素堂消息、『奥の細道通解』馬場錦江著 安政五年(1858)刊。

 葛飾の隠士素堂は我先師なり。芭蕉翁を友とし善、俗名山口太郎兵衛、名は信章俳号は素仙堂来雪なり。本系割符の町屋にして世々倣富の家なり。常に落葉に往来して、信徳、言水か徒舊識たり。性、詩歌を好み、又琴曲を学ひ又謡舞に長す。一朝世の常なき観相して、家産を投ち第は山口胡庵に譲り、母を供して忍之岡の梺、蓮池の辺りに隠棲をいとなみ、高養を遂けたる事は、其行牌並に発句等にも世の知る所也。老母没して後、芭蕉、其角のすすめに応じて本所今六間掘、鯉屋敷といふに草庵を営み住めり。家集に、忍か岡麓よりかつしかの里へ居を移すとて、   長明が車に梅を上荷哉

素堂是より芭蕉庵と隣也ければ、猶はた芭蕉も心をよせて、草逆の交をなせり。三日月日記、後菊の園、其外人の知る所、風流の交り今将に夕言に及はす。集物にあり。云々。