素堂消息、『甲斐国志』…「素道」の項(巻之百二 士庶之部 府中)

  文化十三年(1813)刊。   

 山口官兵衛ト云。姓ハ源名ハ信章。字ハ子晋(一云公商)。其先ハ州ノ教来石村山口ニ家ス。因為氏後ニ移居府中魚町。家頗ル富シ。時人山口殿ト称ス。信章ハ寛永十九年壬午五月五日生ル、故ニ重五郎を童名トス。長シテ市右衛門ト更ム。盖シ家名ナリ。云々

 《註》

 『国志』には山口家は酒造業を営んでいるとする記載は見えない。山口素堂の家と酒造業を結びつけてのは安政五年(1858)に七十二才で亡くなった、緑亭川柳編の『俳人百家撰』の素堂の項の「甲斐に代々酒造業を営む家に生まれ、二十才頃に江戸に出て儒学を学んだ。云々」に起因する。早いところでは、素堂が健在の宝永三年(1706)頃に森川許六が著した『本朝文選』には「山口氏江戸の産」とある。凉袋が文政年中(1819〜29)著した『蕉門諸生全傳」には、素堂は甲斐の酒折の産」とある。

 素堂の出生や生涯の事蹟については、『甲斐国志』発刊前後で大きく食い違うことがわかり、『甲斐国志』以前の甲斐の著書には素堂のことや、「濁川工事」への関与の記載は見えない。