になってしまいます。
一見、矛盾するように思われますが、ではこの時、対象「B」はどのように認識されているかを考えて見ます。
そこで、自己紹介のことを考えます。
「はじめまして、Bです」
この時、Bの顔面はどのような状態なのでしょうか。
我々はBの顔面が殴られてボコボコになっている状態を想像できません。
何故ならば、Bの顔面が殴られてボコボコゆえにBと判別できないならば、
その言葉は現象を指示することができないがゆえに、
「Bです」は無意味になるはずです。
ならば、「Bです」と言う時のBの顔面は、Bと判別できる状態にあるわけです。
当たり前ですが。
ということは、Bと判別できる状態もまた1つの顔貌ですから、
「Bです」という言葉の顔貌性等は、1つのデフォルト状態を持っていることになります。
それらは、この「Bです」という主張を聞いた者にとっての、固有の「強度」です。
とすれば、「AはBを殴る」その結果として、Bの顔面が殴られてボコボコになっている状態だとします。
勿論、このBは、「はじめまして、Bです」のBと同一人物だとする時、
「はじめまして、Bです」という主張をした時のBの顔面は、この状況のどこにあるのでしょうか。
したがって、「はじめまして、Bです」のBの顔面も、
「AはBを殴る」のBの顔面も、
同じ顔貌を持った顔面だとなるわけです。
ゆえに、写像理論が成立することになりますが、
注意すべきは、上記で一致している顔面の状態は、
決して殴られてボコボコになっている状態ではない、ということです。
「B」はBとして名と対象が同一の状態で一致している、そのことが写像理論です。
逆に、そうでしかありえません。
したがって、Bの顔面が殴られてボコボコになっている状態は、1つ事象が盛られた状態であるに過ぎなくなります。
この事を、GALは関数がドメインの属性になっている、と言っているわけです。