夫木和歌抄 「河こしの みちのながちの夕闇に 何ぞときけば 亀ぞ鳴くなる
藤原為家 上記の解説で(ながちは古語で長い道です
。「道の長道(ながち)」は万葉集でも使われており、遠い道のりの意味と思われます。)と
表記しました「万葉集」の防人の歌
で実際に「みちのながち」の
言葉が使われている歌をご紹介します。
「亀鳴く」の意味のつながりではなく、「道の長道(ながち)」という重なった言い回しが実際にあるという紹介です。
また、調べていく中で「防人の歌」に触れたことで感慨深く、資料に留めず、ご紹介したくなりました。
防人(さきもり)制度とは、大化の改新(645)頃から平安時代頃において、九州沿岸の警備のために徴収された
兵士の制度です。主に東国の兵士で、任期は3年だったそうですが、実際は到着日から3年なので、はるか東国
からの道程と更に帰着までプラス半年程度もかかったようです。
要員は約3,000人と言われ、1年おきに約1,000人
程度が交代されたようです。なぜ、東国から徴収されたのかの理由は、防人制度ができるきっかけであった戦争
(白村江の戦い)の敗北で筑紫地方(北九州)の兵士が激減したことや、東国は大和朝廷の軍事的基盤であったから、
律令制度に従う気風や敢為があるとのことで、徴兵しやすいというような理由があったようです。
奈良時代に発行された万葉集には防人の歌(防人本人や見送る家族の歌)が多数載せられています。
今のように交通も情報も発達していない時代に、家族と3年以上も離れ離れになって兵役につく悲しみや不安は
いかほどだったことか・・その心情が多くの歌に詠まれています。〔参考.奈良時代西暦710〜794・平安時代794〜1185〕
「みちのながち」が詠まれている万葉集の歌をご紹介します。 以下、歌と訳は上記、文献から引用しました。
橘の美袁利の里に 父を置きて 道の長道は 行きかてのかも 丈部足麿
〔たちばなのみをりの里に 父をおきて 道のながちは ゆきかてのかも はせつかべのたりまろ〕
橘の美袁利のあの山里に父を(ただ一人)残したままで、(筑紫への)長い旅路は(なんとも)行きかねることだなぁ。 |
「橘の美袁利」は静岡市の当時の地名と見られます。この歌は現在、清水市立花の里や、JR清水駅の前に万葉歌碑として建立
され、父を思う心情が伝えられています。原文の「行きかての」の「の」は打ち消しの「ぬ」の方言と見られ、通常は「行きか
てぬ」と紹介されています。道の長道は「遠い道のり」の意味で、長道は万葉集各解釈本で「ナカチ」「ナガヂ」「ナカテ」と
いう三通りに読まれているそうです。
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萬葉集防人歌全注釈
は大変、厚い本ですが、とても詳しくわかりやすくて内容に引き込まれました。読み進むにつれ、
当時の方々の心情に触れて、胸がいっぱいになりました。心に残った歌の中からいくつかをご紹介します。
(歌と訳は前述の「萬葉集防人歌全注釈(水島義治著)」からの引用です。)
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忘らむて 野行き山行き 我来れど 我が父母は 忘れ為のかも 商長首麿
〔忘らむて 野行き山行き 我来れど 我が父母(ちちはは)は忘れせのかも
あきのをさの おびとまろ〕
忘れよう忘れようとしながら、野を過ぎ、山を過ぎて、この俺は来たのだが(どうしても恋しい)父さん、母さんのことを
、忘れることができない
のだなぁ。 |
↑「為のかも」の「の」は打ち消し「ぬ」の方言とみられます。[野行き山行き」で強調し、それでも忘れられないと
父母への深い思慕の伝わる歌です。商長首麿氏は駿河(静岡)の人と推測されるそうです。
我が妹子が 偲ひにせよと 付けし紐 糸になるとも 我は解かじとよ 朝倉益人
