国府地区 谷向 海老敷 大学口 山下 川田 明石 本織 府中
明治22年(1889)町村制施行によって、「谷向村」「海老敷村」「大学口村」「山下村」「川田村」「明石村」「本織村」「府中村」の八か村がひとつになり国府村が誕生した。このとき府中地先の高井村の一部が国府村に合併している。
村の名前は、かつて国府の所在地であったといわれていたことからつけられたものである。
合併前は戸長制であり、連合村の戸長であった「鈴木長右衛門(川田)」は明治22年5月17日に新生国府村の村長を拝命し、初代村長となった。
合併後の議会は、町村制施行と同時に行われた。当時は、3カ年に半数の改選を行った。大正2年(1913)の町村制の改正により、その任期が4年となり、同年より全員の改選が行われるようになった。
当時の行政は、一般行政事務以外では、学校の建設や整備が中心となっていた。一方で時代を背景とした対応・改革・復興などに取り組んできた。
人口や世帯数については、大正9年が392世帯1911人であった。これが合併時の昭和28年(1953)には396世帯、2059人であった。同年5月1日、「滝田村」・「国府村」・「稲都村」の3村が合併して「三芳村」となった。
合併後は、行政や自治での運営、連絡、対応などで便宜上「国府地区」と呼ばれ、名称が利用されてきた。
そして、52年後の平成18年、近隣の6町と合併し南房総市となった。