新山口素堂翁句集
《註》引用資料の『俳文学大辞典』は『俳文』とする。
寛文五年か六年(1665〜66)頃、索堂は大和三輪神社に詣でている。《荻野清氏薯、『山口素堂の研究』》
《註》これについては出展や目的が分からない。
目次
寛文七年(1667)素堂二十六歳
*『伊勢踊』いせおどり】伊勢加友(カユウ)編。
寛文九年(1669)素堂二十八歳。
*『一本草』【ひともとくさ】未琢撰発句一入集。
寛文十二年(1672)素堂三十一歳
*『女夫草』【めおとぐさ】立儀(リュウギ)編。
延宝二年(1674)霜月三日素堂三十三歳
*【信章(素堂)歓迎百韻】北村季吟編『季吟廿会集』所集。
延宝三年(1674)素堂三十四歳
五月【宗因欲迎百韻】素堂入集付句九。松尾芭蕉の桃青号の初見
延宝四年(1675)素堂三十五歳
*春【天満宮奉納二百韻】桃青(松尾芭蕉)信章(山口素堂)の両吟集。(抜粋)
刊行は延宝六年『桃青三百韻附両吟二百韻』
延宝五年(1677)素堂三十六歳。
*"六百番俳諧発句合"内藤風虎主催。十一月〜十二月五日。
判者…釈任口・北村季吟・松江維舟。
*冬『江戸三吟』【えどさんぎん】
延宝六年(1678)素堂三十七歳。
*春、引き続いて『三吟百韻』興行。(二巻.三巻)
*八月上句『江戸新道』【えどしんみち】言水漏。
素堂、号「来雪」
目には青葉山郭公はつ鰹 来雪
*九月、『新付合物種集』西鶴編。
延宝八年(1680)素堂三十九歳。
*『江戸弁慶』【えどべんけい】言水編。素堂発句一
『俳枕』【はいまくら】高野幽山編 素堂序文
*延宝年中作。『季吟合点懐紙』
寛文七年(1667)素堂二十六歳
*『伊勢踊』いせおどり】伊勢加友(カユウ)編。
《註》著作年は加友の序文によると寛文七年霜月、刊行は翌八年となっている。
まないたは魚木にのぼる柳哉 加友
素堂入集五句
予が帰国之刻馬のはなむけに
とてかく在ん
かへすこそ名残おしさは山々田 信章
花
花の慶にましはるばうし風の神 同
齢花
爾にうた加あなむ残花や児桜 同
相撲
取結へ相撲にゐ手の下-の留同
相撲
よリて社そるかとも見め入相撲 同
《編者》加友
般妊庵・春陽幹。生投年不詳。伊勢国松阪樹敬寺の塔頭法樹院の住職で季吟との交友もある。素堂との関係は以前よリあった節がある。又加友の号は江戸の荒木加友もある。寛文期(1661〜72)六十〜七十歳で投か、一書によると延宝五年(1677)東下すると云う。》
寛文九年(1669)素堂二十八歳。
*『一本草』【ひともとくさ】未琢撰発句一入集。
《註》
『俳諧』通称、石田要之助。石田未得の息子。江戸の人。天和二(1682)年没。入集人員四百三十九名。句三千九十五。江戸俳諧の實力を示している。
寛文十二年(1672)素堂三十一歳
*『女夫草』【めおとぐさ】立儀(リュウギ)編。
《註》
『俳文学犬辞典』(以下『俳文』)によると、上巻、中巻、下巻に別れ付句二百九十七を収める。主要作者は重頼、季吟.玖也、宗因、信章(素堂)、不トらで、父立志が万句から抜き出しだものの増補。早稲田大学図書館蔵。未見。
延宝二年(1674)霜月三日素堂三十三歳
*【信章(素堂)歓迎百韻】北村季吟編『季吟廿会集』所集。
付句十一
霜月三日江戸よリ信章のぼりて興行
いや見せじ富士を見走目にひえの月 季吟
世上ハ霜枯こや都草 信章
冬牡丹はなはだとしははやらせて 湖春
下戸ならぬこそ友にはよけれ 季吟
打ちわすれ橋はこえても法ハこえじ 信章
