概要

慶長元年(1596年)藤堂高虎が6年を費やし中世山城の板島丸串城の跡地に築城が始まっ たといわれます。その頃は望楼型の天守を築いたとされています。

城主は富田氏と代わり、さらに2代徳川秀忠より慶長19年(1614年)に伊達政宗の庶長男である伊達秀宗が宇和郡10万石に封じられ、元和元年(1615年)には入城。宇和島藩が成立。

明暦3年(1657年)宗利が7万石で2代藩主となり、弟の宗純に吉田3万石が分知されました。

また五角形平面の縄張りは藤堂高虎によるものとされ、四角形平面の城と錯覚させる目的があるともいわれ、幕府の隠密が江戸に送った密書には「四方の間、合わせて十四町」と、誤って記されたと伝わります。

江戸時代を通じ伊達による統治が続きましたが、宗家である仙台伊達家や分家・支藩であった吉田藩とは必ずしも関係がよかったわけでもないようです。

元禄9年(1696年)3代藩主伊達宗贇の時に、新田開発を理由に7万石から10万石への表高の修正を幕府によって認められたものの実質高は7万石のままで、さらに新田開発や産業振興に努めたものの、なかなか財政は好転しなかったようです。

5代藩主・伊達村候は中興の祖といわれ、寛保3年(1743年)倹約令を発し、藩政改革に乗り出しました。 学問・武芸を奨励し寛延元年(1748年)藩士と庶民共学の藩校「内徳館(後の明倫館)」が開校しました。 また、木蝋を藩の重要産品とし、紙を専売としました。

8代藩主・伊達宗城は、旗本山口家の出ですが、祖父:山口直清が伊達村候の次男だったことから養子に迎えられ、前藩主からの殖産興業を引き継ぎ、更に西欧化を推し進めて富国強兵政策を推進しました。また高野長英、村田蔵六(後の大村益次郎)を登用しました。

さらに、幕政にも関与し福井藩主・松平春嶽、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬と並び幕末の四賢侯と称されたました。安政5年(1857年) の安政の大獄で隠居をしたものの、藩政に影響を持ち続け、維新後は政府要職を歴任しました。

宇和島城は、明治4年(1871年)明治政府により城は兵部省に帰属し、大阪鎮台の所管となりました。 明治33年(1900年)頃から櫓・城門などが解体されだしたといいます。

昭和9年(1934年)天守・追手門が国宝保存法に基づき、旧国宝に指定され、さらに 昭和12年
(1937年)には、国の史跡に指定されました。

昭和20年(1945年)太平洋戦争時、 宇和島には海軍飛行予科練が あったこともあったこともあり、 爆撃、焼夷弾とかなり激しい空襲がなされ追手門焼失してしましました。

昭和24年(1949年)伊達家、天守と城山の大半を宇和島市に寄贈され、 昭和25年(1950年)
文化財保護法の施行により天守が重要文化財に指定されました。

昭和35年から 昭和37年(1960年 - 1962年)には天守が解体修理されました。

地図

現在の宇和島城


天守

天守正面

小高い山を踏みしめる 天守は、
独立式 3層3階・本瓦葺の約16mの層塔型、上の階に行くほど正方形の床が2m小さくなるそうです。

千鳥破風や唐破風などの多くの
破風が協和を保ったダテモノ
天守です。

寛文2年(1662年)伊達宗利の時、天守以下、老朽化した城全域の改修に着手したとされ、この頃層塔型 の現天守ができたといわれます。

改修の竣工は寛文11年(1671年)だそうです。

昭和35年から 昭和37年(1960年 - 1962年)には天守が、解体修理されました。

天守遠望

東南(裏)面 東南(裏)面 天守正面角 天守真正面

天守玄関
天守階段 急な階段 天守階段

天守雛形

万延元年(1860年)の修理の際に
作成 された雛形


三の丸跡登城口

城山の東北口に、昭和に移された家老:桑折氏武家屋敷・長屋門があります。

長屋門 長屋門 内側

今の門の前には、往時は三ノ丸があり御殿などもあったようです。


井戸丸周辺

三の丸跡登城口から山の上り坂を進むと井戸丸があります。井戸丸付近に向かう石段

ここの井戸は城内の井戸で、最も重要視されたようです。

往時は井戸御門・井戸矢倉で厳重に守られていたようです


藤兵衛丸

城山郷土館 内部本丸の北西、藤兵衛丸には城山郷土館があります。

もともと武器庫で山の下にあったものを昭和期に移築したものです。

本来内部3階建てであったらしいが、今は1階建てに改築されています。

展示品は保存状態はあまりよくなかったです。



代右衛門丸界隈

代右衛門丸石垣  代右衛門丸石垣  立ち上がり門 内側

長門丸へ、さらにくだり、立派な代右衛門丸石垣が垣間見れます。
城山南の搦め手道口立ち上がり門(薬医門) 立ち上がり門


天守玄関家紋〜3つの家紋

天守玄関家紋

1.九曜紋

伊達政宗が気に入ったので、 細川家から権利を
もらったそうです 。瓦にも多様されているます。

2.宇和島笹(竹に雀紋)

元々は上杉家に一族が養子にいく話があったため、
引き出物として使用権を伊達家が獲得したそうです。

 (伊達政宗の曽祖父:伊達稙宗のころ)

3.竪三引両紋

伊達家の始祖朝宗が文治5年(1189年)に源頼朝から
拝領された二引両を、後代改めたとされたとされ
伊達家もともとの家紋です。

参考] 宇和島城・攻 by 発つ犬、足跡がわかる・・・