滝田地区
 増間   上滝田   下滝田   千代   三坂   上堀   下堀  

増間 上滝田 下滝田 千代 三坂 上堀 下堀 国府地区 稲都地区

 明治22年(1889)の町村制施行令により、「増間村」「上滝田村」「下滝田村」「千代村」「三坂村」「上堀村」(明治7年に「戸川村」を併合)「下堀村」の7か村が合併し、成立した。各村々は大字となり、区と呼ばれた。
 それ以来、昭和28年(1953)に「国府村」と「稲都村」との統合により「三芳村」が誕生するまで65年間にわたり存続した。
 村名については、滝山村、建田村という候補名もあったが、慶長年間以前から検地帳や古書類にその名が記されていたり、昔からこの地域が「滝田ノ作」と総称されていたこと等の理由から「滝田村」に決定したという。
 初代村長には、明治17年(1884)以来、旧7か村の連合戸長であった「安藤勘一郎」が就任し、村の自治行政にあたった。
 古老の言によれば、下滝田字平山の慈尊院を庁舎としたという。その後、明治31年(1898)に役場庁舎を慈尊院の敷地内に建設した。
 明治37年、隔離病舎を「平久里川」沿いの字樋の爪に建設した。
 明治40年、精華・滝田・済美の3校を統合し、「滝田小学校」と改称。それに伴い4月13日に校舎新築委員会を定め、新校舎建設への取り組みを開始した。
 明治42年7月27日、滝田小学校の校舎が千代63番地に落成。
 大正3年(1914)、滝田青年団・「処女会」が発足。信用組合も設立された。村の方針として副業の奨励なども示された。
 大正11年、役場庁舎を増改築。
 同12年、上堀奥山に村有記念林を設定。
 同年9月1日「関東大震災」により全村が被害を受けた。特に、千代、三坂、上堀、下堀の被害が大きかった。このため、村では復興規約などを作成し、全村の震災の復興に努力した。
 昭和7年(1931)、経済更正5カ年計画の樹立と実施。農村経済の極度の疲弊を打開するため、国の指定を受けて更正施策にあたった。県の指導を受けながら、負債整理組合や農家組合・耕地整理組合の設立、畜産の奨励などの事業に取り組んだ。
 昭和20年(1945)、太平洋戦争が終結。婦人参政権が与えられた。翌年から「農地改革」が実施され、同22年3月に第1回農地買収が開始された。
 昭和24年「農地被買収者同盟」滝田支部結成。
 同年4月、組合立国府中学校が開校し、滝田村に滝田分室、稲都村に稲都分室が置かれた。
 昭和28年5月1日、「稲都村」「国府村」と合併し、三芳村が誕生した。そして、52年後の平成18年、近隣の6町と合併し南房総市となった。


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