駄賃に高る此札の辻 湖春
月よリ申しに夕月の雨 信章
うつリかは於る和歌の風俗 同
をのが自姿う在づきよれる供部やに 同
涙の梅やわつれなき? 同
汲はこぶ塩らしけなるなリかたち 同
玉津さも是度の己後ハかよハさず 同
新宅ての節のふるまひ 同
ふる総なれや其年の白雪 同
《註》
多くの書に索堂は北村季吟の門人とされているが、最近はそれを否定する意見もある。『俳文』
〔北村季吟〕
寛永元年(1624)に生れ宝永二年(1705)に没し、八十二歳。俳諧は貞徳門で明暦二年(1656)に独立。天和三年(1683)に子息湖春に後を任せ新玉津島神社に隠逝して和歌の注釈書を著し、元禄二年(1689)には幕府歌方として湖春ともに召され。再昌院法因として最高位につく。俳諧以外にも和歌作者、歌学者、古典註解などの活動も続ける。
《註》
『廿会集』は寛文四年から延宝三年まで続く。刊行は延宝四年。(1676)。
《註》
素堂は専門的なの俳諧師ではなく和歌や漢詩.古典も嗜む、季吟との交友は俳諧以外で結ばれている可能性が高い。
延宝三年(1674)素堂三十四歳
五月【宗因欲迎百韻】素堂入集付句九。松尾芭蕉の桃青号の初見
いと涼しき犬徳也けり法の水 西山宗因
好鰐を宗と囲む蓮池 ?画
反橋のけしきに扇ひらき来て 高野幽山
石垣よリも夕日こぼる 桃青
領境松を残して一時雨 信章
雪略をあけし跡の山公事 木也
或は臼月は海から出るとも 吟市
よみくせいかに設る雁がね 少才
四季もはや漸く早田狩ほして 似春
あの間此間に秋風ふく 執筆
一生はたゞ萍(ウキクサ)におなじ 信章
時を得たり法印法卿其外も 同
【写本、天理図書館蔵・東大酒竹文庫蔵】
《註》
『芭蕉全隻』此の百韻は和簑文庫所蔵に係る『談林俳諧』と題する写本より頴原退蔵氏が発見して『潮音』に発表したもの。『芭蕉年譜犬成』(以下『年譜』)江戸大徳院において折リから東下中の西山宗因の歓迎百韻。かの松尾芭蕉の桃青号の初見。
《私註》
芭蕉は、素堂と深い関わりのある内藤風虎(岩城平城圭)の江戸藩邸に宿泊する。素堂と芭蕉の関係はこの集の後芭蕉
没時まで続く、俳請書に見える初墳合あせか。芭蕉はこの後『貝おほひ』を発刊する。》
*七月『俳講絵合』【はいかいえあわせ】高政編(菅野屋氏)
入集句未見。
《『俳文』》
高政の処女撰集。作者は京都貞門が多数が占めるが、江戸の杉風・信章が入集しているのが注目される。この句集で宗因を賛美し延宝六年自宅に宗因をまねき談林風に傾倒する。
延宝四年(1675)素堂三十五歳
*春【天満宮奉納二百韻】桃青(松尾芭蕉)信章(山口素堂)の両吟集。(抜粋)
刊行は延宝六年『桃青三百韻附両吟二百韻』
其の一 巻頭
此梅に牛も初音と啼つべし 桃青
ましてや蛙人間の作 信章
春雨のかるうしやれたる世の中に 桃青
酢味噌まじリの野邊の下萌 信章
雷盆を若紫のすりごろも 桃青
むかし働の男あリけリ 信章
あかがりのひらけ初たる宵月 信章
つまたててゆくあし引の山 桃青
ご寸程季の屈かざる歌の道 信章
ひとかいあまりすみよしの松 桃青
其の二
梅の風俳諧国に盛んなり 信章
こちとうづれも此時の春 桃青
さやりんず霞のきぬの袖は 桃青
けんやくしらぬ心のどけき 信章
してこゝに中比公方おはします 信章
かたじの空のはげてさびしき 桃青
海見えて筆のしづくに月少し 桃青
趣向うかべる船のあさ霧 信章
いかに漁翁心得たるか秋の風 桃青
