『黒薔薇にくちづけを』


       ああ・・・私の愛しい方・・・。
       死んでも一緒にはなれないのね・・・。
       ならば・・・ならば・・・せめて、くちづけを・・・。
       永遠に別れる前に、もう一度、燃えるようなくちづけを・・・・・!

            *
            *

       1774年、ルイ15世が亡くなった。

       わずか40名の近衛兵と36名の小姓たちに守られ、その柩はサン・ドニ教会へ運ばれた。
       一国の王が埋葬されるというのに、なんと寂しいものだろう。
       今では、新国王、ルイ16世への関心のほうが高いのだ。
       ルイ15世は、愛妾を政治に関与させたりと、あまり良い国王とは言えなかった。
       だが、オスカルはそんな沈んでしまった太陽の哀れな最期を思うと、心が痛むのであった。

       ここ、サン・ドニ教会は、代々、王族の遺体が埋葬される場所である。
       真夜中ということもあり、心なしか不気味な雰囲気が漂う。

       「では、みんなご苦労だった。先に帰ってくれ。」

       埋葬がつつがなく済むと、オスカルが近衛兵たちに言った。

       「どうした、オスカルは帰らないのか?」

       教会の前から、なかなか動こうとしないオスカルに、供をしていたアンドレが言った。

       「ああ、帰る。だが・・・もう少し待ってくれ。」

       「・・・・・。陛下は、お前を信頼し、とても気に入ってらっしゃった・・・。」

       「アンドレ・・・。」

       「分かるよ。お前の考えていることぐらい。もう少し、ここにいたいんだろう。」

       夜風が、オスカルとアンドレに、寂しげにまとわりつく。
       何処からともなく、甘い薔薇の香りを漂わせて・・・。

       そして、次第にその夜風が強くなってくるのだった。
       ガタガタと教会の窓枠が鳴る。
       それは、さながらこの世に戻ろうと、王の霊たちが柩を揺さぶる音のようであった。

       「オスカル、もう帰ろう。お前の気持ちは、もう陛下に伝わっているよ。」

       「ああ・・・そうだな。」

       その時である―――。

       「うわっ・・・!」

       突然の疾風が、オスカルの乗った馬を襲った。
       馬が暴れ、オスカルはバランスを崩し、地面に倒れ込んでしまうのだった。

       「オスカル!大丈夫か?!」

       「あ・・・ああ、大丈夫だ。ちょっと腰を打っただけだ。手綱を掴んでいたから助かった。
       ・・・それにしても突然・・・すごい風だった・・・。あ・・・・・!」

       オスカルが立ち上がろうとした時である。
       地面に横たわる薔薇に気が付いた。

       「倒れた時に、つぶしてしまったようだ・・・。すまなかった・・・。」

       そう言いながら、オスカルは、そのつぶれてしまった薔薇を、優しく撫でるのだった。

       「黒い薔薇か・・・めずらしいな。」

       そのつぶれてしまった黒い薔薇は、オスカルを切なげに見上げているようであった。

       「さあ、アンドレ、帰ろう。」

       再び馬にまたがると、オスカルが言った。

       「ああ。早くしないと夜が明けてしまう。」

       そして、オスカルとアンドレはベルサイユへと帰るのだった。

            *
            *

       ひどいわ・・・・・。
       あなたは何ていう事をしてくれたの。
       絶対、絶対、あなたを許さない・・・・・!!
       許さない・・・・・!!

            *
            *

       「うっ・・・・・!」

       オスカルは、朝、苦しくて目が覚めた。
       汗をびっしょりかいている。
       何か嫌な夢を見ていたような気がする。
       でも、目が覚めてしまうと、思い出せないのだった。
       ただ、何処からともなく薫ってくる薔薇の香りを感じていた。

       (体が少し痛い・・・。昨夜、馬から落ちた時、体を打ったせいだな。)


       ――― この日は、いつもより暑かった。

       近衛連隊の訓練をするオスカルの額にも、汗が滲んでいた。

       すると・・・オスカルは、急に目眩を覚えた。
       地面が、グラグラと揺れているようだった。
       そんなオスカルの様子に、いち早く気が付いたのは、アンドレだった。

