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(千葉) 質疑応答に入る前に私の方からこの時間をお借りして一言申し上げます。 最近、社会が壊れ始めているのではないかと思うわけです。先ほど年収いくらという話が 出ましたけれども、記号的な格差、彼が年収いくら、自分はそれよりも少ない。 そういうことで、自分自身を耐え難い存在と考えてしまう。そういうような風潮が 生まれているような気がします。
ある雑誌の特集として、この社会が壊れ始めたのはいつ頃からかということが組まれていました。 これはある意味でのグローバル化とも言えましょう。その雑誌の中で面白かったのは、 1970年代の始め、ペットボトルという物が世の中に出始めた頃からではないかと 書かれていたことです。空気だとか天然のお水だとか、そういったもの・自然天然が、 自然でなくなった頃からではないかと書かれていました。
この辺りも含めて、次回はこの社会、家庭あるいは家族その辺について深く考えてみたいなと 思っています。
(総合司会) どなたかご質問等ありましたら、お気軽に挙手をお願いいたします。 こちらからご指名させて頂きますので、お名前をお名乗りの上、ご質問ください。
(質問者) 本日は、鈴木先生、平野先生、忠岡先生大変面白いお話有り難うございました。 質問というか私は今日、先生にコメントしていただきたかったことに、年金問題も医療問題も 高齢化の問題もこれはすべて、以前は日本にはなかった問題です。いまでもない国もあるわけです。 先進国ではこれらの問題はあるわけですが、例えばタリバンの中に医療問題はあるか、 年金問題はあるかというとないわけです。
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私が伺いたかったことは、生死ということは宗教、哲学と非常に密接に関わりがあるわけです。 高度成長時代、ある年齢になったら法人が勝手に個人に「もう来るな」というような命令をし、 これが機能して世界に冠たる国になったのかも知れませんが、今、低成長という時代になって そうではなくなると思うのです。つまり、大学を卒業してすぐに働かなくても、自分の能力を 高めるために時間を使って、例えば15年経ってから一流企業に入社しても、60数歳で 会社へ来るな、という時代ではなくなると思うのです。つまり、日本が激変している中で 高度成長期の遺物である全員入社式を行って入社した者が、全員ある時期に定年を 迎えることによって給料がなくなる、こういう社会ではなくなると私は思うのです。
この中で、日本人が一番忘れているのは哲学であり宗教であると思います。 この両方があれば、自分たちが歳をとったらどのように生きるべきか、身をもって勉強しているわけです。 哲学がなくなってしまったこの近現代において、この医療問題と年金問題の両方が 出てきているのではないかというのが私の考えです。
つまり「生き甲斐がある」というのはおかしな社会であって、「死に甲斐がある」社会を つくらなければいけないのではないかと思います。何のために死ぬんだ、金のため、国のため、 愛する人のために命を投げ出すという、死に甲斐がある国にならなければいけないのでは。 そう考えれば、年金問題も医療問題も些末な問題ではないかと思うのですが如何でしょうか。
(千葉) 世の中は非常にうまくできていまして、得るものがあれば必ず失うものがあるわけです。 必ず帳尻が合うようにうまく出来ています。高度成長で得るものがあった、その分、失ったものが あった。それが今おっしゃった非常に大きな部分ではないかなと思います。 これが今のご質問の答えになるかどうか分かりませんが、セネカの書いた『人生の短さについて』と いう本がありますけれども、あの中で人生は短いんじゃなくて自分で短くしているんだ、 やることがあったら長いんだと言っています。その辺りの思想的、哲学的なことをわれわれは すっぽりと忘れてしまっている。その代わりいろいろな便利なものを得ているのではないかなと いう気もします。医学的なこと、経済学的な見地からもどうぞ。
(平野) それについて答えを持っている訳じゃありませんし、質問の意味を取り違えるのが 自分の欠点ですが(笑)。私の考えを言わせていただきますと、確かに些細な問題で ありますけれども、哲学的なこと、宗教的なこともそれも実は些細なことではないかと思うのです。 人生そのものが些細なものです。些細なものの積み重ね、その根底にあるのがこういう時代の 閉塞感のような何となく気分の問題ではないかと思います。
