府中宿から陸前浜街道起点を歩く


第5日目(平成21年9月19日)
JR常磐線石岡駅に降り立つと「石岡のおまつり」で屋台の準備の人たちで大混雑でした。「石岡のおまつり」は常陸國總社宮大祭といい,毎年9月に催され天下泰平,国家安穏,萬民豊楽,五穀豊穣等を願うおまつりです。絢爛豪華な山車など四十数台が市中心部を巡行します。おまつり期間中三日間で約四十万人もの見物客が訪れます。

駅前をを真直ぐ進むと国府3丁目交差点から水戸街道になります。関東つくば銀行のそばのパンとケーキのお店ヴィオレは本陣があったところです。


道路の対面の道を入り少し行った市民会館の前に石岡の陣屋門跡の碑があります。隣の石岡小学校の校庭に陣屋門が保存されています。陣屋門は、本柱の上に妻破風造の屋根がつき、本柱の控柱の上にも、本屋根と直交してそれぞれ別棟の小屋根をつけ、扉と控柱とを覆っている高麗門の形式である。(石岡市教育委員会)

昭和51年の発掘調査で石岡市北根本で発掘された箱式石棺風間阿弥陀などが保存されています。 詳しい地図


街道を少し戻り前回寄らなかったNTT石岡を少し入った清涼寺へ行きました。 創立は元徳2年(1330)で最初尼ヶ原に有り国分尼寺の一大伽藍の一つでした。 文亀元年(1501)曹洞宗に改宗して清凉寺開山としまた。本堂は新築工事中でした。府中藩諸藩士の墓を見て街道に戻りました。

府中と国分の境の交差点にある青柳鐵店を見て右折します。国分寺跡は交差点を左に行き 、すぐ右の道へ入ります。JR常磐線を、いずみばしで越えます。この跨線橋の左右の足元のタイルに水戸街道起点の日本橋から宿場毎に描かれています。


祭りの山車を見ながら歩くと県指定史跡石岡の一里塚が街道の両側に見えてきます。両塚が現存していますが右側の榎は枯れたようで切り株だけが残っています。

街道を進むと水戸信用金庫杉並支店(店舗統合により移転)の横に史蹟地保存万能塚があります。市内杉並の西にあり、その辺に「ズバイ」という地名があり、「ズバイ」とは、「熱灰」が訛ってつけられた言葉であろう。また、その付近に、「鉄砲塚」なるものがあり、ここで万能を勢作したと推定される。(石岡の歴史と文化 石岡市教育委員会発行より抜粋)


茶屋場住宅入口信号(にでます。かつてこの辺りに街道の茶屋があったのでしょうか。県道7号線を越え行里川を行き関東観光バス石岡営業センターの先で左に進みます。真赤なサルビアが見事に咲き誇っていました。

静かな街道を行くと市指定文化財木造不動明王坐像を安置した不動堂(や大きな旧家があります。県道を越えて直進し園部川に架かる郡橋を渡ると小美玉市に入ります。川町、野里町、里村が平成18年3月に合併してできました。


馬頭観世音を見て進み花野井川に架かる竹原橋を渡ると真白な蕎麦の花のジュータンが広がります。街道は竹原宿へ入ります。 竹原宿は本陣は無く問屋場があり問屋役人が宿継ぎを行っていました。供養塔群を少し行き右の階段を上ったところに竹原神社があります。総欅造りの竹原神社神輿は市指定文化財です。

車の通行もなく静かな街道は竹原の信号で国道6号線に合流します。国道を歩き竹原下郷、中野谷を進みます。。国道の馬頭観音にも街道の趣きを感じさせます。


大曲三差路過ぎると桜並木が続きます。堅倉三差路で左の旧道へ入ります。明治乳業茨城工場を過ぎて右に大きく曲がると片倉宿に入ります。片倉宿には脇本陣、旅籠がありました。

一本槍酒店、名主加藤家の復旧門は水戸天狗党に焼き討ちにあい残った柱二本を使用して平成4年に再建復旧した門です。宿内は本多殿屋敷など宿場の雰囲気が残っています。宿場の角に旅籠かと家があります。現在も国道の方に移転して営業を続けています。


旅籠かと家を左折して旧道を行くと商人宿のような佇まいの平本米穀店があります。しばらく行き巴川に架かる巴橋を渡ります。牛馬頭と刻まれた供養塔双体道祖神に旧街道の面影が残ります。