〔我がいもこが しぬひにせよと 付けしひも 糸になるとも
わはとかじとよ
あさくらの ますひと〕
(いとしい)わが妻が「私を思い出すよすがにして」と言って、着物に縫い付けてくれた紐は たとえどんなに磨り減って糸のようになろうとも、
俺は絶対に解いたりはしないぞ。 |
↑「妹子」は妻。「しぬひ」は「しのび」の意味。
「紐結び」は旅の無事と再会を願う風習で「必ずまた会おう」という
願いが込められた歌です。朝倉益人氏は上野国郡波郡(群馬県前橋市)の人と推測されるそうです。
我が行きの 息衝くしかば 足柄の 峰這ほ雲を 見とと偲はね 服部於田
〔我がゆきの いきづくしかば あしがらの みねはほ雲を みととしのはね
はとりべの うへだ〕
(今度の防人としての)俺の旅が心配で切なくなったら、足柄山の峰にかかっている雲を見ながら、(俺のことを)思い出しておくれ。 |
↑「息衝くしかば」はため息が出るほど切ないの意味。
「這ほ」は「這ふ」・「とと」は「つつ」の方言。恋しく悲しい時は雲を
見上げて思い出しておくれと妻をいたわっています。服部於田氏は武蔵国都筑郡(神奈川県横浜市近辺)の人と詠まれています。
色深く 背なが衣は 染めましを 御坂賜らば ま清かに見む 妻物部刀自売
〔色深く せなが衣は そめましを みさかたばらば まさやかに見む めもののべの とじめ〕
(遠くからでも見えるように、もっと)色濃くあなたの着物は染めておけば良かったのに。(そうすれば)あなたが
足柄の御坂を通させていただく時に、(あなたを)はっきり見ることができるでしょうに。 |
↑「背なが衣」はあなたの着物。「たばる」はたまはる。「ま清か」ははっきりの意。刀自売は主婦を呼ぶ敬称と女性の意。
ひとめ
見たいと女性ならではの心情です。
藤原部等母麿氏の妻で武蔵国(東京都、埼玉県、神奈川の横浜市・川崎市
近辺)の人とのこと。
千葉の野の 児手柏の 含まれど あやに愛しみ 置きて高来ぬ 大田部足人
〔千葉の野の このてかしはの ほほまれど あやにかなしみ 置きて高きぬ おほたべの たりひと〕
千葉の野の児手柏の蕾んで開ききらぬ若葉のように、まだ初々しくいたいけないが、あまりに愛おしいので(本当は来た
くなかったのだが、やむなく)そのまま置いて、こんなにも遠くへ来てしまったのだなぁ。(この俺は) |
↑児手柏はヒノキ科の樹。「ほほまれど」は蕾のよう。(児手柏の蕾のようにと訳す説も有)「あやに」は言いようもなくの意。お相手
は
婚約者のようです。この歌は千葉市中央公園に歌碑として建立されています。大田部足人氏は下野国千葉郡(千葉市)の人とのことです。
常陸指し 行かむ雁もが 吾が恋を 記して付けて 妹に知らせむ 物部道足
〔ひたちさし 行かむかりもが あが恋を しるして付けて いもに知らせむ もののべの みちたり〕
常陸の方向に向かって飛んで行く雁がいてくれればいいなぁ。(そうすれば)恋しい妻への俺の思いを紙に書き記して、
それに付けて(何とか)妻に知らせてやれるのに。 |
↑「雁もが」の「もが」は「〜であればいい。」の願望の意味。
「妹」は男性が自分の妻や恋人、時に姉妹を親愛の情をこめて
呼んだ言葉。夫の意味の「背」と対。北に向かう雁を見て思い馳せている歌です。物部道足氏は常陸国(茨城県)の人とのことです。
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いつの世も、家族を残して戦いに出る人の思い、見送る人の切ない思いは一緒ですね。
今の世も、これらの歌の思いそのままの方々がいらっしゃることに胸が痛いです。
平和の象徴の亀さんの飼育サイトの管理人として、“平和”を心から願っています。
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