みんなが幸せかどうかは気分の問題であって、相対的なものだと思います。ところがお上の失政によって、 何となくヤバイ方向に行っているのではないか、それが現代社会ではないかと思うのです。 その中で、解決出来そうな問題については問題であるという認識が必要だと思います。 4月のシンポジウムで日本の教育システムが悪くなっていくという話をされましたが、 ではこれまでの日本の教育システムが良かったのか悪かったのかきちんと総括されてないと思うのです。 老人問題も医療問題もそうです。過去はどうだったのか総括しないまま、何となく不安に動かされて 右往左往してどんどん雰囲気が悪くなっているような気がします。
(忠岡) 大変感銘を受ける質問をいただいてのコメントですが、先ほどQOL (クオリティ・オブ・ライフ)ということを述べました。これは本来、治療の成果をいろいろな数値を 使って表すというものですが、それを敢えて誤解して本当に生活のクオリティ・質と考えています。 反対の言葉は寿命の長さ(Quantity Of Life)が治療の目標になるというものですが、 それでは絶対に幸せになれない。
ではどうやったら充実した人生を全うできるかというと、それは医療技術ではなくて、 その人の教育とか、その人を形成する精神の問題だと思われます。外面的な医療技術は進歩していると 思いますが、それを受ける人の幸福度というのは江戸時代と大して変わらないのではないかと 常々思っています。医療とその人の幸福とは全く別の次元の問題だと考えています。
(鈴木) 今ご質問の中でがあった精神とか宗教論とかいうのは形而上的な問題であって、 私が扱っている経済学はどちらかというと形而下的な問題ですので、どちらも接点を見いだすことが 出来ないというのが答えの一つではないかと思います(笑)。
ただ千葉先生がおっしゃられたように、いつの頃からかお金、物質文明、物質社会が蔓延していって 「一億総サラリーマン化」していきました。忠岡先生からQOL(クオリティ・オブ・ライフ)ということが 出ましたが、総サラリーマン化していくとお金がないといけないわけです。そうするとお金が 高い人ほど偉いんだ、と思っていってしまう。そこから日本の社会が違った方向に舵を 切り始められたと言えます。
アメリカでも当然、同じようなことがあって、最近封切られた「クリスマス・キャロル」という映画が ありますが、これはアメリカでも評判で日本の子供たちにも見てほしい映画です。 これは、拝金主義者で強突なユダヤ人が最後にお金をチャリティというか、慈悲の心に 気がついたという話です。 物質文明のアメリカでさえ、ある程度のレベルに達すると世の中の人に返すということをするわけです。
それが日本は中途半端なために、自分の懐で止まってしまう、あるいは懐で止まっているがために、 その懐が見えて気になるというのがいけないんだと思います。ただ高度成長期には人々が足並みを そろえて経済大国を作ってきたわけです。国民性が世界を取り巻く世の中の状況に今一つ、かみあって いないということが言えるのではないかと思います。
(質問者) 鈴木先生にお聞きしたい。日本人で亡くなる方が平均して1000万円以上残されて 亡くなる方が多いと聞きます。これが国庫に入ったり相続されたりするわけですが、数千万円残して 亡くなるということを考えると、「老後はお金が足りなくなる」というのは生命保険会社や年金を 扱っている方の常の言葉にしか聞こえません。
幸田露伴だったと思いますが、お金を貯めてそれを抱えて死ぬのはあまり適切ではないと 書いていたと思います。実態はどうなんでしょうか。 本当にそんなに預金を残して亡くなる老人が多いんでしょうか。
(鈴木) 今のご質問は非常に良いご質問だと思います。これは先ほど紹介した「賦課方式」に 関連した問題です。今、年金を受け取っておられる方からすると、それを支えている人の数が 多いものですから、年金のバランスシートから言いますと額面通りの金額を受け取っています。
しかし、一方で私が20年後リタイアするとき、つまり20年後に私を支える子供たちというのは 少子化の影響で少なくなってしまう。そうすると私が受け取ることが出来る年金が少なくなる。
