東京都指定有形民俗文化財(中里の富士塚)        清瀬市指定有形文化財(中里富士塚)

中里富士塚

 現代に残る若い遺跡 中里富士塚
 富士山を象った登山道には、一合目から頂上まで登山標識が設置されており、まるでミニ富士山です。
 頂上には、石碑があります。
 昔は各地に富士塚が作られ、富士山を仰ぐ機会に恵まれない場合はそこに行き、諦めていました。
 また、お祭りの場所にも使われていました。 
 昭和60年3月18日に東京都指定有形民俗文化財に指定され、昔から伝来したエベント(火の花)に現代風なカテゴリ(盆踊り)が加わり、富士山信仰という形で残されている郷土の過去を見ることが出来ます。
入り口
(道路で看板を読むのは交通安全上危険です。)
登 山 道(登山道右側に石碑があります。)
(登山道が少し大変なので、登頂達成感もミニ登山気分)

富士講は富士山の信仰をとうしてして現在まで続いてきました。
 本富士塚は、富士を信仰する丸嘉講田無組中里富士講の人々の手によって守られ維持管理されて、現在まで保存されています。
私達に生命を引き継いで来られた先代の苦労や生活の工夫の跡を残し保存する文化財です。
 きっと先人の心の苦しみを癒し、火の花の灰にみられるように多くの方々に希望を授け続けて来たことでしょう。
 神の存在を心の中に入れ、神を造形化したり、信心する事により多くの方々の心を支えてきたことでしょう。
 また、神様に仕えたり集団でのお宮参りや、神事をボランテアで司る世話人などの度重なる集会で、人心や家庭の事情や信頼性を察することも出来、家族の縁談も成立したようです。
 神様は、心の支えや価値あるコミュニュケーションの場を提供する等、架空のようで実利的に貢献した先人の英知かも。

中里富士塚の所在
名  称 浅間神社(せんげんじんじゃ)   中里富士塚 
所在地 東京都清瀬市中里3丁目991番地 
高  さ 約11m 面  積 391u

中里富士塚の由来
アクション 年代(西暦) 年代(和暦)
築造年代 年代不明  
赤坂善行道山より田無村を経て中里村の先達に、お伝いが送られ
講が成立以後武州田無組丸嘉講社の一つとして隆盛した。
1733年 享保18年
お山を再築、石の宮に改築(伝えられています。) 1825年 文政 8年
2m25cm山を高くする。石碑を7基建立 1894年 明治 7年
山を修復。杉、檜、等数10本を植える。 1902年 明治35年

文化財に指定されている中里富士塚
中里富士塚は東京都及び清瀬市から文化財に指定されています。
文化財名 東京都指定有形民俗文化財 市指定有形文化財 
指定名称 中里の富士塚 中里富士塚
指定年月日 昭和60年3月18日 昭和56年10月1日
行政団体 東京都 清瀬市
関係部署 東京都教育委員会 清瀬市教育委員会
*上の表は、境内入り口に設置してある看板の内容を参考にしています。
  看板には、過去の経緯が詳しく書かれています。
  看板は左側の写真の様に道路端に設置してあり、道路で立ち読みするには危険です。
表紙に戻ります。

天気のよい日に行ってみよう。   場所:東京都清瀬市中里3丁目991番地
交通機関案内
西武池袋線池袋駅より約30分乗車清瀬駅下車    北口より バスで
1番乗り場:清62志木駅南口行き  (中里・旭が丘5丁目経由)    または
2番乗り場:清64-2台田団地行き  (中里経由)
清瀬駅よりバス停5つめ「中里4丁目」下車。(徒歩約5分。)
バスの行く方向に歩き、信号右折(右側酒屋)。150m先右側の石段
中里富士塚周辺地図

にリンク
道路案内
 1)小金井方面から小金井街道(24地方道)を北上西武池袋線踏切りを渡り7つめの信号(下り坂の途中)を右折(柳瀬川通り)一つ目の信号(右側酒屋)右折。150m先右側の石段
 2)所沢方面から旧浦所街道の愛宕山交差点(Y字路を右折24地方道)武蔵野線の下をくぐり5つめの信号左折(柳瀬川通り)一つ目の信号右折(右側酒屋)。150m先右側の石段
 3)池袋、成増、朝霞方面から川越街道(254バイパス)を北上、武蔵野線のガード下を通過、大和田交差点左折(三本木通り、先は柳瀬川通りに引継ぎ)信号15個目左折(その途中の信号、台田団地入り口、清瀬市役所北、金山公園入り口、柿の下の次の信号、右側幼稚園、左側酒屋、左折、)150m先右側の石段
火の花の日は(前夜祭の日も)自動車交通規制があります。駐車場はありません。