「ふわぁ・・・・。」
魅録は電子カルテを見つめていた目を閉じて、思いっきり伸びをした。
「お疲れ様。」
絶妙のタイミングで可憐がコーヒーを運んできた。
「お、サンキュー。」
「今日はなんだか皆がのんびりしてるわね。」
「そうだな。まったりしてんな。」
「清四郎がいないからですわ。」
専門雑誌に目を落としていた野梨子が顔を上げた。
「明日まで帰ってこないって分かってるからね〜。」
可憐が頷く。
「上に立つ人間で場の雰囲気が変わる・・・よくあることですわ。」
「上に立つ人間?」
「ええ。今日の最高責任者は皆の緊張を解くのがお上手な方ですから。」
「そうね。」
可憐と野梨子が目を見合わせて微笑んだ。
「それって俺のことなわけ?」
「気が抜けまくっている困ったちゃんもいるけどね。」
美童が机に突っ伏して夢の中の悠理を見ながら言う。
「今この場に清四郎が戻ってきたら雷が落ちるよ。絶対。」
魅録は医局内をぐるりと見回した。
その他の医師、研修医、看護師・・・・皆和やかそうだ。
「俺ってやっぱ舐められてるんか・・・・・?」
魅録が苦笑した。
「誰も舐めてなんかいませんわ。こういう雰囲気を作り出せるのは魅録の
魅力ですわ。もちろん清四郎がいる時のあの緊張感ある雰囲気も
大切ですけど、たまにはこうじゃないと皆の息が詰まってしまいますもの。
もっともわたくしは慣れていますけど。」
「そうね。だけど魅録は仕事となれば一変する・・・そんなことここにいる誰もが分かっているもの。」
「おいおい、おだてても何もでねーぞ。」
「あら残念。」
可憐がおどけて見せた。
「なんだか魅録の評判が良いなあ。油断ならないよ。」
美童は少しムッとしてみせた。
「ま、なんにせよ。」
魅録は立ち上がり外を見る。
「清四郎がいない時にヤバイ状態の患者は勘弁だな。」
「逆に清四郎が居ない間に手柄を立てるとかは考えないの?」
「なんだよそれ。別に手柄なんて欲しくねーし。」
「それも魅録の魅力の1つですわね。地位とか権力とかに無縁、
ただ治療に専念する・・・・って。」
「それは俺がただの雇われ医だからできることだけどな。
清四郎はこの病院を経営しねーといけないから、地位も権力も必要だ。」
「だからこそ、ですわ。魅録の存在が大きいのは。」
その夜、ほぼ同じメンバーで夜間当直に突入し11時を過ぎた頃、
消防庁からのホットラインが鳴った。
魅録が手を伸ばす。
「先生、お世話になります。」
「あいよ。何の患者?」
「バイク事故です。負傷者は二人。男性。年齢はたぶん10代。」
「具合は?」
「一人はCPA(心配停止)。もう一人も意識300(意識レベル最悪)です。」
「マジ?そりゃヤバイな。300の方のバイタルは?」
「脈拍120、血圧80です。」
「傷は?」
「右足が膝下でほぼちぎれている状態で、内損疑いあり。頭部も損傷しています。」
「分かった。じゃあ300の方受けるよ。連れて来て。」
「ありがとうございます。では向かいます。」
魅録は受話器を置くと大きな声で皆に伝えた。
「バイク事故ー!レベル300!右膝下ちぎれてる!頭部損傷!内損疑い!
人集めろー!!!」
「松竹梅先生!」
研修医の一人が声をかけてきた。
「んんっ?」
「さっき電話では二人いるようでしたが・・・。」
「ああ。そっちはCPAだったから近い病院へ送ってもらった。」
「救命センターですか?」
「いや、たぶん違うだろう。」
「諦めるんですか?」
「・・・・・はっきり言えばそうだ。」
「なぜ?!」
「外傷によるCPAは救命率がほぼない。」
「でも。」
「きわめて重症患者を二人抱えて、どっちにも最善の治療を施すのは無理だ。
今から来る患者一人だけでもう手一杯だ。患者がどんな状況かは言ったろ?
