芦屋十景


高座の滝とロックガーデン
芦屋川に沿って登りながら「左滝道」とある道しるべをすぎ、城山への登り口を右に見ながら約20分で高座の滝に着きます。ここは、ロックガーデンへの登り口で休憩する茶店もあります。ここには二つの滝があり、高さが10メートル以上あります。昔、このあたりは山野を歩いて修行をする人たちの場所でした。滝に向かって右の方に小さなお堂があり、その裏に不動尊という仏様が奉られています。また、滝に向かって左上の大きな岩に丸い形の中に人の姿をかたどったブロンズ像がはめられています。これは、藤木九三(ふじき・きゅうぞう)という人の像で1920年代ロックガーデンの名前や岩登りの技術を日本中に広めた事で知られています。
芦屋川トンネル
業平橋の北、大正橋(たいしょうばし)のすぐ南にはJRの列車が川床の下に作られたトンネルを通り抜けています。
トンネルが作られた頃の記録には「汽車は、堤のしたをくぐって走り、その穴の道はレンガ石で作り、これをトンネルととなえ」と記されています。
日本でトンネルという言葉が使われた最初と思われます。
また、イギリスの新聞『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の明治9年9月2日号には「芦屋川のトンネルは、中心点を3つ持つ楕円で中央には深さ15インチの円形逆アーチも付いており、レールは複線が入る広さのもので、日本でレンガで作った組立工事のうちで、最も優れたもの」と挿絵入りで紹介されていたそうです。
しかし、現在では線路は複々線になりこのレンガのトンネルは見ることは出来ません。
谷崎潤一郎記念館
谷崎潤一郎の遺稿や遺品を常設展示している。
建物は、文豪の書斎を再現した和室や、京都センカン亭の庭を模した日本庭園などが配置されている。
関東大震災を逃れて関西に移り住んだ谷崎潤一郎は、昭和9年芦屋市打出宮川町に居を構え、この地で「現代語訳源氏物語」や、芦屋の下町を舞台にした「猫と庄造と二人の女」の執筆に取り組んだ。
その後神戸に移った谷崎は名作「細雪」を発表し、その中で昭和13年の阪神大水害をはじめ、芦屋の姿を描写している。                         
阿保親王塚
JR芦屋駅の北東約1キロメートルの所に大きな木が鬱蒼と茂った森があり、この中に阿保親王塚といい伝えられている古墳があります。この古墳は今から約1500年ほど前の物と考えられています。江戸時代に古墳の改修工事をした時にその近くから鏡が出てきましたが、その主な物は現在、阿保親王の菩提寺とされる親王寺に保管されています。ところで、この古墳の名前である阿保親王との関係だが、出土遺物から見て古墳の築造時期は阿保親王の没年(842年)よりも500年ぼど古いと思われ、むしろかつて近くに存在した四ツの塚の方が深いといえる。
また、この古墳は現在宮内庁によって管理されている。
芦屋霊園
霊園は市域の北東にあたる剱谷(けんたに)国有林の敷地の丘陵地に造られています。
広々とした斜面を利用した敷地は芝生と花と木々に色どられ遊具のある広場や水路、散歩道がめぐり、色々な形をしたお墓があります。
展望台からは芦屋の町や海が眺められます。
この明るい公園墓地は昭和27年(1952)、環境と都市計画上宗教の別を問わない先祖崇拝の地として市営霊園として建設が開始された。
春には、2千本の桜が満開になりたくさんの人々が花見に訪れます。
仲ノ池緑地
仲ノ池は江戸時代に農耕用ため池として谷をせき止めて造られたと言われています。ここには市街地ではほとんど見られなくなったアシやマコモなどが自生するほかヨシノボリやドブガイなど池が造られた当時の生物が多数生息しています。また水鳥や渡り鳥、昆虫などのオアシスともなっています。このような恵まれた自然環境を保全しながら、市民が野鳥や昆虫等を観察し自然と触れ合える自然生活観察公園として整備されたのが仲ノ池です。埋め立ててマンション建設の計画があったが地域住民の反対運動が起こり、最近市が買い上げて整備され緑地公園となった。池には鯉などの魚、亀が多数生息している。北岸には六甲山からの伏流水が出る井戸があり、阪神・淡路大震災では池の水を汲みに来る人が多く見かけられた。また防火用水としても貴重な池である。
                      
芦屋公園と松
芦屋川の水が海へ流れ込むあたり、東側の松林一帯は芦屋公園と呼ばれています。
ここは、大正6年に芦屋川遊園地として開かれ、上流の開森橋や山手町付近まで松林が続いていました。
ところが、芦屋川は天井川のため、大雨などで水害がおこると大きな災害になったので、松を切って土手に杭を打ち丸太を壁の様に並べ土嚢の代わりにして洪水を防ぐのに使ったり、大風の為倒れたりしたため、上流の松は無くなり、川口付近でもあまり大きな木はありません。
しかし、緑の松のある風景は芦屋の人々の暮らしに強く結びついていた。
昭和10年(1935年)に業平橋(なりひらばし)までの川沿いに約400本もの松が植えられました。
そして、昭和45年(1970年)には市木として「黒松」が選ばれました。
会下山遺跡
阪急芦屋川から川に沿って登り、開森橋をすぎて「左滝道」とある道しるべから左の住宅に沿った道を行くと、左に山手中学校があります。遺跡は中学校の裏山にあって、海面からの高さが200メートルあり山上から芦屋の町や海が良く見えます。遺跡は尾根を中心に広がっており、高床(たかゆか)の倉庫の復元や手で触れる模型もあります。大きい円形の住まいの跡は芝生で覆われ、まわりには柵がしていますが、それぞれに案内板があるので、昔の様子を思いおこす事が出来ます。会下山は今から約2000年昔の弥生時代の遺跡で見つかったのは昭和31年で山手中学校の生徒達が会下山への登り道で野外学習をしていたとき、崩れた土から赤茶色のたくさんの土器のかけらを見つけたのがきっかけでした。
芦屋神社
阪急芦屋川駅の北開森橋を東へ渡り、暫く行く大きな石灯篭があります。その右の道を行くと、十分ほどで神社に着きます。芦屋神社は今から三百年も昔の記録にも出ており、境内は赤松や黒松、かし等の木でおおわれ、珍しい木や石で作った塔などがあります。神社の建物は昭和5年につくりかえられました。元は「芦屋天神社」と呼ばれていましたが、今は「芦屋神社」と改められています。 石段を上がって左の方へ行くと、「水神社」と刻まれた碑があります。また、南側にはトンネルのようなおよそ1300年前の古墳や神社の奥には猿丸安時の歌の碑などがある。境内には芦屋十景の一つであり市の花である「コバノミツバツツジ」もよく咲いている。 小葉の三つ葉つつじ:桜の花が満開になる頃ニ色のかわいらしい花が一杯咲き乱れるのが見られます。六甲山の花崗岩によく育つ花で、大きな木は三メートルを越える物も見られます。                         
芦屋川(あしやがわ)
芦屋川は、市内で最も大きな川で長さが約6キロメートル
あります。
その源は、芦屋の北西の六甲山地で、西宮市との境にある白山石宝殿あたりにあって、芦屋川本谷を南に流れ、奥山の蛇谷や黒越谷などの谷水を合わせ、水車谷をすぎ、高座川と合流して川幅が広くなり、阪急芦屋川駅付近からまっすぐ南の芦屋の海に流れ込んでいます。
芦屋川は昔から人々の暮らしに多くの影響を与えてきました。
その為、芦屋川に沿って北へたどっていくと芦屋の歴史や伝説などのあとが幾つも残っています。



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