江戸素堂の家について
竹洞
六月十日、人見竹洞等が二三の友と素堂亭を訪れる。
素堂の家(『人見竹洞全集』所収。国立国会図書館蔵)
素堂の家
癸酉季夏初十日与二三君乗舟泛浅草入。
川東之小港訪素堂之隠窟竹径門深荷花池凉。
松風續圃爪茄満畔最長広外之趣也。(『俳句』朝倉治彦氏紹介。)
素堂
深川に屋敷地購入(郡代伊那半十郎)
素堂の家(素堂の抱屋敷)
元禄九年(1696)
地子屋舗帳の九冊目、深川の条、四百三十三坪 山口素堂四年以前酉年求置。
元禄十五年(1702)
本所深川抱屋舗寄帳。地子屋舗帳之内、
四百三十三坪と有之(訂正)四百二十九坪。
深川六間掘続、
伊那半左衛門御代官所、
町人素堂所持仕候地面四百二十九坪の抱屋敷、
元来所起立より町屋地面に而、町並家作仕、尤家作何方へも無断仕来候得共、
先年武士方所持之節、町並家作中絶仕、御改之節、抱屋敷御帳に相載り、
其以後素堂乞請所持仕候得共、町並家作不相成、迷惑仕候、
右六間掘町一同之地面之儀に御座候間、先規之通り抱屋敷御帳御直し、
家作御免之町屋並に仕度旨、所之名主一同連判之一札を以、願出候に付、
半左衛門方承合候処、願之通、無粉、今以町並御年貢諸役相勤来候旨、
委細書状を以、申越候、依之、場所遂見分、
宝永元甲申七月申上処、願之通、為仕候様にと、被仰渡候、
則半左衛門方にも相達之、願主名主召寄、申渡之候間、帳消之御張紙差上候。
(『俳句』朝倉治彦氏紹介。)
《註》
この素堂の家のことは、ほとんど知られていない。紹介した朝倉氏も指摘している通り、素堂の名は「素堂」である。俳号と本名が一致している。これは『甲斐国志』の云う、国志が云う本名「官兵衛」・「市右衛門」の名は同書以外見えない。