實に土用なりあまの羽衣 信章
《註》参考資料
《『国語.国文挙』芭蕉の軌跡.『信章との風交」.「絶妙の二人三脚」広田二郎先生著
赤坂の溜池にあった内藤風虎の藩邸には詩人.歌人.俳諧師が常時出入リし、さながら文学サ回ンの趣があった。(略)信章は漠詩.和歌.俳諧を愛する風虎型の文人で(略)桃青(芭蕉).幽山にとりわけ親しくなった。(略)漢学の素養の深かった信章は、(略)桃青(芭蕉)と信章(素堂)が量も個性を発揮し、力量を出し尽くすことが出来たのは両人の興行の身においてであった。それは純妙の二人三脚であった。
《私註》
素堂と芭蕉はこの両吟以前から人閻的な交涜が深かったことも考えられる。それでないと広田先生の云う『純妙な二人三脚」や阿吽の呼吸.掛け合いは生れないとも推祭出来る。》
*『草枕』旨恕編。【旨恕.信章の両吟】所集。(未見)
《上巻のみ天理図書館絡屋文庫蔵。『定本西鶴全集』第十三巻所集。
旨恕
片岡氏大阪堂嶋に住し始め季吟門、後宗因門、『宗因七百韻』には『宗因家従旨恕」とある太阪談林派の重要人物。(『俳文』)。》
*『俳諮當世男』蝶々子編。
雪
何うたがふ弁慶あれば雪女 信章
延宝五年(1677)素堂三十六歳。
*"六百番俳諧発句合"内藤風虎主催。十一月〜十二月五日。
判者…釈任口・北村季吟・松江維舟。
主要俳人の成績
山口信章 勝四句 負六句 持十句
内藤風虎 十八句 〇 二句
内藤露沾 十六句 〇 四句
北村正立 十一句 三句 六句
高野幽山 九句 五句 六句
小西似春 九句 五句 六句
望月千春 七句 二句 十一句
池酉言水 五句 九句 六句
松尾桃青 九句 五句 六句
十九番 試筆
鉾あリけり犬回本の筆はしめ 山口信章
四十七番 霞
見るやこゝろ三十三天八重霞 同
七十五番帰鷹(ガン).
ちるをみぬ腐やかヘヘつて花おもひ 同
百三番 上巳
海苔若布汐干のけふそ草のはら 同
百三十一番 花
タかな月を咲分はなの雲 同
百五十九番 時鳥(ほととぎす)
返せもとせ見残す夢を郭公 同
百八十七番 鰹
初鰹またしとおもへは蓼の露 同
二百十五番 螢
戦けりほたる瀬田より参合 同
二百四十三番 納涼
峠涼し沖の小島のみゆ泊り 同
二百七十一番 土用干
富士山やかのこ白むく土用干 同
三百二十九番 鬼火
かたちは鬼の火鉢いたゞく 信章
鬼火や入日をひたす水のもの 同
三百五十七番 鹿
むさしのやふしのね鹿のねさて虫の音 同
三百八十五番 紅葉
根来もの麹みをうつせむら紅葉 同
四百十三番 月
宗鑑老下の客いかに月の宿 同
四百四十一番 砧(きぬた)
正に長し手繊紬につちの音同
四百六十七番 冬篭
乾坤の外家もかな冬こもリ 同
四百九十五番 茶花
茶の花や利休が目にはよしの山同
五百二十三番 凩
凩も筆捨にけリ松のいろ 同
五百五十一番 雪
何うたかふ弁慶あれは雪女 同
五百七十九番 ふぐ
世の申や分別ものやふぐもどき 同
《註》『俳諧』
この句合は岩城平城主内藤風虎が右大将家歌合になぞらえ、諾国の俳人六十名の発句を四季ごと百五十番づつ選んで、任口.季吟.維舟らの判紙を加えた集、信章.桃青.言水ら次代の俳諧の中心を形成する若い俳人を支える風虎とその家臣の俳人が多数参加している。
《私註》
