花山法皇没後1000年を記念して2008年(平成20年)9月〜2010年(平成22年)5月に行われた「西国三十三所結縁御開帳」に合わせ、秘仏を含む三十三ヶ所すべてのご本尊と縁を結ぼうと2008年10月紀三井寺からはじめた2巡目の旅も2010年5月今熊野観音を最後に結願した。
無事三十三ヶ所を周るきることができたことに感謝、そして機会があれば三度この三十三ヶ所を巡ることができるように、今回のお礼参りは四天王寺を訪れた。
朝早くマイカーで大阪北部の山間から阪神高速に入り、ビルの谷間を走り、南大門の駐車場に着いたのは9時半ごろ。ちょうど毎月22日月例行事の「太子会(たいしえ)」の日で、境内は露天商が慌しく開店の準備をしていた。

駐車場から南大門を過ぎ、仁王門を潜るとそこには五重塔、金堂、講堂が一直線にならんでいる。これを「四天王寺式伽藍配置」という。
マイカーで行く 西国三十三ヶ所巡り
四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。
587年、かねてより対立していた蘇我氏と物部氏の間に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(東大阪市布施)へ攻め込んだが、敵の物部守屋は稲城(いなき、稲を積んだとりで)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(うまやとのみこ、当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔を建てる」という誓願をした。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後の593年、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたと云われている。(なお、蘇我馬子の法興寺は上記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であった。)

ちなみに、聖徳太子の草創を伝える寺は近畿一円に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当なのだそうである。
また、中門、塔、金堂、講堂を南北に一直線に並べる「四天王寺式伽藍配置」は「法隆寺西院伽藍」の前身であり、「若草伽藍」の伽藍配置も四天王寺式だそうである。

仁王門の仁王

周辺の見どころ
大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号
大阪市のど真ん中に位置する四天王寺へマイカーで訪れるには阪神高速を利用すのがわかり易い。特に土地勘のない地方からの参拝者は大阪市周辺で高速道路に入り、そのまま阪神高速で大阪市内へ入る。阪神高速環状線を走り、環状線からなんば方面へ南に入ったところの「夕陽丘出口」で阪神高速を降りて、5分ほどで到着する。
「夕陽丘出口」を出て、そのまま南へ、国道25号線を左折、四天王寺前交差点を過ぎて次の信号が南大門の入口。
お礼参り 四天王寺
【駐車場】
四天王寺前交差点を東に200mほど走ると次の信号がある。その左手が四天王寺南門前で、仁王門に向かって右手に駐車場がある。50台程度は停められそうだが、土曜の朝9:30で右の写真のような状態。混雑が予想される。
【駐車料金】 最初の1時間500円、以降30分ごとに250円
【拝観料】  無料
和宗総本山 荒陵山(あらはかさん

手前から、五重塔、金堂、講堂
金堂の本尊は 救世観音菩薩

南大門

講堂本尊の阿弥陀如来、その右には十一面観音立像も

縁日で賑わう境内

境内の池には無数の亀が
六時堂
観音菩薩