メイショウビハク・・・何だか競走馬の名前のようだが、漢字にすれば名青美白となる。三重県の行政区域である名張市・伊賀市の旧青山町・津市の旧美杉村・旧白山町の頭文字を並べたものである。名青美白とは勿論、勝手な私の造語。この地域の共通キーワードは「藤原千方(ちかた)」。伝説上の人物として各地に語り継がれている。
以前から気になっていたので、青山町へ足を運んだことがある。今年の春から初夏にかけて改めて千方伝承の地を訪れてみた。
まず、「藤原千方」とは何者なのか?一般的に伝えられている内容を紹介したい。
「太平記」巻第十六
…又天智天皇の御宇に藤原千方と云者有て、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼と云四の鬼を使へり。金鬼は其身堅固にして、矢を射るに立ず。風鬼は大風を吹せて、敵城を吹破る。水鬼は洪水を流して、敵を陸地に溺す。隠形鬼は其形を隠して、俄敵を拉。如斯の神変、凡夫の智力を以て可防非ざれば、伊賀・伊勢の両国、是が為に妨られて王化に順ふ者なし。爰に紀朝雄と云ける者、宣旨を蒙て彼国に下、一首の歌を読て、鬼の中へぞ送ける。草も木も我大君の国なればいづくか鬼の棲なるべき四の鬼此歌を見て、「さては我等悪逆無道の臣に随て、善政有徳の君を背奉りける事、天罰遁るゝ処無りけり。」とて忽に四方に去て失にければ、千方勢ひを失て軈て朝雄に討れにけり。…
藤原千方は伝説上に名を残す人物で、歴史上の実在した人物とは言い難い。ただ、伊賀方面には様々な伝説として残っているので何かモデルがいたのかもしれない。
文献として最初に登場するのが上記「太平記」の中の朝敵を紹介する部分である。「尊卑分脈」などには藤原秀郷の孫に藤原千方と言う名が見えるが、伊賀での反乱や天智天皇の時代とも話が合わない。
「藤原千方」の伝承
千方は四鬼(四人の怪人)を使役した。どんな武器も弾き返してしまう鋼のように堅固な体を持つ「金鬼」、強風を繰り出して敵を吹き飛ばし風を操り敵城を吹き破る「風鬼」、如何なる場所でも水を操り洪水を起こして敵を溺れさせる「水鬼」、姿を消し、気配を消して敵に突如襲いかかる「隠形鬼(怨京鬼)」の四人がそれである。 他の伝承では、水鬼と隠形鬼が土鬼、火鬼に入れ替わっている物もある。 また、四鬼は忍者の原型であるともされる。
この鬼たちの猛威に官軍は大いに苦戦した。千方自身も無量無辺の神通力を持ち、普通の人ではどうすることも出来なかった。そこで天智天皇は右大将紀友雄を藤原千方征伐に派遣した。紀友雄は藤原千方の陣に次のような和歌を送った。
土も木も 我が大君の国なれば いづくか鬼の すみかなるらん
この歌の徳により、四色の鬼たちは後悔し、 己が住むべき国ではないと、たちまち本物の鬼に化生して奈落に落ちた。その穴の跡は今も四つ残っていて、四つとも風が吹き抜け、どこかでつながっているらしい。
首謀者の藤原千方は、家城付近の雲出川の岸の岩場で酒宴をしてゐるところを、対岸から紀友雄に矢で射られて死んだ(または、一騎打ちに望んだが激戦の末生け捕られた)。千方は首を切られ、その首は川を遡って川上の若宮社の御手洗に止まったので、若宮八幡宮にまつられたと言う。この地方では節分に「鬼は外」とは言はない。鬼は人と神の仲取り持ちをする眷族とされるからで、伊勢・伊賀地方では鬼に関はる行事も多いといふ。紀友雄は勝ちどきを上げ志賀の都(近江)へと帰還した。千方が籠もったと言われる千方窟は忍者発祥の地と言われ、かつての伝説を今に伝えている。
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