救える可能性があるほうを確実に救う。」
「でも、菊正宗先生がいたなら・・・!」
「今日は俺が頭だ。俺の指示に従え。」
「はいっ、そこまで〜。」
若い研修医の肩を掴んで美童が言った。
「ねえ魅録、今日はこの子僕に任せてくれない?」
「かまわねえけど・・・?」
そこへ悠理が走ってきた。
「魅録!!来たぞ!」
「おし!」
ストレッチャーで処置室に運び込まれてきた患者はの右足は膝のあたりから
骨が飛び出している。
もちろん血糊でベットリ。
頭部も血糊でベットリだ。
「移すぞ。」
処置台に移そうと体を持ち上げると右膝下の肉の塊がブランと垂れ下がった。
「ひでえな・・・・。」
魅録はほんの一瞬考え、指示を出した。
「大腿部で緊縛しろ!」
「この足どうするつもり?」
可憐が聞いた。
「落とす!」
「魅録ちゃ〜ん、何とかならない?」
哀れっぽい声で悠理が聞くが
「ダメだ。落とす。」
魅録は一蹴すると、頭部へ移った。
「意識レベルは?」
「やはり300です。よくて200ですね。」
「耳出血は?」
「右耳奥からあります。」
「瞳孔は?」
「右3ミリ、左5ミリ、対光反射はどちらもダメです。」
「頭皮は?」
「右側頭部がパックリ割れています。頭蓋骨も触れます。」
「骨折はどうだ?」
「ありそうですね。」
「頭皮からの出血は?」
「何箇所か噴いています。」
「とにかく止血しとけ!」
魅録の質問によどみなく答えていく若手医師たち。
「血圧60ですわ!」
「松竹梅先生、足の処置終わりました!」
「オッケー。んー血圧が低いのは足だけじゃねーな・・・・腹は?」
「大丈夫そうです!」
「胸か?!」
「あっ、右の肋骨がひどい!皮下気腫があります。」
「可憐!胸腔ドレーン!」
魅録が素早く処置をした。
「どうだ?血圧は?!」
「上がって来ました!」
「よっしゃ。そんじゃ頭のCT行くぞー!輸血も急がせろ!」
その騒ぎから少し離れて美童と研修医は立っていた。
「いつもはあの騒ぎの中に居るけど、ちょっと離れたところから見ると新鮮でしょ?」
「はい。」
「見えてなかったことも見えたんじゃない?」
「はい・・・・。」
「魅録の受け入れの判断は正しかったって僕は思うよ。」
「・・・・・・。」
「清四郎がいたなら・・・・という”もし”は必要ない。だって今現実清四郎はいないんだから。」
美童は優しくゆっくりと話す。
「それにね。清四郎も魅録が居る時は多少無茶をするけど、魅録が居ないとかなりシビアに
状況判断するよ。多分、今日のケース、清四郎も同じ判断だと思う。
ドラマチックな救急劇は印象に残りやすいからかもしれないけど、そういう時は絶対清四郎の隣に
魅録がいる。今度から良く見ていてごらん。」
「はい。・・・・・あの・・。」
「な〜に?」
「今日の松竹梅先生の姿、頭に焼き付きました。少しでも近づけるよう努力します。」
「ダメだよ。追い越すって言わなくちゃ。」
美童は軽くウインクをして
「さっ行こう。足も頭もオペだよ。」
と研修医の背中をそっと押した。
研修医はCT室へと駆け出した。
翌朝。
「ふわぁ・・・・。」
魅録は電子カルテを見つめていた目を閉じて、思いっきり伸びをした。
「お疲れ様。」
絶妙のタイミングで可憐がコーヒーを運んできた。
「お、サンキュー。」
「今日もなんだか皆がのんびりしてるわね。」