ー葉煙草栽培ー

 房州地方における葉煙草の栽培は「千葉県安房郡誌」には、「明治37年(1904)頃、滝田、豊田、九重、健田、千歳等の農家が、煙草専 売局の委託を受けて栽培したが、明治38年に到り中止した。大正10年(1921)より再び専売局の委託を受けて栽培を開始した。(再開地域 に「滝田村」の名前はない)」と記されている。
 山名堀之内の某氏(平成18年当時90歳)の言によれば、葉煙草の栽培は、山名地区でも大正13年頃より盛んに行われるようになったという。 当初は、10数軒の農家が(水府「すいふ」)という在来種を栽培していた。
 土葉(どは「下葉」)が黄色くなる8月頃より収穫開始。収穫した葉は、茅葺き屋根の住居や作業場などの室内に10日〜20日ほど吊して、 自然乾燥させた。乾燥した葉はまとめて集荷所(千倉駅近く)に運び納品した。
 昭和20年代になり米国種(黄色種)が導入されるようにな った。それに伴い栽培指導員が派遣されてきた。広島県人が民家に宿泊しながら、栽培法について細かな指示・指導を行った。
 苗は4月下旬頃に麦の畝間に定植。その後も施肥や土寄せなどについて指導員による巡回指導があった。植え付け本数の確認のための検 査も行われた。
 収穫した葉は、より合わせたわら縄(約3.6メートル)の間に順次挟み込む。それを乾燥藏に運び込んで火力乾燥させるのである。
 昭和30年(1955)代頃までは、山名本郷地区には、4坪(約13.2u)ほどの乾燥藏が5棟あった。某家は自家用の乾燥機も保有していたと いう。
 藏は、土壁造りで外部に設置されたかまどからの温風が、内部の鉄管内を通ることによって、煙草の葉を乾燥させる構造になっていた。 細心の温度管理をしながら、二昼夜を経て乾燥は終了する。
 貯蔵しておいた乾燥葉は、30pくらいの束にして、北条の集荷所(南町交差点近く)に出荷した。等級がつけられ、価格が決定されるの である。厳重な統制と管理が行われていた。
 葉煙草栽培は、連作が困難で3年ほど栽培地を休ませなければならないため、栽培地の確保に苦労したという。
 千葉県統計年鑑によれば、昭和25年(1950)の葉煙草栽培は、「稲都村」の栽培農家49戸で耕作面積3.34ヘクタール、滝田村は28戸で 1.29ヘクタール、「国府村」は16戸で、0.76ヘクタールとなっている。
 昭和26年には、稲都村の農家46戸が約13ヘクタール の栽培を行っていたことが記録されている。これをピークに葉煙草栽培は次第に減少し、昭和33年(1958)頃には、10数軒の農家が、1 ヘクタール余の面積を耕作しているに過ぎないという状況が記されている。
 栽培の盛んな頃には、各地域に乾燥蔵が建てられ、共同作業が見られたが、その後葉煙草栽培は、次第に衰退の一途をたどり、現在は行 われていない。

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