源氏物語の存在が明らかになって、2009年でちょうど千年。紫式部が寺に籠り、金勝山からのぞく名月を見て「源氏物語」の須磨・明石の巻きを著した話は有名であるが、そのほか「枕草子」、「更級日記」、「大和物語」など平安文学にも当寺はしばしば登場する。また、紫式部が使用したと云われる「源氏の間」が本堂にあるなど、紫式部ゆかりの地でもある。ただし、本堂は、1096年に再建された滋賀県で最も古い建造物で国宝に指定されているが、紫式部より後世のものである。
本堂の奥、10分ほどのところにある源氏苑・東風の苑・無憂園などには、梅・桜・つつじ・水連・藤・牡丹・紫陽花・椿など四季折々の花が咲き、訪れた人に四季を楽しませてくれる。
秘仏の
如意輪観音菩薩像は、まぶたを半分閉じ、肉付きの良いお顔で気高い緊張感を漂わせている。また、石の上に安置されている菩薩像も珍しい。秘仏で通常なら次回は2024年の開帳であるが、今回特別に2009年3〜5月、9〜11月、
7年ぶりに開帳される。
第十二番岩間山からマイカーでの急な坂を駆け下り、瀬田川沿いの平坦な地に出たところに寺はある。
寺を開いたのは、奈良東大寺の創建者「良弁(
ろうべん)」。彼は東大寺の建築資材の多くを琵琶湖周辺の山々から伐りだし、この石山を中継地として奈良へ運ばせたそうで、そこに置かれた「石山院」がこの寺の興りと云われている。747年聖武天皇は、東大寺の大仏を創建する黄金が足りないことを憂い、良弁に金鉱の発見を命じた。良弁が吉野で祈ると、瀬田に霊応の地があるのでそこで祈るようにと蔵王権現のお告げがあったので、瀬田に赴くと、今度は比良明神が翁の姿で現れ、白い岩を指差し、あれが霊応の地だと言った。そこで良弁は聖武天皇の念持仏である金銅の
如意輪観音像を岩の上に置き祈り、その後仏堂を建てて像を安置したところ、しばらくして、東北地方から砂金発見の朗報が届いたという。
駐車場から門前町、仁王像の東大門、くぐり岩をすぎ、急な石段を登ると天然記念物の硅灰石(
けいかいせき)の岩塊がある。この一帯が岩盤であることがわかる。