ー乗合馬車ー

 江戸時代までは公的交通機関はなく、庶民はすべて徒歩だった。
 駅馬や伝馬は用意されていたが、これはすべて上役人のためのもので、庶民は利用することができなかった。
 一般向けの乗合馬車や人力車が現れたのは、明治時代になってからであるが、何年頃からは不明である。
 明治13年(1880)千葉県内には乗合馬車23台、人力車7700台あまり、荷積馬車7500台余りがあったということである。
 乗合馬車の料金は地域によって異なるが、1里(4q)平均30銭(0.3円)であった。当時の米の値段は、1斗(15s)g40銭〜50銭 であったので、料金は相当高く、一般人の利用できるものではなかった。
 三芳地区関係では、明治40年(1907)頃から大正10年(1911)頃にかけて、平久里(富山)の天満宮前から上滝田〜下滝田〜土沢〜横峰〜 府中〜高井〜北条中町経由上野原まで一日一往復、乗合馬車が運行されていた。
 この乗合馬車は、14、5人乗りで天満宮前から上野原まで約4里(16q)の道のりを約3時間かけて走り、料金は15銭であった。
 この料金は安房以北に比べ格安であったが、利用者は少なかったということである。

 
  
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