主催した内藤風虎(義概.後義泰)はその息子露沾とともに、素堂の一生を語るには欠かせない人物である。風虎は奥州岩城平七万石の城主でその文忠興は大阪城代として勤務していた時代もある。又俳諧だけでなく和歌も嗜み多数の家集を編纂している。この句合以後も素堂は水間沾徳を風虎家に勤仕させたリ、宗因を迎えるにあたっても中心的な活動をした形跡もある。息子露沾は、素堂とは永隼の交友が深く素堂の逝去した翌年黒露により編まれた追善句集『通天橋』(享保二年・1717)には序文を著している。素堂と内藤家との深い関係が窺あれる。》
*冬『江戸三吟』【えどさんぎん】素堂.信徳.桃青三吟百韻。刊行は六年三月。
其の一(巻頭)
物の名も蛸や古郷のいかのぼり 信徳
あふくの空は百余里の春 桃青
嶺に雪かねの草軽解そめて 信章
千人カの東風わたる也 信徳
熊つかひむかへぽ月の薄星 桃青
水右衛をわらふ初かりの聲 信章
墨の髭萩の下葉のうつろひて 信徳
尾花か袖に鏡かさうか 桃青
判はんじいか在る風の閑にふく 信章
おつとは山伏海士の坪聲 信徳
一念の鰻となつて七まとひ 桃青
其の二(巻頭)
あら何ともやきのふも過てふぐと汁 桃青
寒さしざって昆の先まで 信章
屠合ぬき霞の玉や乳すらん 信徳
拙者名字は風のしのはら 桃青
相応の御用もあらば池のほとリ 信章
海老ざこまじリに折節は鮒 信徳
醤油の後は湯水に月澄て 桃青
更てしばしば小便の露 信章
きゝ耳や余所にあやしき荻の声 信徳
難波の芦ば伊勢のよもいち 桃青
屋敷がたあなたへざらりこなたへも 信章
為替小判や袖にこぼるゝ 信徳
其の三
さぞな浄瑠璃小留は愛の花 信章
霞とゝもに道化人形 信徳
青いつら笑ふ山よリ春みえて 桃青
土器の瀧のめばのむほど 信章
聲がたつ嵐に波のあそび舟 信徳
鷹よ千どリよあほう友達 桃青
五間口淋しき月に其名をうる 信章
松を証拠に檀金の秋 信徳
手かけ者とりのやうに覚えたリ 桃青
おもひのきずなしめごろしゝて 信章
木綿賣ある夕暮のことなるに 信徳
門ほとほととたゝく書出し 桃青
延宝六年(1678)素堂三十七歳。
*春、引き続いて『三吟百韻』興行。(二巻.三巻)
《伊藤信徳、京都で『江戸三吟』として刊行。》
《註》素堂は「来雪」号を用いる。
*三月下句『江戸八百韻』幽山編。
何踊
花ふんで銀輔うらめし暮の聲 幽山
松はしらねか年号の聲 安昌
白い雛子青いかしらの山見えて 来雪
裾野の里に人崩れ有り 青雲
買喰買呑引て月 言水
四方の秋はつかしい事もなかリけり 如流
さりとは内気小萩さく宿 一鉄
白露の細かな物を見てばかり 執筆
甲州入の山更に婁 来雪
三字中暑
鬼心せよ丑月雨の闇 来雪
何子
もう歌仙ほと暮残る秋 同
何香
文字は何三句めいかん此所 同
木何
茶の花や利休の目には吉野山 同
《私註》池酉言水が享保二隼に編んだ『初心もと柏』に次ぎの様な記述がある。》
卯花
うの花も白し夜半の天河 言水
江戸八百韻と云祭撰み侍リける時、
素堂と打つれ帰るさの夜いたく更けぬ。
所は本所、一鉄が許(がリ)
家まばらにして、かきね卯花咲り。
*七月『鱗形』【うろこがた】雪集編。〔素堂、発句?〕
《『俳文』》諸家の近詠二十九句を挙げ、江戸談林の代表的俳論書。『近世類従32』・『俳書董刊3』所集。》
*八月上句『江戸新道』【えどしんみち】言水漏。
素堂、号「来雪」
春部
桃灯消せタ日の名残路の花 露沾
柴賣や肩にかけゆく峯の花 幽山
花遅し能因かあらば四方の山 松意
焼飯や上戸の笑ひし下戸の花 言水
風鳥の困漬つらし花盛 不ト
タ哉月を咲分花の雲 山口来雪
小憎来り上野は谷中の初桜 同
芝の雲上野の擾咲にけり 岡瀬一鉄
