第十三番石山寺からマイカーで瀬田川沿いを北上、そのまま琵琶湖西岸に入り、浜大津を過ぎたあたりに三井寺はある。
駐車場からみやげ物屋を左に見ながら進むとすぐに仁王門が見える。
札所の観音堂まではここから釈迦堂、金堂、三井の晩鐘を経て、15分以上も歩かなければならないほどの大寺で、本朝四箇大寺(東大寺、興福寺、延暦寺、三井寺)の一つである。
一般には「三井寺」と呼ばれているが、正式名称は「園城寺(おんじょうじ)」。今も境内には、天智、天武、持統の三帝の産湯に用いられたという霊泉があり、この霊泉にちなんで「御井寺」と呼ばれ、後に「三井寺」と呼ばれるようになったそうである。
667年中大兄皇子は都を近江大津に遷し、翌年即位し天智天皇となった。その後継をめぐる壬申の乱で敗れた大友の皇子の息子(天智天皇の孫)大友与多王が686年に父の霊を弔うために、天智天皇が所持していた弥勒菩薩を本尊とし創建したと伝えられている。858年第五代天台座主・円珍は帰朝すると三井寺に唐院を建立し、唐より持ち帰った大量の経典、義旗、仏像、仏画、仏具などをそこに納め、顕教・密教・修験道の道場としたことにより発展を遂げ、比叡山と並ぶ天台宗の大寺となった。しかし、円珍の没後、比叡山内では円珍門流と円仁門流が対立、武力抗争にまで発展し、平安・鎌倉時代には延暦寺の僧による焼き討ちは50回を越えているそうである。
札所となっている観音堂は、中心伽藍から南に離れたところにある。もとは現在地よりはるか山上の華の谷というところにあったが、1477年のある夜、寺中の僧侶たちの夢の中に老僧が現れ「自分は華の谷に住まう者だが、山をおりて人々の参詣しやすい地に移り、衆生を利益したい」と告げた。そして、4年後の1481年観音堂を現在の地に移したとされている。
また、近江八景のひとつ「三井晩鐘」は国宝である金堂の東側にあり、宇治の平等院、神護寺とともに日本三名鐘に数えられ、美しい音色で知られているが、この鐘は境内にある重要文化財の「弁慶の引摺鐘」の模鋳とも云われている。
観音堂は1686年に焼失、3年後に再建されたもので、難を逃れた本尊の
如意輪観音座像(重要文化財)は6本の腕を持つ、ふっくらとした優しい顔立ちで、
33年に一度のご開帳。普段はお前立ちを拝む。
第十三番石山寺からは車で約30分、琵琶湖西岸沿いの道を浜大津方面へ、浜大津4丁目の信号を左折、次の信号を右折して、観音寺西の交差点を左折すると、そこはもう三井寺の参道である。
石山寺から国道1号線を京都方面に走り、大津から浜大津に抜ける方法もあるが、湖岸を走るほうがわかりやすく景色も楽しめる。
名神大津ICからは、国道1号線を越えて湖岸通りを浜大津方面へ、浜大津4丁目の信号を左折すると下の地図の場所に出る。
滋賀県大津市園城寺町246
【駐車場】
参道を寺の方に進むと寺の前左右に専用の駐車場がある。観光バスが十台以上駐車でき、かつ普通車も駐車できる十分な大きさの駐車場である。
みやげ物屋が数件並び、帰りには琵琶湖の名物を楽しむこともできる。
【駐車料金】 500円
【拝観料】 500円
【内拝料】 200円