(質問者) そこのところなんですが、そうなると社会が変わり定年制度が変わる、死ぬまで 働くという考え方になるんだという結論にどうしてもならないのでしょうか。自分が五体満足では なくなるという方に国が補助をするというのがまさに資本主義の原則ですが、 資本主義の原則の中に老後をゆっくり楽しむという原則はなかったはずです。死ぬまで働くというのが 資本主義の原則のはずです。
これは石田梅岩らも言っていることですが、いつからか定年とか隠居という考えが出てきた。 気力があればいつまででも働くという考えがあると思うのですが如何でしょうか。
(鈴木) ご指摘は正しいと思いますね。就労年齢というのを問わないかどうかというのが 一つの大きな問題です。それ以外に女性、そして移民です。この3つを克服すると日本の国力は 高まるのは間違いないです。しかしながら、それに対して重い腰を動かしていないというのが実際で、 そこが問題だと言えます。
では、アメリカを例にとってみると、年齢問題。年齢というのを履歴書に書きますとそれは ディスクリミネイト(discriminate)されます。discriminationは差別、年齢差別ということです。 どういう職業でも、誰にでも開放されている、誰にでも権利がある、したがってどんな歳の人でも 働く権利はあるというのがアメリカです。
しかし、アメリカ人に聞くと「俺は80歳になって仕事をしていて嬉しいよ」という人はいないんです。 アメリカ人が一番嬉しいのはアーリー・リタイア(early retire)。40歳過ぎて仕事をやめて 好きな魚釣りをする、というのが一番嬉しいことで、何年も働けるというのは実は自慢ではなく、 十分人生の余暇を楽しんだというのが、アメリカ人の自慢話なのです。
もしかするとアメリカ人は、今のご質問の一歩先を行っているのかも知れませんが、 少なくともわれわれはそういうのを見習いたいですね。
(総合司会) たくさんの質疑があるようですが、お時間の都合上、質疑応答をこの辺で 終了させて頂きます。
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わざわざ秋田からこの会に参加いただきましたM.Aさん、一言感想をお聞かせください。
(M.A氏) 秋田から参りました。私は化学工学を専攻しておりまして「饂飩製造」をしながら、 ときどき大学でも講義・講演をさせていただいております。子供が中学3年で高校受験をひかえ、 先日、数学の矢野健太郎先生の著書『中学数学事典』の中の一節を子供と一緒に 読みました。そこには矢野先生が解けなかった問題を何度も何度もぶつかることによって、 次第に分かるようになってきた。恐らく千葉先生もそうやって教えられてきたのではないかと 思います。今日の先生方のお話を聞いていて、許容(allowance)というものを感じました。 今の教育に必要なものはある意味での不完全性といったものを教え込まれるべきではないか、 最初から完全なものはこの世の中に一つもないわけです。
不完全なことによって成り立っているものを如何に完全なものにするかということが、 やはりキーではないかなと思いながら聞かせていただきました。 誠に有意義な時間を有り難うございました。
(総合司会) 次回のシンポジウムにつきまして、『糺の会』千葉 糺理事長からお話をさせて頂きます。
(千葉) 今回「高齢化問題」を医療の観点から取り上げました。しかし、シンポジウム中でも ありましたように、高齢化問題は、家庭・家族の問題と切り離して考えることは出来ません。
そこで、第三回シンポジウムは「家庭論・家族論」を語る最適任者と私が迷わず思いました、 弁護士・早川治子先生との対談で、壊れかけている日本の家庭・家族について分析し、どう対処すべきかを 熱く語りたいと思います。
私はこれまで早川先生ご夫妻には、数え切れないほど教えを受けて参りました。最も印象的な言葉は 「教育には時間がかかる。焦るな」という言葉です。
早川先生ご夫妻を私は勝手に社会派弁護士と名付けていますが、まさに地を這うようにして 人々の悩み・苦しみを少しでも解決しようと活躍をされています。法曹のお仕事をされる以前は、 学校の先生をなされていました。最近は、介護の学校で介護士の資格を目指す人々に法律を 教えたりもされてきました。人間をこよなく愛する方だと思っています。