夏部
目には青葉山郭公はつ鰹 来雪
五月雨や龍燈揚る番太郎 桃青
峠掠し興ノ小島の見ゆ泊り 来雪
小女や横ばしる蟹粽章 岸本調和
五月雨や尾上の鐘も竜宮城 内藤風虎
秋部
鬼灯や入日をひたす水の物 来雪
針立や肩に槌うつから衣 桃青
冬部
世の中や分別者やふぐもどき 来雪
ぱつ雪や敵人あれはこもかぶり 一鉄
ふぐ汁や恐れをなして喉の關 言水
*九月、『新付合物種集』西鶴編。〔素堂、付句五。〕
《『俳文』…序文五隼余に耳に触れた付句五百組を収める。》
『古典俳文学3』.『定本西鶴全集10』所集。
(未収)
延宝八年(1680)素堂三十九歳。
*『江戸弁慶』【えどべんけい】言水編。素堂発句一
…抜粋…
元旦
鳳恩か今朝鳥が晴吾妾の春 風虎
羽子板や今朝天降る柁の橋 露沾
玉子の国すかすに清し日の始 幽山
宿の春何もなきこそ何もあれ 素堂
死ぬ迄は定て生舞千々の春 一鐵
腰替り人魚の幾代を着初 言水
雑子
枝山淑困竈ちかし南部雑子 調和
花
かな聲尾上の暮や花感 山口言友
御祓付河社
慶紙や浅草河にせし御祓 同
霜
松前や満干のなかめやねの霜 同
奇畳花ト云題
あらそふや花に進て熊谷笠 松意
更衣
白郡内甲斐かね青し更衣 調和
螢
螢稀に點置けリ池の員 素道
初冬
江戸店や塞守任せの神な月山 山口可竹
《『俳文』》
江戸俳人を中心とし四季類題別句集。俳諧文庫。芭薫以前俳諧所書。
《私註》
素堂.山口言友.山口可竹については不詳.甲斐で姑めて貞享三年(1686)編まれたとされる調實(調和の門人.甲斐市川の人)の『白根嶽』にも素堂の句が一句入集しているが、その調和と素堂はこの当時から交友があったものと考えられる。
五月七日『西鶴犬矢数』【さいか<おおやかず】
素堂、発句旬二、(付句一)
巻之四 第二十九旬 何女
詠入て人魂降けり雪の風 来雪
杓の貌は氷る山路 西鶴
巻之五 篇四十一 何客
雀の子千さへ飛に大旬数 西村
筆のはやしの続くほど花 西鶴
朝朗曲射の逢萌出て 信章
《『俳文』》
延宝八年五月七日、大阪生玉社別当南坊で、西鶴は二度の『大矢数四千句』を興行した。当日は数千人の観衆がつめかけ五十五人の役員立会い当地の宗匠、親戚をともなった興行であった。(『新選絵入西鶴全集 俳諧編、第二巻』『俳書犬系 談林俳俳諧集』『定本西鶴全集 第十一巻』所収。
《私註》
この『大矢数』の中に来雪と信章の名が見える。処書に紹介されているのは『第四十一 何客』の信章号の句であるとすると『第二十九句の』来雪は誰なのだろうか。(西吟編の『庵桜』に地名池田として『来雪』の名がある。
さらに役員の脇座として山口清勝(自足子)の存在がある。山口清勝は『蛙井集』【あせいしゅう】(寛文十一年刊)を編んでいる。素堂は延宝八年からは号素堂として諸俳書にもみられるが、近辺からはまだ『信章』で親しまれていた節もあり号としても『田合之句合』(其角編延宝八年八月刊)同年不トが編んだ『向之岡』にも「信章」の名が見える。
名が見える.》
“
『向之岡』【むかいのおか】不ト編
蓮の實あり功経て古きかめもあり 信章
『俳枕』【はいまくら】高野幽山編
素堂序文
能因が枕をかつてたばぶれの号とす。
つたへ聞、其代の司馬迂は史記といふもの、あらましに、
みたび五岳にわけいリしとなリ。
杜氏.季白のたぐひも、とをく廬山に遊び洞庭にさまよふ、
その外こゝにも圓位法師のいにしへ、宗祇、肖栢の中ごろ、
