竹の丸概要

竹の丸は東は平御櫓と須戸門、西は下馬橋を馬具櫓
と御書物櫓でにらんで、城内に入るにはかつて竹の丸門がありました。
北に広義で本丸に分類される飯田丸(西竹の丸)、
東竹の丸があり元札櫓門が登城を遮断していました。
また坪井川沿いに長塀をめぐらせ、対岸には藩主で
ある細川家の邸宅、花畑屋敷がありました。
今日では、現存の長塀が国の重文、東の平御櫓と
須戸門が復元され、西側は馬具櫓が再建待ち、西出丸から櫨方門が移築されています。
長塀
長塀は坪井川に沿うかたちで全長242メートル現存の日本城郭の塀では最長になります。
現在石落としや狭間がないのですが近世以降にの幾度行われた修理のためのようです。
なお平成11年(1999年)台風19号により約140メートルが倒壊してしまいましたが、無事復旧されました。
熊本城の長塀の東には須戸門脇を固める昭和36年(1961年)再建の平御櫓があります。
秋には県指定無形文化財の
武田流騎射流鏑馬が直下の
河川敷で披露されるそうです。
長塀の奥には平成17年(2005年)に本格的に木造復元された飯田丸五階櫓が顔をだしてます。
ちなみに坪井川の対岸から長塀を望んでますが、こちらに藩主・細川家の邸宅:花畑屋敷が、ありました。
平御櫓
長塀の東、須戸門の坪井川側の脇を固める平御櫓は、
昭和36年
(1961年)再建されました。
馬具櫓周辺
長塀西は昭和41年(1966年)
再建された馬具櫓がありました。
しかしながら、白蟻被害が確認され撤去されています。
ただ復元計画で再び再建される予定です。かつてあった下馬橋につながる通路をはさみ、熊本城の石碑がある地点には御書物櫓があったそうです。
御書物櫓跡の西の行幸橋を渡り城内へ向かいます。
なお馬具櫓、御書物櫓跡の裏手の虎口の先には現在は西出丸から移築された櫨方門(長屋門)が、料金所として構えています。
さらに北に進むと左(西)に奉行丸が右(東)に飯田丸西櫓門への土橋、奥には頬当御門への土橋があります。
元札櫓門跡
かつて元札櫓門は南から登城・侵攻を竹の丸で遮断する役目を持っていたようです。
元札櫓門を抜けると西竹の丸脇五階櫓が聳え、さらに通路に向けて鉄砲狭間が並んでいたといいます。また西竹の丸脇五階櫓の北側には札櫓門が構えていました。
ちなみに西竹の丸脇五階櫓は独立した石垣の上にあったので独立櫓とも呼ばれており、一説に慶長20年(1615年)の一国一城令後によりは廃城となった城の部材を用いて築かれたとされ、本来は、元札櫓門を抜けると今より広い空間だったのかもしれません。
花畑御殿跡
坪井川を挟んで竹の丸の対岸に位置し、現在の花畑公園、役所前バス停あたりを占め総面積14,765坪の壮大な屋敷だったそうです。
そもそも加藤清正が慶長15年(1610年)に造営したもので、細川忠利が肥後に入国した後、
寛永13年(1636年)に肥後藩の国許屋敷と定め、以後は藩主の居所となりました。
明治4年(1871年)以降、陸軍の施設として活用されたようです。
なお花畑公園にある大楠は江戸時代の絵図にも描かれているそうです。
参考] 熊本城・攻 周辺散策 by 発つ犬、足跡がわかる・・・
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