       「オスカル、少し休んだらどうだ?」

       「ああ・・・そうするよ、アンドレ。ジェローデル、後は任せた。」

       「は・・・!かしこまりました。隊長!」

       オスカルは、木陰に横たわった。
       アンドレが心配そうに、オスカルの顔をのぞき込んでいる。

       「顔色が真っ青だぞ。やっぱり、昨日落馬したせいか・・・?医者に診てもらった方が
       いいんじゃないのか?」

       「大丈夫だ。確かに体は少し痛いが、大した事はない。この目眩は、きっと暑さのせいだ。
       少し休めは・・・治る・・だ・・ろう・・・。」

       今度は、睡魔がオスカルを襲った。

       「すまないが・・・少し寝かせてくれ・・・。」

       「ああ・・・。」

       アンドレは、オスカルに太陽の光が当たらないようにと、自分の体を移動させ、
       日陰を作ってやるのだった。

            *
            *

       彼があなたの大切な人ね・・・。
       分かったわ・・・。
       あなたにも、同じ思いをさせてやるわ。
       永遠に、深い悲しみから抜け出せないようにしてあげるわ・・・!

            *
            *

       「はっ・・・・・!」

       オスカルが、突然、飛び起きた。

       「どうした?オスカル?!」

       「また・・・嫌な夢を見ていたようだ。何か、嫌な感じがまとわりついて離れないんだ・・・。」

       「体の方は大丈夫か?」

       「ああ、だいぶ楽になった。そろそろ戻ろう。」

       オスカルは、そう言うと立ち上がった。
       そして・・・また、薔薇の香りを感じるのだった。
       むせ返るように、きつい香りを・・・。


       夕方――。

       アンドレは、ジャルジェ家の用事で、一人でパリに行った。
       しかし、夜中になっても、なかなか彼は戻らなかったのである。

       「ばあや、アンドレはずいぶんと遅いな。」

       「まったく、あの役立たずが!きっと、何処かでふらふら遊んでるんですよ。」

       「そうだといいのだが・・・。」

       オスカルは、部屋に戻ると、窓を開けた。
       こうしておけば、アンドレが帰って来たことに気が付く。
       そして、ベッドに横になった。

       すると・・・

       今度は、突然、オスカルの体が動かなくなってしまったのである。

       意識は、はっきりしているのに、体が動かない。
       声を出そうとしても、声にならない。
       目は見える。
       ただ体が動かないので、天井しか見えないのだった。

       そして・・・

       オスカルは、誰もいないはずのこの部屋に、何者かの気配を感じるのだった。

       (誰・・・?そこにいるのは・・・?何故、黙っているのだ・・・?!)

       その何者かは、ただただ沈黙を守っていた。
       そう、不気味なほどに・・・・・。

       オスカルは、体の奥から、不安という名の黒いものが、じわじわと全身に広がっていくのを
       感じていた。

            *
            *

       あなたの恋人を、こちらの世界に呼びましょう。
       そうすれば、あなたは一生彼に会えないわ。
       死んでしまっても会えないのよ。
       永遠に、永遠に苦しむのよ。私のように・・・・・!

            *
            *

       (ま、まて・・・!私の恋人とは、アンドレの事か・・・?違う・・・!彼は私の幼なじみだ!
       昔から一緒に育ってきた兄弟のような存在だ・・・!だから、アンドレには何もするな・・・!!)

       「あ・・・・・!」

       やっとオスカルの体が動いた。
       全身が、汗でびっしょりだった。
       そして、再び、きつい薔薇の香りを感じるのだった。

       薔薇―――?

       そうだ・・・この薔薇の香りは、昨夜、サン・ドニ教会で感じた香りと同じだ。
       そして、馬から落ちた時につぶしてしまった、あの黒い薔薇・・・・・。

       オスカルは、胸騒ぎがした。

       「大変だ・・・!アンドレが・・・・・!!」

       オスカルは屋敷を飛び出し、暗闇の中を、サン・ドニの街に向かって馬を走らせるのだった。

       再び、あの教会へと―――。


       その頃、アンドレは、何かに取り憑かれたように、サン・ドニ教会へと向かっていた。
       その瞳は虚ろであった。
       そして教会へ着くと、馬を降り、歩いて裏庭のほうへ向かった。
       暗闇の中を、ためらうことなく、一直線に歩くのだった。

            *
            *

       さあ・・・こちらへ来るのです。
       真っ直ぐに歩いてきて・・・。止まったりしては駄目よ。
       さあ・・・もうすぐだわ。こっちの世界に来るのよ。
       そうすれば、あの私をつぶした憎い人間を、永遠に苦しませることが出来るのよ。
       さあ・・・・・!