あさがほの庵、牡丹の園にとゞまらずして野山に暮し、
鳴をあはれび、尺八をかなしむ。是皆此道の情なるをや。
そもそも此撰、幽山のこしかたを聞ば、
西は棒の津にひら包をかけ、東はつがるのはて迄をおもしとせず。
寺といふてら、社といふやしろ、何間ばりにどちらむき、
飛騨のたくみが心をも正に見たリし翁也。
あるは實方がつかの薄をまげ、十符のすがごもを尋ね、
緒たえの橋の木の切をふくろにをさめ、金澤のへなたリ、
いろの浜小貝迄、都のつとにもれたれたリ。
されば一見の所どころにてうけしるしたること棄のたね、
さらぬをもとリかさねて、寛文のころ桜木にあらはすべきを、
さはリおほきあしまの蟹のよこ道にまつはれ、
延る寶の八ツの年、漸こと成ぬ。
さるによつて今やうの耳には、
とませの杉のふるき共おほかり。
しかれども名取河の埋木花さかぬも、
すつべきにあらず。是が為に素堂書す。
俳枕上
山城
山城のとはにあひ生や松飾 風虎
東国をめぐり、大阪にかへるとて
夏山やあるひは野にふし伏見舟 西山梅翁(宗因)
北野にて
當分の是御自愛や薫風 三輪一鐵
犬和
里富リ奈良の初年寿録神 池酉言水
たぼこふく息や霞て吉野山 田代松意
吉野初瀬花や歌人の大原 内藤屋沾
茶の花や利休の目には吉野山 山口素堂
河内
干飯を道明寺とは名付たリ 杉山杉風
ぴんぼう神旅の宿なし天の川 望月千春
元興寺にて
鬼の手形螢に取けり暮の年 高野幽山
中山にて
愛ぞ命顔淵が命夏の月 山口素堂
宮古は扇汗は清見が関なれや 同
髭の雪連歌と打死なされけリ 同
俳枕中
武臓
花の千代の何かの春も江戸也けり 山口素堂
小憎来リ上野谷中の初櫻 同
武蔵野やそれ社尊の胸の月 同
武蔵野や富士のね鹿のね虫も又 同
戦ひけり蟹頼田より参あひ 同
瀬田にて
タだぢや虹のから橘月は山 同
宮島にて
廻廊や紅葉の燭鹿の番 同
根来物つよみゆづれ村紅葉 同
長崎にて
入舟やいなさそよぎて秋の風 同
素堂、幽山両吟(三十六韻)
水無月いつか来にけん裸嶋 幽山
団扇うすベリ床の山陰 素堂
うつり行鏡の里に髭そリて 同
ゆるぎの森に風けゆずれば 幽山
《註》『俳枕』
素堂序によれば本書は寛文期には成立、その後延宝期にかけて増補して上枠した。
《筆註》
清水茂夫先生はこの序文について次ぎのように述べておられる。
「この文章の中から重大な二つの点を指摘し得る」
として、
その一は杜甫.季白.西行.宗祇.肖栢等の生き方に対する共感である。
その二は漠詩も和歌もそして俳諧もその文芸佳の根底において一であると云う自覚である。
《筆註》
このように素堂が芭蕉に先行して俳諧感を論じているのに後世の研究者の中には、その部分を欠落させ全て芭蕉の「言」の様に書されておられ人もおる。それは今後の展闘の中で実証する。》
*延宝年中作。『季吟合点懐紙』勝峯晋風氏著『芭蕉一代集』
《勝峯氏の解説》
中村貫一氏の所藏する古い懐紙切れで終わりに
『右季吟翁合点之懐帋随斎所蔵、文化甲子贈松窓乙二」
と見える。季吟の批点に桃青の附句のあるものはこれが初見である。
長刀さすかよせいなおとり身 信徳
露にやおちん髭の黥 同
婿に祝ひかけにまかせて桶の水 素堂
履 背 苦 痩 馬 素堂
ケタツケヤセムマヲクルシム
丸 身 類 裸 蝗 素堂
マロカミルイハハタカムシニ
絶す数寄て喰いけ栗のいけるうち 桃青
縁につかしの末も亭(トヲレリ) 同
色好む殿の音曲に箏(コト・琴) 同
五十點之内 長七 季吟 書判