| NPO法人環境研究所豊明 | 2009年7月26日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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◆勅使池の自然 歴史 ◆野鳥 |
◆勅使池探検◆
勅使池と井堰川の水質調査結果
◆勅使池の探検
11月4日(金)沓掛小学校4年生、3クラス90名の生徒と勅使池の探検を行った。 沓掛小学校を9時15分に出発し、子供たちの通学路を通り勅使池に向かった。11月とは思えないような陽気で半袖の子供が目だった。途中、井堰川に小鷺やカルガモがいたが、普段から目にしている光景なのか余り興味を示さない。ただ青空を見上げるとノスリが円を描いて滑翔しており、あれは何かと興味を示していた。 勅使池につくとクラスごとに整列しスタッフの紹介の後、水質調査の説明をし調査を開始した。サンプルの水を採取するのにバケツを持って池の水際にいったが、泥に足を取られ中々水を汲むことが出来ない。 水質調査は難しい説明は省略し、色の変化で水の汚れ具合を理解してもらい、各自が記録用紙に値を記入していった。生き物調査では、水辺の足跡の観察、タモで獲ったヨシノボリの仲間・スジエビ・ヤゴ等や、予め仕掛けておいた網にかかったタモロコなどの観察を行った。 沓掛小の子供たちは豊明市の中でも、田畑・雑木林・池等が多い地域で育っており、他の地域の子供たちに比べ自然に恵まれている。そうした環境の中で伸び伸びと育って欲しいと感じたひと時であった。(岩名) ◆勅使池 勅使池は、豊明市の北部にあって、その広さは23ヘクタールあり、現在は満々と水をたたえ、静かで平和なこのまちの姿を池面に映しているが、かつての農民にとっては命より大事な水だといわれた水源であった。 この池は、大永8年(1528年)後奈良天皇が左中将経広卿を勅使として、東郷村祐福時へ綸旨を下された。経広卿は、勅使池の工事のため桟敷を組み、その上で工事を監督したと伝えられ、現在も桟敷・勅使の地名が残っている。 沓掛城主近藤長安は、東郷町祐福寺の建立に尽くし、代々勤皇の家柄であったと伝えられるので、勅使池の築造には朝廷の助力もあったと考えられる。やがて寛永20年(1643年)、沓掛新田開発に伴って下池が開発された。 昭和36年(1962年)、愛知用水路の完成によって、その後下池は埋め立てられ、もと水路の湿地帯には、県指定の天然記念物のアカバナナガバノイシモチソウが育っている。 (参考:豊明市史) ◆ため池とは 丘陵地の谷間を切り開いて作った水田を潅漑するために、谷尻に堤を築いて湧水を溜めたのがため池の始まりである。水田が平野部にも作られるようになり、その規模が大きくなるにつれて、水田を潅漑するため池の規模も次第に大きくなり、土木工事としての記録がみられるようになった。各地のため池の歴史を見ると、兵庫県 ため池は、農村景観の重要な一部をなすものであり、多くの人工の水域とつながりを持った水域である。丘陵地のため池は、池をとりまく雑木林から岸辺へと続く傾斜地、沿岸帯、石礫・砂・粘土等の地表の構造物、池の底、池の堤、水路、水田などの一連の環境とつながっており、多様な生き物の生活の場となり地域の景観を形作ってきたといえる。水量の少ない池では、流入物による汚染の影響が短時間に池の水質を変化させることにもなる。したがって、ため池は、湖沼よりも栄養分の回転が早く、富栄養化しやすい。しかし、池が小さいことは、波浪の影響が少ないなど水草の育ちやすい環境を備えており、繁殖には好都合である。池の植生の豊かさは、他の生物の多様性につながり、生き物の生活の場として重要な役割を担っている。 出典:ため池の自然 信山社サイテック 土山ふみ他
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