飯田龍太論 五十代の句を中心に
酒井弘司氏著『俳句』掲載記事
飯田龍太の句の魅力はなにか。
(三)
飯田の五十代の句は、いま見ててきたように自然と人問の呼吸を見事に捉えており、そこには種々なことばの試みがみられた。が、ここでは、飯田の句のもう一つの貌----亡くなった肉親をモチーフにした句について触れておきたいとおもう。初期の句から今日までの句を読んできて、亡くなつた肉親をモチーフにした句の数はそう多くはないが、飯田の句のなかでは、大切た位置を占めているようにおもえるからである。
栴檀の咲き溢るれば亡き子見ゆ 『山の木』
鰯雲死児に重みのありしこと 『涼夜』
冬童兄みな死せる叔母の前
草青む方へ亡き母亡き子連れ 昭和53
杣子の香は亡き兄を呼び亡き子連れ 昭和54
今生を共にLた肉親への絶ちがたいおもいがこめられた句である。そして、そのおもいは、いまのうつつを越えて彼岸の子や母を招来してやまない。
「草青む」の句の世界は、どうだろう。春気がうごいて地上の緑が日一日と濃くなつていく早春の野を、亡くなつた母と子が連れそつて歩いていくというのだ。この句は、此岸と彼岸をかかえこんだ世界であり、思弁的に見ただけでは、句の世界は見えてこないだろう。一句の発想の根には、早春の下萌の地があつて、絶ちがたい肉親へのおもいが、亡き母と子を招来したといえよう。ここには、現実とか非現実ということに拘泥しない世界がある。
また次のような句、
山碧く冷えてころりと死ぬ故郷 『麓の人』
桔梗一輸死なばゆく手の道通る
では、飯田の死生観を灰聞するおもいがする。これらの句を読むと、人間が自然のなかで呼吸していることを強くおもう。自然と人間が対峙するかたちではたく、人問も自然を構成する一要因として自然としてあることを口この二句からは、自然のふところに抱かれての生活が自然から学びとつた思想を窺知することができる。〈死〉とは自然に還つて浄くこと、自然と合一することであり、そこに見られる眼はリアリスティックで冷徹でさえある。しかし、いつたん飯田が亡くなつた肉親を書くとき、安息にも似た表情を句はみせてくれる。リアリスティックな眼の奥にある肉親へのおもいが、次せるものであろう。
昭和十六年(二十一歳)次兄病没、祖母病没。
昭和十九年(二十四歳)長兄レイテ島にて玉砕、戦死。
昭和二十三年(二十八歳)三兄外蒙抑留中に戦病死。
昭和三十一年(三十六歳)次女純子を急性小児麻痺にて病臥一日にして失う。
昭和三十七年(四十二歳)九月二十七日早暁、蛇笏昏睡に陥り、三日夜没。
昭和四十年(四十五歳)十月二十七日、母菊乃逝去。
『飯田寵太読本』(昭和53)の年譜から肉親との永別に関係した年を抽いてみたが、ほぼ人生の半ばにして、七人の肉親とのわかれをもち、また、三人の兄の永別によつて、生家を継ぐ重責を負わねばならなかつた身にとつて、肉親は<家>とともに、ことのほか重い存在としてあつたといえる。
紺絣春月重く山でLかな 『頁戸の蹴』
緑蔭をよろこびの影すぎしのみ 『麓の人』
「紺絣」の句のように青春の渦中で書かれた句でも、「重く出でしかな」といつた飯田の精神が投影されたことばには、人生の翳が見えるのだ。そして、「緑蔭」の句には、もつと寂蓼とした翳が見える。
前の世は刈草かわく匂ひかな 『麓の人』
夕凍ての葱のにほひにうLろの世 『忘音』
仮の世の足袋がつるりと初鴉 『山の木』
柚の花はいづれの世の香ともわかず 昭和53
「前の世」「うしろの世」といつた前掲の句が見せてくれる異次元の世界の混入には、すでに「草青む」の句でも触れて書いたが、現実・非現実が交感した視点を、飯田の句はもつているということである。そして、「前の世」「うしろの世」ということばが出てくる
土壌には、現実世界を「仮の世」とする認識があるからであり、また、「仮の世」を意識して押し出す基底には、<常世>を見る眼が用意されていよう。このように「仮の世」を強く意識し<常世>を見すえる眼は、飯田の亡き肉親によせるおもいに、その原点を探つておくことは強引すぎるであろうか。
そして最近の句では、「いづれの世の香」と書くところまできている。もうここでは、「仮の世」といつた無常の現世を規定するような語も使われることはない。「匂ひ」や「香」といつた嗅覚の冴えの中かに、飯田の句の世界は、齢とともに艶をもつて自在にひろがつてきていることを見ておきたい。