また日本フィンランド協会の草分け的仕事をなされています。多くの事件を抱えてご多忙の中、 今日は最後まで参加していただき心から感謝申し上げます。 また、次回のシンポジウムには、ヨーロッパに行かれる直前であるにも関わらず、 ご参加を快諾していただきました。
それでは、昨今の日本の家庭・家族について抱いておられるお考えを 1分間スピーチでお願いいたします。(拍手)
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(早川) 早川でございます。「熱い思い」を抱いているかどうかは分かりませんけれども、 私のことを主人は「瞬間湯沸かし器」と評しますけれども、何かすぐにカッカする、そこを 「熱い」と思ってらっしゃるのかも知れません。 今日「高齢化社会」の話を伺って大変面白く感じました。
私もまもなく後期高齢者になります。ですから今までと違って、たくさん高齢者の医療費を 払わなくてはいけなくなり、大変だなぁと思ったりもしています。
と申しますのは、東京の弁護士会は特別健康保険組合というのを持っておりまして、私どもはとっても安い 保険料ですんでいます。それは、弁護士というのは忙しいから医者に行かない、病気にならない。 病気になっているのかも知れませんが、私は病気がいっぱいあるかも知れませんが、ここ20年ぐらい 健康診断を受けたことがありません。それは私の信念です。
というのは、今病気の人たちというのはほとんどお医者様がつくった病気かなと思うのです。今日、 ここにお医者様がたくさんいらっしゃいますから、こんなことを言ってはいけないのですが、 検査をすれば人間の体はその時その時であちこち悪いところがある。そうすればお医者様は 「はい、あなたは何とか病ですよ。薬を飲みなさい」と言います。 薬を飲めば飲むほど悪くなる。で、私は薬を飲まない、検査を受けない。死ぬときは死ぬ。 人間、寿命があります。そこまで結論的に考えて、毎日を過ごしております。 幸せか幸せでないかは自分の心の問題です。先ほど「気持ちの問題」と、こちらの先生が おっしゃいましたが、どういう気持ちで生きるか。今日生きていることが幸せなんだ、という気持ちを 持って毎日を送ることが出来れば幸せではないかなと思っております。
そして、ここにおいでになってらっしゃる方々は、ほんとはこんな話を聞いて勉強しなくても いい方たちだと思います。本当はこういう所にお出でにならない方たちに聞いていただきたい。 そしてその方たちと一緒に考えたい。こう思うのは街を歩きながら、電車に乗りながら、 いつもいつも思うことです。
ですからあとは私たちが毎日毎日の生活の中で、隣の人に、出会った人にどういう声をかけて どうやって自分たちと同じ考え方をする人たちをつくっていくか、という本当の草の根しかないのかなと 思います。
私が何のお話が出来るか分かりません。皆さん、みんなこういうパワーポイントなどという すばらしいものを使ってらっしゃる。私はそういうことをしたことがありません。IT音痴です。 フィンランドというのはITの世界では、世界的に進んでいる国です。フィンランドのことを やっていながら、私はIT音痴、音痴というよりも「アンチIT」です。ということで、 雑な話しか出来ませんけれどもそれでもよろしかったら、どうぞお聞きください。(拍手)
(千葉)早川先生、有り難うございました。4月3日よろしくお願いいたします。 本会は皆様方と共に考え、話し合い、作り上げていく特定非営利活動法人です。 「ワンコイン募金」についてのお願いの用紙にありますように、皆様のお力で、 今後この会の運営がより有意義なものになりますよう、「ワンコイン募金」の趣旨に ご賛同・ご協力いただけましたら幸いです。
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お帰りの際、現在使われている日本のコインを入り口に用意してある募金箱に、お一人1回 ワンコインのみお入れいただければと思います。本日は、駆け足でかつ素人の私が 二つのテーマについて話し合いました。間違いもいろいろあったと思いますが、最後まで お付き合いいただき有り難うございました。
(総合司会) 「現代社会の問題を糺し未来の扉を開く会」通称「糺の会」第2回総会に お越しいただきまして、誠に有難うございました。次回、来年4月3日(土)のこの時間に この場所でお会いするのをわれわれ社員一同、心からお待ち申し上げております。 お忘れ物のないようお気をつけてお帰りください。御協力有難うございました。(拍手)