『幻影』 ― 南の島にて ―


南太平洋に浮かぶフランス領土の小さな島。
珊瑚礁がこの小さな島を遠巻きに取り囲み、その境目を様々な青で縁取っている。

ここを訪れる人は皆、眩しい海と空に誘われて、浜辺へと繰り出す。
色とりどりの熱帯魚が、そんな人々を歓迎するかのように戯れている。
今の季節は雨季であるが、一日に何度かスコールが降る程度であった。

オスカルとアンドレは、とあるホテルのバンガローの前で寛いでいた。
デッキチェアを水平に倒し、木々の隙間からこぼれる熱い日差しを受けていた。

ほんの数歩あるいただけで、浜辺へと辿り着けるこの小さなバンガローは、二人の
お気に入りであった。
リビングのテーブルには、昨夜遊んだトランプが無造作に置かれており、
トロピカルドリンクのフルーツだけが物言いたげにグラスに残っている。

そして奥の寝室に横たわる大きなベッド。
白いシーツの海が幾重にもうねりを残しており、再び主が戻るのを待っている。

「オスカル、眠っているのか?」

「い・・や。もし眠っていたら返事などしない。」

「・・・・・。素直じゃないな。怒っているのか?」

「何を?」

「まったく。お姫様には参ったよ。」

そう言ってアンドレは、隣のデッキチェアに横たわるオスカルの側に身を寄せ、そっと
その唇に自分のそれを重ねた。

「今さら遅い・・・」

オスカルはそう言おうとしたが、再びアンドレの唇がそれを阻む。

また・・こうして許してしまうのか・・・。

そう思いながら、オスカルは少し笑った。

さっきまで、白いシーツの海で泳いでいた二人。
オスカルはアンドレの中を・・・アンドレはオスカルの中を・・・。
何も考えずに、ただ相手のすべてを感じて。

そしてその後に、シーツの海でアンドレは泳ぎ疲れてしまったのか、腕の中にいる
金色の髪をした女神に、口づけするのを忘れてしまったのである。

唇を重ねあう二人を、再び白いシーツの海が誘うが、それよりも今は、目の前に広がる
青い海が強烈にそれを引き戻す。

「オスカル、浜辺を歩かないか?」

「ああ・・そうだな。」

アンドレの差し出した手を、オスカルが握り締める。
お互いの温もりと降り注ぐ太陽の日差しで、二人の心は自然と踊りだす。

アンドレの白いシャツとオスカルの白いサンドレスが眩しく輝き、美しい二人に
光のシャワーが降り注ぐ。

白い浜辺には、二人の足跡がはしゃぐように絡み付いている。
そして、打ち寄せる波が静かにそれを消していく。

「うわ――っ!」

突然オスカルが大声を出して、砂浜に倒れこんでしまった。

「どうした、オスカル!」

「何かを踏んでしまった。い、痛い・・。」

ふとアンドレは、倒れてしまったオスカルの側に大きな貝殻があるのに気が付いた。

「貝殻だよ。あ・・オスカル、血が・・・。」

オスカルの足の裏に小さく傷が出来ており、そこから真紅の液体が滲んでいた。

アンドレは、砂にまみれてしまったオスカルの足元にひざまずくと、そっとその傷を舐めた。
アンドレの口の中に、オスカルの血の味が広がる。

「アンドレ・・くすぐったいぞ。」

「ふふ・・消毒だ。」

「アンドレ、お前もすっかり砂まみれだ。」

「ではオスカル、ここでひと泳ぎしようか。」

「い・・いや、私はいい。ここにいる。」

オスカルは少し頬を紅くして言った。
アンドレの前で水着になるのを躊躇ったのだ。
シーツの海の中では、いつも生まれたままの姿を見せているのに・・・。
明るく照りつける太陽の下では、何となく恥ずかしかった。

「オスカル、あのやしの木の下にいるんだぞ。俺は少し泳いでくる。」

アンドレはそう言うと、白いシャツを脱ぎ捨てた。
太陽の日差しが、少し小麦色に焼けたアンドレの素肌を、いっそう逞しく映し出す。
オスカルは、そんなアンドレを眩しそうに見つめた。

アンドレに言われたとおり、オスカルは浜辺の一本のやしの木の下で、アンドレの
泳ぐ姿を見ていた。
波のリズムに合せて、あっという間にアンドレの姿が小さくなって行く。

5秒ごとに、息継ぎをするアンドレが波間から現れる。

「1、2、3、4、5・・・ふふ、ぴったり5秒だ。」

「1、2、3、4、5・・・。」

オスカルは小さな声で、アンドレの息を止めている時間を数えていた。
そして、何度か5までの数字を数えた後のことである。

「1、2、3、4、5、6、7、8、9、じゅ・・・ア・・ンドレ・・?」

10秒以上たっても、アンドレの姿が見えなかった。
もう見えなくなるほど、遠くまで行ってしまったのだろうか?
ふと空を見上げると、真っ黒な雲がどんどんこちらに向かっている。