小岩戸交差点で国道6号線を横切り旧道を進みます。如意輪観音二十三夜塔 、供養塔があり、かつての集落の存在を感じさせます。この辺りから、なまこ壁のある家が点在しています。岩船神社を右に見て先を行くと子供を抱いた如意輪観音のような珍しい石仏がありました。


黒川に架かる山中橋を行くと田園が広がります。茨城町に入り街道は愛宕神社にでます。鬱蒼とした森の中に奥深く参道が続いています。

県道を渡ると水戸藩領地小幡宿になります。宿場の入口には法園寺があります。 小幡宿は法園寺から500mほどで問屋がある小規模な宿場でした。上野合郵便局の前を行くと青龍大権現があります。街道は小幡の信号で国道6号線に合流します。


国道を行くと左側に千貫桜碑があります。かつて桜の巨樹があり、水戸光圀公が終日めでて「千貫の価値」があると賞賛したと言われ、この地を千貫桜と称しています。右に光圀公の歌碑があります

春風も 心して吹け 散るは憂し 咲かぬはつらし 花の木のもと 常山詠草

茨城東高校を右に見て進み立体交差のところで国道から右へ入ります。奥谷坂上から奥谷信号にでます。 関東鉄道バス奥ノ谷停留所の前を行きます。
詳しい地図


涸沼川に架かる高橋を渡ります。涸沼川は笠間市の国見山を源として涸沼に流入し涸沼から那珂川に合流します。小鶴交差点で左の小鶴集落に入ります。

佐久間米店の蔵は亀甲模様のなまこ壁が綺麗です。看板建築の玩具店のこどもやを見て進みます。村社諏訪神社の前を行くと如意輪寺があります。本尊は如意輪観音です。
長岡橋を渡って県道に合流しますがすぐ右の旧道に入ります。茨城長岡郵便局の隣の藤屋製菓のみそまんじゅうは長岡名物です。


旧道の坂を上って行くと長岡宿に入ります。 木村家住宅は脇本陣で問屋や庄屋を務めていました。安政4年(1857)の長岡宿の大火により消失、現在の建物 はその後建設されたものです。平成5年に町指定文化財となりました。門は閉ざされ中を見ることはできませんが茅葺屋根が少し見えます。長岡宿には本陣、脇本陣、旅籠など宿場として栄えました。

総合衣料センターみくらやは本陣でした。柏屋肥料店も重厚な造りの旧家です。


谷塚稲荷神社の前を行き国道6号線に合流します。北関東道茨城町東インターチェンジを歩道橋で越えて行きます。国道をひたすら歩き東野町信号を左に入ります。

茨城県自動車学校を左に見て吉沢交差点を斜め右へ入ります。熱田神宮の前を行き、しばらく歩くと関東鉄道バス一里塚下西停留所の先に一里塚があります。庚申塚、地蔵尊も見られます。水戸市立吉田小学校の前を行きます。神楽屋敷跡を見て先を急ぎます。


街道を進み突き当たりに吉田神社があります。 創建の年紀は詳らかではありませんが神社の古文書によると正安4年(西暦1301年)は、御創建以来800余年に当たり、これより推定すると、顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の間に遡ります。御祭神は日本武尊です。

吉田神社を左に見て右へ進むと 備前堀に掛かる銷魂橋にでます。渡った左手に江戸街道起点、右手に高札場跡の碑があります。

常陽銀行のある交差点を右にハミングロード513を進みます。途中のベンチで休憩をしていると写真館から出てきた女性が夕焼けの空を見上げ「備前堀から見ると綺麗」と話し掛けてこられました。中へお入りなさいと勧められて備前堀の説明を伺いました。影光堂というこのフォトスタジオの店主で女性カメラマンである渡辺さんの息子さんは俳優渡辺裕之さんとのことです。冷たい麦茶をご馳走になりながらご自身の写真への思いや裕之さんのお話を聞かせていただきました。

影光堂を後にして帳の落ちた道を急ぎ茨城県信用組合のある交差点にでました。この交差点の右に陸前浜街道起点の碑があり水戸街道の最終地でゴールです。水戸街道を踏破し疲れも忘れJR水戸駅へ向かいました。