竹生島は琵琶湖に浮かぶ周囲2kmほどの島で、古来「神を斎く島」として知られていた。
724年聖武天皇に「江州の湖中の島に、弁財天の聖地があるからそこに寺院を建立せよ」と天照大神から夢のお告げがあり、聖武天皇はすぐに行基を遣わし、弁財天を祭り、創建したと云われている。その後、重文の観音堂とその玄関にあたる国宝の唐門を秀吉の命で息子の秀頼が京都東山の豊国廟の極楽門を移築したと云われている。
また、重要文化財の舟廊下は、観音堂と同時に掛けられ、秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して造られ、急な斜面に掛けられたため、足元は高い舞台構造(懸造)となっている。
本尊の
千手千眼観世音菩薩は、もう一つの本尊、大弁財天とともに60年に一度だけ開帳される秘仏で普段は室町時代の作と云われるお前立ちを拝む。本来なら次は2037年だが、
「西国三十三所結縁御開帳」で、特別に
千手観音のみ開帳される。
第二十九番松尾寺からマイカーで国道27号線を東へ、小浜を過ぎてJR上中駅を過ぎた辺りの三叉路「三宅」交差点を右折、国道303号線で今津港へ向かう。そして、今津港の駐車場に車を停め船に乗り換え竹生島へと向かう。
ここ宝厳寺は西国三十三ヶ所中唯一船を利用しなければ行けない寺である。
船が竹生島に近づくにつれ、どことなく「補陀洛浄土」に近づいているような気分にさせてくれる船旅が終わり、船着場で船を降りるともうそこは寺の境内である。
3,4件並ぶみやげ物屋を左に見て、数メートル歩くといきなり「祈りの階段」と呼ばれる急な165段の石段が現れ、入山料を支払い、この石段を登りきると左手に本堂の弁財堂が現れる。
島には僧侶以外は住むことは許されず、一軒の民家もない。神仏分離令により寺から分かれた都久夫須麻(つくぶすま)神社を含めて、島の狭い山の斜面を縫うように多くのお堂が密集しており、島全体が信仰の対象となっている。