オスカルは、言いようのない不安を感じていた。
ぽつぽつと、空から水滴が落ちてくる。
アンドレの姿は、相変わらず全然見えない。

「ア・・アンドレ・・・!アンドレ・・・!アンドレーッ!!」

オスカルは、そんな不安を掻き消すかのように、大きな声でアンドレの名前を呼ぶ。

しかし、激しいスコールが、そんなオスカルの叫び声を飲み込んでいく。
もはや、オスカルは溢れる涙と雨とで、何も見えなくなっていた。
ただただ不安だけが、オスカルを襲う。

激しく降るスコールで、浜辺にいた人たちは皆、バンガローの中へ入ってしまった。
浜辺に残るは・・・オスカル唯一人。
さっきまでの穏やかな海は、嘘のように荒れ狂っている。

オスカルは、ただただ呆然と立ちすくんでいた。

すると・・・

「おやおや、お姫様、ずぶ濡れですね。」

「アンドレ・・・!!」

アンドレは、泳いで行った方向とは全く別のところからやって来た。

「少し流されていたみたいだ。気が付いたらお前がいる浜辺から、ずいぶんと離れて
しまっていた。」

「ばか・・・!心配したんだ!」

オスカルは、アンドレの胸元をこぶしで何回も叩いた。
目の前にいるアンドレが、まぼろしで無いことを確認するかのように。

「すまなかった、オスカル。」

そう言ってアンドレは、オスカルの涙を拭った。

「オスカル、風邪をひいてしまう。中へ入ろう。」

バンガローへ戻ると、部屋が綺麗に掃除されていた。
テーブルの上のトランプは、きちんと一つに重ねられ、トロピカルドリンクのグラスは
片付けられていて、もう無かった。

浴室には、新しいバスタオルが揃えられ、二人はそれですっかり濡れてしまった体を拭いた。
柔らかなバスタオルが、溢れすぎてしまった水分を、心地よく吸い取ってくれた。

「オスカル、シャワー浴びるかい?」

「・・・・・。」

「オスカル・・・まだ怒っているのか?」

「・・・・・。」

死ぬほど心配したオスカルは、そう簡単にアンドレを許せないでいた。
アンドレと目を合せようとせず、ひたすら黙り込むと決めていた。
しかし、次のアンドレの台詞でそんな決心は簡単にも崩れてしまう。

「・・オスカル。俺がお前を残して何処かへ行ってしまうなんて事は絶対にないぞ。
たとえ死んでも絶対にない。」

「ぷっ・・。」

「オスカル?」

「ぷ・・は・ははは。アンドレ、お前には参ったよ。死んでしまっても何処にも行かないなんて・・
あまりに矛盾している。ははは・・・!」

「オ、オスカル・・お前・・笑ったな!俺は真剣に言ったんだぞ!」

そう言ってアンドレは、オスカルをきつく抱きしめた。

「く・・苦しい、アンドレ。」

「笑った罰だ。」

オスカルは抵抗するのを止め、アンドレの力のままに任せた。

「アンドレ・・。お前が死んでしまっても、私を一人残さない方法がある。」

「何だ?」

「私もお前と一緒に死ぬのだ。」

「・・・・・。」

「アンドレ?」

「お前が死ぬのなら・・・俺は絶対に死なない。そのためになら神に背いても構わない。
お前は・・生きているからこそ美しいんだ。」

「アンドレ・・・。」

二人はお互いを強く抱きしめた。
そして見詰め合うと、お互いの唇を重ねた。
何回も何回も重ねた。

そしてふと、オスカルが言った。

「不思議だ・・アンドレ。何故こんなにも私達はお互いを求め合うのだろう?」

「・・・簡単だよ。」

「え?」

「俺達は、もともとは一つの体を共有していたんだ。何故なら・・さっきお前が貝殻を
踏んで出来た傷を舐めたとき・・・俺と同じ血の味がした。」

「ふふ・・そうか。そんな簡単な答えだったか。」

そしてオスカルは、今度は自分からアンドレの唇に自分のそれを重ねた。

寝室のベッドの白いシーツの海が、オスカルとアンドレを誘っていた。
ベッドメイキングされ、波はすっかり消えてしまったが・・・。

それならば・・・
再び大きなうねりをつくろう。
お互いがお互いに対する大きな愛を抱え、側に存在する喜びを全身で感じながら・・・。


これは夢なのだろうか?

いや・・たとえ夢だとしても、ここから覚めるまでは・・・


どうか呼び戻さないで・・・。



〜Fin〜

あとがき

現代にタイムスリップをして、オスカルとアンドレには、
南の島でのバカンスを楽しんでもらいました。
このように、実際にはあり得ないシュチエーションでのお話を
『幻影』シリーズとして書いていきたいと思っています。
いつの時代にどのような場所に行ってもらうか考えると楽しいです。
そのうち宇宙旅行でもさせようかな(笑)?
また、リクエストしていただければ、それを参考にさせていただきたいと思います♪
(2002年9月5日)