ーPTAー

 戦前の学校には、父兄会または後援会があったが、これは父兄だけの会であったり、財政的後援団体であった。
 戦後、GHQ民間情報教育部の指導により、専門職の教師と家庭教育にあたる父母が、子どもの幸せを願い、それぞれの立場から教育問 題を話し合うための組織的な会ができた。
 「滝田小学校」では、昭和22年(1947)に敗戦後の荒廃した学校の整備のため、村長を会長として後援会が結成され、積極的な活動をし、 五年後の27年に教師を加えて初めて「PTA」と改名した。
 「国府小学校」は、戦後、父兄が後援会的役割を果たしてきたが、24年いち早くPTAを結成した。これは近隣に先駆けて作られたの で、初めはその主旨がなかなか理解できなかった。両親である父母と教師だけの会として運営し、趣旨の徹底に努めたという。
 「稲都小学校」は、26年(1951)にPTAを結成した。地区PTAも作り、医師の菅原昌(稲都小学校出身、稲都で医院を開き、当時は横浜 在住)を講師に招き、記念講演会を開催し、盛大に発足した。
 新制中学校の滝田、国府、稲都の各中学校はそれぞれ父兄会があった。組合立中学校の建設時、勤労奉仕に三村を挙げて協力したので、 自然と協調の機運ができ、昭和25年(1950実質統合するや、その7月10日に父兄総会を開き、円滑に中学校PTAを結成した。
 以上の四小中学校PTAは、結成の年月や状況にはいろいろあるが、初めは、学校の施設設備や運動器具の充実に力がそそがれた。
 その後、父母と教師との話し合いが充実、民主的なPTAの雰囲気が自然とできていった。
 さらに、PTAは学校の背後にあって、常に後援会活動を続けた。国府小学校の70周年記念、稲都小学校の50周年記念、滝田小学校 100周年記念、三芳中学校の10周年記念等の事業を実施している。
 かくして社会も復興発展し、教育行政も確立した。PTAは父母と教師が対等の立場にたち、子どもの幸せについて学習し合うという、 PTA本来の趣旨に沿って、運営できるようになった。

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