京都をご存じの方なら簡単に読める、この「糺」という文字がなかなか読めない方が多い。 何故、京都なのかを少し紹介しておく。私の父は、京都市左京区の下鴨神社を覆う150万坪におよぶ 世界遺産「糺の森」から「糺(タダス)」という文字を私の名前にあてたらしい。 「らしい」というのは、父は20数年前に他界し詳しく知る術はないからだが、生前、何かのときに ポツリとこぼしたことを記憶している。爾来、私は京都を訪れる度にこの森には足を運んでいる。 この「糺」及び「糺の森」について、以下『下鴨神社と糺の森 』(2003年 賀茂御祖神社編 淡交社)を 参考にして紹介しよう。

「糺」(タダス)という言葉の原義には、例えば鴨川と高野川の三角洲にちなんで「只洲」とよんだと する説や清らかな泉が湧き出る「直(ただ)澄(す)」説、等々諸説ある中で、とりわけ注意を ひくものとして、偽りを糺すの「タダス」であるといい、次のように述べている。: 『源氏物語』(須磨の巻)では、光源氏が下鴨の神を遥拝して“憂き世をば今ぞ別るるとどまらむ名をば 糺の神にまかせて”、『枕草子』では中宮定子が“いかにしていかに知らまし偽りを空に糺の神 なかりせば”などと詠んでいる。『新古今和歌集』の小野篁(おののたかむら)の 歌“人知れず心糺の神ならば思ふ心を空に知らむ”も同様であっった。 あやまちといつわりの世には「糺す」の森の意味の方がふさわしいかもしれない。 このように述べている。

また、「林」(ハヤシ)の原義は「生やす」の名詞形の「生やし」であって、人工の加えられた森林を 意味するとし、それに対し「森」(モリ)は 「自然」と同義と解釈されるとある。 砂漠化した現代を、本来の「森」の姿に取り戻し、生きとし生けるものが共存する社会をつくって いくことを目指して、2008年8月開催された準備会において会の名称を「現代社会の問題を糺し 未来の扉を開く会」とし、通称『糺の会』とすることにした。

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