| NPO法人環境研究所豊明 | |
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■中山間地の地域再生に取り組む 里山の風景というと、まず落葉広葉樹林、コナラ、アベマキ等どんぐりのなる木、多様な植物が生える森林のある山が特徴です。人は谷戸田、谷津田といわれる、沢から出る水を有効に使い、谷筋に棚田を作って来ました。山の木は20年くらいで順々に伐採して炭焼きなどに利用しました。伐った後も切り株から芽が出てくるので、生長して来たらまた切る、と繰り返していました。萌芽更新といい、優れた自然のメカニズムを活用していました。 ■里山の物質循環 ■里山の資源を活かして そういう状況で、里山の資源を活かして社会を作ろうと動きがあります。「すげの里」という豊田市の公共施設ですが、市民農園、炭焼き講座、そばを育て、そば打ちして食べる講座など、都市から里山の暮らしを体験するという拠点になっています。僕も参加させてもらい、自然エネルギーだけで運営できる施設にしようと取り組みました。電気は太陽光発電で自給率はほぼ100%、間伐材の薪ボイラーで給湯と床暖房を、建物の断熱などにも工夫があり、石油を使わない暖かい建物になっています。そういう動きはあるが、若い人が田舎に住まないと話は始まらない。都会で育った人が田舎へ移住して来る、そんな人がいるのかという話ですが、2014年内閣府が都市住民の農村漁村への定住願望の調査では、ある、どちらかといえばあると肯定的な答えは30%でした。一番多かった年代は20代で若い方が田舎への暮らしに関心がある、でした。田舎へ移住した人数の統計はまだなく、直接聞くしかありませんが、岐阜県の市町村の相談窓口を通じて移住が実現した人数は、2012年度に448世帯。長野県阿智村は若者定住支援センターができ、定住した人数は、4年間で105世帯208人です。 ■豊田市へは、4年間で67世帯が移住 ■都会は全てお金で買う暮らし 彼らは都会で働いていた人達ですが、まずお金を稼がないといけない。でも今は稼ぐこと自体が難しくなっていて、終身雇用、年功序列は崩壊し、お金がずっと稼げるのかと不安もある。若い人達は将来に希望が持てない、高い収入が望めないがお金がないと生活できない。こういう人達がどんどん田舎へ来ています。実際に田舎へ移住するのは大変で、まず、住む所がない。空き家は沢山あるが家主は中々貸してくれない。お金はあまり稼げないが、医療、教育にはお金がかかる。等々ハードルを越えなくてはいけない。そのためには移住したい人も、色々なスキル、コミュニケーション能力など、力をつけることです。また、周りが応援する仕組みが必要です。は ■受講生で、自然エネルギー100%の家作り ■移住は、受け入れ側がネック ■人口減少と高齢化の最先端は田舎 |
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森山 まり子 (もりやま まりこ) 一般財団法人 日本熊森協会 会長 |
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球は無数の生き物が棲む命あふれる星 ■自然の生態系は、人間の力では絶対作れない ■熊が棲む豊かな森には、豊富な水がある ■国策で植林された森が今、荒廃している1926年からツキノワグマがどれほど有害として駆除されたか調べてみました。1926年から拡大造林が始まりましたが、1960年頃まではまだ奥山の原生林は豊かな森でした。その後、国策で拡大造林が進行して人工林が増えましたが、1989年に入って自然林が荒廃し始めました。拡大造林が始まってから熊が山から出てくる様になり、出てきた熊は殺されるようになりました。ところが、2003年ごろから出てくる熊の数が半端ではなくなりました。国内にツキノワグマが12,000頭くらいいると言われていますが、2003年には4,340頭、2013年には3,402頭と桁違いの数の熊が出て来るようになりました。 ■祖先が残した棲み分けラインを破る ■生徒たちの熱意に後押しされて兵庫県の熊60頭絶滅寸前と言う新聞記事を読み、生徒が作文を書きました。「私は新聞を読んですごく残酷だと思いました。人間がしていることは動物たちにちにとって迷惑の限界を超えています。このような事は誰が認めても私は絶対に認めません。私は人間として情けなく悲しく熊に謝らなければと思いました。熊だけではない、鳥の一羽だって、人間は間違っていると大声で叫びたい。私はこのような事を絶対に許さないと何回も思いました」。20世紀は人間の欲望に歯止めが掛からなくなり、自然を破壊し空気も水も何もかも汚染してしまい、狂ってしまった世紀だ、このような人類は滅びてしまった方が良いと思っていましたが、生徒たちはこんなことはおかしい、何とかしなければと言い出し、私は悩んでしまいました。ある男子生徒が「先生、大人たちは僕らに愛情なんかないのと違うかな、自然も資源もみんな使い果たして、僕らには何も置いとこうとしてくれないんやな」と言いました。このような生徒たちの思いを、色々な行政に行って話をし、訴えてきましたが、誰一人話を聞いてくれませんでした。当時和歌山県で猟友会のトップの方が、熊のような大型動物を絶滅させるのは間違っていると声を上げておられたので会いに行きました。その方から、「柿の木の上の方の実は、山の生き物のために残しておく」「庭に水を撒くとき、タヌキやキツネが濡れないように気を付ける」「家の中に燕が巣を作れるよう出入り口を作っておく」と、聞いて私たちがやろうとしていることは間違ってないと、自信がつきました。アメリカの「環境保護運動」という本を読み、西洋文明は自然破壊文明。このままではだめだと方向転換を決めたのは、巨大な自然保護団体だと知り、国や行政に頼っていてはダメだと気がつき、1997年日本熊森協会を立ち上げました。 ■自然林再生に向けて ■環境省の愚かな政策 ■人間は少し欲望を抑えて、棲み分けを |