ー乗合自動車ー
大正8年(1919)に鉄道が北条(館山駅)まで開通し、人々の交流が急速に広範囲となった。それに伴い乗合自動車の営業が開始された。
三芳関係では、安房自動車株式会社(渡辺自動車)が大正15年(1926)頃から、2路線で営業を開始した。
一つは、北条駅(館山駅)から府中経由横峰〜滝田〜平群(富山町)天満宮まで
もう一つは、那古船形駅から那古経由横峰〜稲都〜丸(丸山)石堂まで
昭和4、5年頃、この路線に従事していた上滝田の横川友蔵運転手の話によれば、
「当時の車両はT型フォード8人乗り、幌掛け、
15、6馬力の小さなもので、汽車の発着にに合わせて2時間おきに運転していた。
両路線とも始発は午前7時、終発は午後5時で、
一路線2台ずつ合計4台が一日五往復していた。
料金は終点までで、平群線は50銭(0.5円)、稲都線は40銭、子ども(中学生を
含む)は半額であった。両駅から横峰までは共に20銭で、ここは乗り換え場となっていた。
町中以外は停留所はなく、商店の軒先に赤
旗を立てておけば止まるし、原中など途中どこでも手を挙げれば止まった。
昭和10年(1935)頃、12.3人乗りのバスとなったが車
掌はいなかった。」
とのことである。
昭和18年(1943)、太平洋戦争時下、燃料不足により稲都線は休止となったが、昭和25年(1950)7月、始発を館山駅に変更して再開し
た。また、昭和31年(1956)5月、一部が山名まで延長された。
昭和44年5月、平群線の一部も大畑(上滝田)まで延長された。
しかし、このころから自家用乗用自動車が著しく普及したことと相まって、利用者が減少し始め、路線維持が困難な状況となった。
そこで、公共交通機関確保のため、路線や運行数が縮小されたが、沿線市町村が応分の補助金を負担し合い現在に至っている。