飯田龍太論 五十代の句を中心に

酒井弘司氏著『俳句』掲載記事

飯田龍太の句の魅力はなにか。

(四)

さて、五十代に人つてからの句が、より自在な境地へむかおうとする形姿を、いくつかの視点から見てきた、が、『山の木』以降の句では、いつそう、その形姿をはつきりさせてきているようにおもえる。。

 

ふるさとは坂八方に春の嶺        『山の木』

かたつむり甲斐も信濃も雨の中

水澄みて四方に関ある甲斐の国

ふるさとの橋のかずかず師走かな

春の夜の藁屋ふたつが国境ひ       『涼夜』

梅漬の種が真赤ぞ甲斐の冬

 

いままでとは違つた風景がここには見られる。現出されている風景は、心象風景といつてもよいものである。茫洋とひろく澄んだ世界である。

また、「甲斐」という語彙も、四十代までの飯田には見られなかつたものである。もつと直載に、「村」とか「故郷」ということばで、飯田は家郷を見ていた。そして、「村」も「故郷」も表面は澄んだ表情を見せても、その底には強い葛藤、かあリ、精神の屈折、混濁をへて現出された「村」であり「故郷」であつた。

ところがどうだろう。前掲の句には、自然と対峙しつつ凝視する眼は感じられない。ここには、いままでの生のなかで醸成されてきた家郷の自然----それは、内なる風土ということばで呼んでみてもよい自然がある。すでに精神の葛藤も憎悪の痕跡も、ここからは窺知できない。もつと茫洋と、心をとき放つたときひろがつてゆく自在な世界である。だから、人間の翳も淡い。「ふるさと」といい「甲斐」という、これらのことばは、人を刺すような鋭さや激しさをもつた諮彙として使われていたい。

詩の話などすこしして睦月かな    『涼夜』

短夜のつぎつぎ暁ける嶺の数

天道虫昼の戸を閉す音すなり

 

飯田の五十代の句のなかでも、『涼夜』の時期の句は、全体に淡く薄明の世界のおもむきすらある。若書きの時期から極力さけてきた「や」「かな」といつた切字の多用も、『山の木』以降の句の特徴の一つであるが、飯田の齢が徐々にみせはじめた幽玄な世界といえないこともない。

ただ、いっそう句目方を減らしていつた次のような句、

 

釣りあげし鮠に水の呑初しぐれ    『川の木』

葱束をさげし重みのしぐれゐる    『涼夜』

 

では、「しぐれ」という季語が、あまりに技巧的に使われていないか。飯田の句では、詩語として一句のたかにおかれてきた季語が、ここでは、やや息をぬいたかたちで使われている。句が、ひろびろとした世界に出てきた、これも一つの遊び心のなせるわざ、ともいえるが、これらの句には、飯田が常に念じている.目然との共感が稀簿である。

 

冬深し手に乗る禽の夢を見て     『山の木』

葱抜くや春の不思議た渉のあと     昭和53

着のみ着のまま飛魚を夢のなか

秋深し小店に撮を見し夢も       昭和54

 

それにしても、いよいよ句は、茫洋とした自在な世堺をひろげつつある。いまのうつつ。<夢>の次かのうつつ。「葱抜くや、」の句は、現実と非現実が交錯して、妙に艶な世界を現出している。『山の木』以降の句は、かつての清冽な叙情を揺曳しつつも、句を抑く、という営為からもつとも離れて、作為の消えたところで、見えてくることばをひろいあげてゆく、といつたおもむきすらある。現実も<夢>であり、<夢>も現実である、といつた世界である。

 

高き燕深き席に少女冷ゆ       『童眸』

鰯雲死児に重みのありしこと     『涼夜』

 

この二句を並べてみたとき、どうだろう。前句からは、次女を病臥一日にして亡くした慟哭にも似たかなしみが、張りのあることばをとおして感じられる。が、後句からは、そのかなしみというよりは、存在したものの手ざわりな自ら確めている。----かなしみは無常のうえに在るというおもむきである。

人間とのかかわりを捨てて自然だけが独立して見えるはずはないのだ。それが作品の表に出るか裏になるかは別として、人に対する関心と好奇を去つて白然を見る眼だけ、が肥えるということはありえないように思われる。(『自選・自解飯田龍太太句集』昭和43)感性を抑えて、ものを見る確か次眼をもたなけげればいけないということを言いましたが、感性は年齢とともにどんどん衰えてゆく。感性を補つてどう作品を肥やしていくか。(『龍太俳句教室』(昭和52)

今年、六十歳をむかえようとする飯田にとつて、句から老いのきざしをどうふせいでいくか。いま、引用した飯田の諭は、繰りかえし自らにむかつて説いてきたものでもあつた。

たしかに、『涼夜』以降の句の世界は、いつそう自在に、いつそう軽くなりつつある、が、ひとつ問違えば、ただごと俳句の陥穽におちかね次いきわどさももつている。

 

大寒や夜に入る鹿の斑(ふ)を思ふ   昭和53

山越えて刻のあとゆく春の風

仔兎の身の弾力も花祭

飼屋かなたに澎湃と雑子鴫く

波騰げてひたすら青む加賀の国

桃畑の桃の高さに乙女達

山越えし記憶西日の魚影のみ

地に降りて真夏のいろの山鴉

高嶺みな鋭き眼をあげて麦の秋

ゆく夏の山霊葱の香にかくれ

冬磧雑子さげてゆく童児あり      昭和54

裏富士の月夜の空を黄金虫

鹿の子にももの見る限ふたつづつ

露の家二軒三軒幼時のこと

鰯雲生れ在所の家の数

蛇笏忌の空屈強の山ばかり

 

ここ数年の句では、飯田の精神の張りが強く見られるもの、自然との共感が積極的に感じられる句を抽いてみた。

現代俳句の俳人のなかで、もつとも魅力ある俳人の一人であるだけに、はやぼやと郷愁の世界に没入してもらいたくない、という切なるおもいをこめてである。