《素堂余話》北村季吟合融懐紙にみる素堂と芭蕉
延宝年間(桃青の附句)
《註》北村季吟合灘懐紙延宝年中作『芭蕉一代集』勝峯晋風氏著昭和六年刊。
中村貫一氏が所蔵する古い懐紙切れで終わりに「右季吟合貼懐帝附随斎所蔵、文化甲子秋贈松窓乙二」と見える。季吟の批点に桃青の附句のあるものはこれが初見である。
長刀さすかよせいなおとり場 信徳
露にやおちん髭の黥(スミヌリ)
婿に祝ひかけにまかせて桶の水 素堂
霞む風呂下帯結ぶ絣 秋風
白花室湊 秋風
黒木都□ 秋風
履背苦痩馬 素堂
丸身類裸蝗 素堂
絶す数奇て喰いけ栗のいけるうち 桃青
縁につかしの末も亨 桃青
のりすます玉のこしもほいとけて 桃青
珍重々
色好む殿の音曲に事 桃青
五十点之内長七 季吟書判
〔俳譜余談〕『芭蕉の全貌』萩原羅月氏著。
芭蕉は宗因を崇拝してゐたようで、それには信徳や素堂の感化もあった事だろう。素堂は芭蕉同年(実際は素堂が二才上)であって、後には蕉風に化せられたが、当時は信章とも来雪とも云ひ、談林の徒と交深く、言水の句集『初心毛登柏』にも、「卵の花も白し夜半の天河、江戸八百韻と云ふ集選五侍りける時、素堂と打ち連れ帰るさの夜いたく更けぬ。所は本所一繊(三輪氏)が許、家まばらにして垣根卵の花咲けり」
とあるから、(素堂は)言水と親しく、江戸談林の大将株であったと思われる。此『江戸八百韻』は江戸新風の代表撰集で、
言水の同書に「中比は難波道、泣戸道の八百韻。云々」と言っている。