            *
            *

       「待て、アンドレ・・・!止まるんだ・・・・・!!」

       「あ・・・・・」

       アンドレは、オスカルの叫び声で、我にかえった。

       「お・・・俺はいったい・・・・・?」

       そして・・・アンドレは、すぐ目の前に、古井戸があるのに気が付いた。
       暗闇でよく見えないが、確かにそれは、深い深い古井戸であった。


       ここに落ちたら・・・おそらく・・・助からなかったであろう・・・・・。


       「よかった・・・。間に合った・・・。」

       オスカルは、安堵のためか、体から力が抜け、地面にへたり込んでしまうのだった。

       「何故、俺はここに?旦那様の用事は、とっくに終ったはずだ。なのに、ここに来るまでの
       記憶が全く無いんだ。」

       「とにかく、無事でよかった。アンドレ、ばあやが心配している。早く帰ろう。」

       辺りは、相変らず、きつい薔薇の香りでいっぱいだった。
       教会を出る途中、あの黒い薔薇が横たわっていた。
       生命が絶たれてしまったのか、もうすでに枯れてしまっていた。

       すると、突然、アンドレは言うのだった。

       「ここの薔薇には、死んでいった女達の魂が宿っているのかも知れんな。」

       「え・・・・・?」

       「ここでは、代々の王様の妾だった女達が、自殺をしているそうだ。だから物悲しげなんだな。
       教会の教えに逆らって死んでも、絶対一緒にはなれないのに・・・。哀れだな・・・。」

       「そうだったのか・・・。」

       だから―――。

       オスカルは、この枯れてしまった薔薇を見ているうちに、胸が押しつぶされそうになった。
       ここで死んでいった女達は、本当に、その王様達を愛していたのだろう。
       ただただ、愛する人の眠る側で死にたかったのだろう。
       しかし、自殺は、キリストの教えに背くものである。もちろん、妾という存在も・・・。
       死んでも、決して結ばれることはないのだ・・・。

       愛する人と、永遠に引き裂かれる苦しみ―――。

       18歳のオスカルに、男女の深い愛はまだ理解できなかった。
       だが、死んでいった女達の苦しみを思うと、涙せずにはいられないのだった。
       この枯れてしまった薔薇にも、ひとりの女の思いが込められていたのだろう・・・。

       オスカルの涙が、その枯れはてた薔薇に落ちた。

       すると―――。

       その薔薇は、見る見るうちに、生命を取り戻してくるのであった。
       茎が起き上がり、葉はみずみずしく輝き・・・・・
       そして、その花びらは、黒ではなく、真っ赤に真っ赤に染まっていったのである。

            *
            *

       ありがとう・・・。
       ずうっと待っていたのかも知れない・・・。
       こんな風に私のために泣いてくれる人を・・・。
       私のこの愛が、決して愚かではなかったと、証明してくれる人を・・・。
       これで・・・・・
       これで、やっと安心して眠ることが出来る・・・・・。

            *
            *

       気が付くと、オスカルとアンドレは、サン・ドニ教会の前にいた。

       白々と、夜が明けてきた。
       そして、さっきまでの、きつい薔薇の香りは消えていた。
       そのかわり、朝露に濡れたみずみずしい真紅の薔薇たちが、優しい香りを放っていた。

       「ばあや達が心配している。さあ、早く帰ろう。」

       「ああ。」

       いったい何が起こったのか―――?

       この不思議な出来事は、朝日が高く昇につれ、オスカルとアンドレの記憶から
       薄くなっていったのである。

       オスカルは考えていた。

       もし・・・アンドレと永遠に別れてしまったら、私はどうなるのだろう。
       地上においても会えず、天においても会えず・・・・・。

       オスカルの胸の奥が、ぎゅっと何かに掴まれてしまったかのように切なくなった。

       アンドレは、私にとって、大切な人間だ・・・。
       そう、兄弟のように・・・。

       でも・・・

       でも、本当にそれだけだろうか・・・・・?


       オスカルが、その切なさの意味を知るのは、ずっと後なのであった―――。



〜Fin〜